shin-1さんの日記

○メダカの輿入れ

 わが家では何年か前まで、親父が庭の池で大きな鯉を飼っていました。人に自慢してもいいくらい立派な鯉で、鯉を飼うため池には太い専用の浄化槽装置まで付けて万全の状態だったのです。鯉を飼うと鯉仲間というのが出来て、養鯉業者さんや熱心なマニアが次々わが家に訪れそれは賑やかな自慢話や鯉談義に花を咲かせていたものです。

 ところが何が原因か分かりませんが突然鯉が死に始め、ついにわが家で40年近くも飼っていた自慢の鯉が死んでしまったのです。鯉をわが子のように大切に育てていた親父の悲しみや落ち込みは相当なものでした。結局池は潰すことになりましたが、池を利用して地下室を作る妙案を思い付き、その上に東屋風の建物を自分で造り作業小屋として利用し鯉のことをすっかり忘れさせました。

 ところが最近になってまたその趣味が頭を持ち上げて、自宅の庭が広いことをいいことに、太くならない金魚のような魚に目をつけ、自分で池を掘り自分で上塗りをして小さな池を完成させました。私の長男と相談してそこに珍しい金魚を飼っていますが、今までのような大きくて豪快な鯉とは違い、飼育施設も簡単なようです。しかし相変わらず時々セメントを練って石をひっ付けてみたりして楽しんでいるようです。

 この池に異変が起こり始めました。せっかく育てた金魚を飛来してきた大きな水鳥が狙うようになりました。一匹二匹と取られるのを見て親父は網を張ったようですが時ならぬ水鳥に頭を悩ませました。

 また悪がきに成長しつつある2歳間近な孫二人が、よちよち歩きのくせに池の金魚が気になって、わが家へ来れば必ず「ジージ、ジージ」と近寄り、手を池に入れてジャブジャブ遊ぶのです。これも何とかしなければ危ないとばかり、今度はステンレス製の柵を作ってしまいました。

 そんなこんなで元漁師の親父は陸に上がったカッパになっても、相変わらず魚の匂いが消えないのです。実は私も若いころ7年間自営の漁業を生業にしていた時期があって漁船若吉丸の船長をやり海に出ていました。宇和島水産高校出身ですから当然かも知れませんが、やはり親父と同じく陸に上がったカッパなのです。

 昨日一年生になった孫朋樹が1ヶ月半ぶりにわが家へ泊りに来ました。迎えに行った帰りに、伊予市商店街の谷岡さん宅に立ち寄りました。商店街の空き店舗を利用したいっぷく亭にお話しに行った折谷岡和美さんと知り合い、その後集落勉強会に入って一緒に勉強するようになって深いご縁をいただいたのです。今では私の大切なメル友でお互いブログをお気に入りに登録して、メールを交換しているのです。


  

若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ

 谷岡さんは自宅でメダカを飼っていて、そのメダカがブログで紹介され、メールでメダカを譲ってもらうことになったのです。「近いうちに伺います」と書き込んでいたのですが、時期を逸していました。昨日急に思いつき孫朋樹と二人で容器も持たず立ち寄ったのです。家の中庭にはメダカが水瓶に入れられ涼しそうに泳いでいました。また金魚の赤ちゃんも沢山卵を産んでいて、メダカと金魚を二つのビンに入れて持ち帰ったのです。用意しておいた玄関先の水瓶に早速井戸の水を汲み入れ、朋樹が写真撮影してくれました。私は昔宇宙メダカを飼った経験があるのでメダカの飼い方は一応分かっているつもりです。ビンから水瓶にメダカを移し水草を入れて作業を終えましたが、お輿入れしたメダカは夏に向って涼しさを演出してくれることでしょう。


  「立ち寄りし 友人宅で 譲り受け メダカ輿入れ 水瓶泳ぐ」

  「どのくらい 大きくなるのか? 孫が問う メダカ・クジラも 同じ魚だ」

  「メダカ飼う 話題が孫と じいちゃんを つなぐパイプに なってくれれば」

  「目が高い 書いてメダカと 読んでいた 昔懐かし 亡き人思う」

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“shin-1さんの日記” への1件の返信

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    若松さんに来ていただいてから
    次々と お友達が来て 金魚ぜんぶ
    嫁入りさせました(笑)
    最後は 発泡スチロールごと 
    持って帰ってもらいました

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