shin-1さんの日記

○のんびり長閑に過ごしました

 昨日は母の日でした。一昨日次男が仕事から帰える途中わが家に立ち寄って、「母さん母の日だからお父さんと一緒に食事でもどう」と誘ってくれました。私は松山道後のにぎたつ会館で懇親会が始まる前に携帯が入ったものですから断ったのですが、母の日という一年に一度のことなので、にぎたつ会館で8時に落ち合い、お寿司屋さんとお風呂に付き合うことになりました。食事もにぎたつ会館で終えているし、長めの会議の後で疲れていたのでお風呂も気乗りがしませんでしたが、次男の好意に感謝しながらつきあいました。

 私には母と呼ぶ人はもう妻の母も私の母も他界しているのでいませんので、私の全ての面倒を見てくれる妻を母と思ってプレゼントを用意しました。プレゼントといってもそんなに大したものではなく、私の小遣いの中から少しのお金を白い封筒に入れ、「祝・母の日記念 若松繁子様へ 若松進一」と筆ペンで書いただけのシンプルなものです。先日5月5日は結婚記念日でした。その時も「祝・結婚記念日 若松繁子様へ 若松進一」でした。そんなに多くない私のへそくりの中から今月は2回も出費です。でもいいんです。このくらいですごく感激してくれる妻ですから金額の多少ではないのです。

 昨日は私の集落の灘町一丁目自治公民館が主催する恒例のウォーキング大会がありました。総勢100人が市役所支所から海岸国道を通って三島神社まで行き、長い階段を登り潮風ふれあい公園で昼食後解散するコースです。子ども日の行事と組み合わせているのですが毎年のことながら子どもの数が減って、高齢者の数が増えるような感じでした。

 近所に住んでいても車社会や忙しさにかまけて中々顔を合わせることもないので、楽しい世間話に花を咲かせながらのんびりと歩きました。

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 ゆったりとした歩道の横には近所の人が育てた色とりどりの花がいっぱい咲いて、爽やかでした。中にはゴミ袋を持って空き缶やたばこの吸い殻を拾って歩く感心な人もいて、公民館らしい催しとなりました。

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(三島神社の長い石段はかなりきつかったようです)

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 境内で一休みしながら三島神社のことについて、集まった子どもたちに少し私が説明をしてやりました。

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 普通神社の社殿の入口には狛犬が一対鎮座していますが、この三島神社は狛犬ならぬ狛亀なのです。こどたちに交じって私の話を聞いていた大人の中には「初めて知った」と興味深そうに見つめる人もいて嬉しい反応でした。一服休憩した後長い列はまるでアリのように潮風ふれあい公園まで歩き、ふれあいの館の中で公民館が用意した弁当を広げビールなどを飲みながら楽しく過ごしました。

 私にとっても久しぶりのウォーキングで昨日は携帯電話についている万歩計が1万5千歩も記録したようです。午後は外出先から帰った妻と居間で談笑しながら横になっているとついウトウトして、気がつけば体の上にちゃんと妻の配慮の毛布が被せられていて1時間ばかり昼寝を楽しみました。のんびり長閑な一日でした。


  「気がつけば 妻が配慮の 毛布あり のんびり長閑 昼寝楽しむ」

  「私には 母がないので 妻に母 ダブらせ少し お礼差し上げ」

  「同じ町 住んでも顔を 会わさずに 暮らしていると 顔が懐かし」

  「子の数が 減って老人 増えてきた 自分自身も 間もなく老人」 


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○水やりとブルーベリーの防鳥対策が心配です

 このところの好天による温度上昇は、地球温暖化を思わせるほど異常な上昇で、まだ5月半ばだというのに35度を越す真夏日気温を記録した所が相次いで、7月の気温だと報じていました。シーサイド公園に立ち寄ると、気の早い子どもたちや若者はズボンをまくしあげて水辺でぞぶったり、中には泳いでいる人もいてびっくりしました。泳ぐのはいいのですがシャワー施設もまだ稼働していないので、はてあの若者はどうするのだろうと、後先も見ず直情的に快楽を求める行動を少し心配しました。

 このところ雨が降らないため、せっかく植えた家庭菜園の野菜の苗類がこのままだと帰れてしまう恐れがあるので、親父と私は夕方陽が西に傾くとジョロに井戸の水を汲んで水やりをしています。親父は昨日から始まった大相撲をテレビ観戦するため午後6時までは休養なので、昨日の夕暮れ時は私が水をやりました。乾いた土はひび割れを起こしていて、植えているキウリ、ナス、トマト、ピーマン、オクラ、ニガウリ、カボチャ、トウモロコシ、ニンジンと順次水をかけて行くのです。こうしてたっぷり自家水をやれるのは、やはり家庭菜園が家のすぐそばにある特権でしょうが、近所のおばさんやおじさんは水をやることができず、今年はもう何本か枯れてしまったと嘆いていました。

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(ツルインゲンは竹垣に絡み始めました)

 私の水やりの最大の関心事は、むしろ野菜より今年から6鉢も増えたブルーベリーの鉢植えです。ブルーベリーは水はけを良くするような土壌に植えているため、水をやってもまるでザルのように一気に抜けてしまいます。したがってジョロなどでは間に合わずバケツ一杯の水を根元へ流し込むのです。水場から5唐メートル離れているため、バケツで運ぶのは少々骨が折れますが、花が受粉して実になる今がいと番大切な時期なので、しっかりと水をやって育てたいと思って昨日もたっぷりと水をやりました。

 早生系ブルーべりーの実は既に結実して青い実が鈴なりになっていますし、晩生系は花が満開にのもあるようです。昨年は一鉢でも夫婦二人で堪能するほどブルーベリーの実を摘んで食べましたので、今年は楽しみが5倍にもなったような気持です。

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(裏庭の成長著しいブルーベリーの鉢植え)

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(鈴なりに実をつけたブルーベリー)

 さて、こうしてブルーベリーの実が見えてくると、水やりもさることながら野鳥の被害が心配になってきました。昨年も味をしめた野鳥がやってきて、最後はお手上げのような状態でしたから、今年は何としても網を張らねばなりません。漁師さんから頂いている魚網は網目が大きいので役に立つかどうか心配です。やはり防鳥ネットを購入しなければならないかも知れません。防鳥ネットといえば人間牧場のキツツキ被害を思い出します。水平線の家やロケーション風呂の外壁にはキツツキの被害の後が無残にさらけ出されていますが、外壁に張った防鳥ネットで既に10羽以上のキツツキを捕獲しているのです。効果抜群の防鳥ネットですが、自然はの私としてはキツツキを捕獲するのは少々心が痛みますが、これも仕方がないことと割り切っているのです。

 防鳥ネットを張るのはやはり手先の器用な91歳の親父の手助けが必要です。この歳になってもまだ親父の力に頼るふがいない息子ですが、親父の生きがい対策だと思えば納得もできるのです。さあサンデー毎日の私もにわかに忙しくなってきました。


  「温暖化 思わすような 暑さにて 息も絶え絶え 菜園野菜」

  「井戸水を ジョロに注ぎ分け 頭から たっぷりかけて 涼しかりけり」

  「防鳥の 心配しつつ 水をやる 親父手助け この歳なっても」

  「井戸水が あるから菜園 助かって インゲンツルは 空に向かって」


 

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○熊本大学文学部徳野貞雄先生の講演会に参加

 昨日は松山市樽味の愛媛大学農学部で特別講演会があり出かけて行きました。「そういえば今日は土曜日か」とサンデー毎日的な生き方をしている私は、曜日の感覚も少しずつ消えようとしていることを実感しながら車を走らせました。昨日は大洲市では夏日を記録するなど気温がぐんぐん上がって、車内はクーラーを入れなければ暑く、クーラーの嫌いな私は窓をいっぱい開けて社外のさわやかな初夏の風を一杯入れながら走りました。

 午後1時からの入場なので、少し早目に出て娘のマンションに牛乳を届けに立ち寄りました。わが家では親父が一本私たち夫婦がそれぞれ1本の計3本牛乳を取っていますが、私たち夫婦の分はついつい冷蔵庫に溜まりがちで、昨日もクーラーバックに入れ孫たちのために持って行きました。

 土曜日なので娘婿も小学生の孫も休みのようで、久しぶりに家族揃っていました。まもなく2歳になる孫尚樹はとにかく元気で柔らかいボールをサッカーだといいながら室内で盛んに蹴って遊んでいました。この春1年生になった孫朋樹はやっと自転車に乗れるようになったようで、私にその姿を見せたいと可愛らしいヘルメット被りマンション近くの路上で早速お披露目です。まだ多少ぎこちない所もあありますが、スピードも出るしブレーキ操作も申し分ないのです。私と二人で特訓した成果でしょうが、孫は嬉しくて仕方がないようで、空地をぐるぐる回ったり八の字走行を練習しましたが、近所の道を一周して帰るなどもう自信満々のようでした。

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 農学部の授業は既に始まっていて、第一回目の授業は4月25日に実習林で開かれたため、農学部のキャンバスに顔を出すのは一ヵ月ぶりなのです。大講義室には学生やマネジメントスキルアップの社会人や先生たちなど100人以上の人が集まっていました。

 この日の講師は熊本大学文学部の徳野貞雄先生です。先生とはもう長い付き合いでわが町にも講演に来てもらっていますし、人間牧場オープン記念の逆手塾の折にも人間牧場へ来てもらっているので、馴染みが深いのです。昨日は農山漁村の地域再生を目指して、「農村(ムラ)の幸せ、都会(マチ)の幸せ」という演題で、T型集落点検による農山村の地域づくりについて持論を聞きました。徳野先生の過激とも思える毒舌は有名で歯に衣を着せぬ語り口で1時間半の講演予定は延々3時間にも及びました。

 私などは先生のことを知っているので何ともありませんが、初めて聞いた方は度肝を抜かれたようで、次の予定のある方はそろり引き揚げる場面も見られたようです。

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(研究会での徳野先生)

 講演に続いて会場をにぎたつ会館に移し第2回農山漁村再生人材育成研究会が持たれました。徳野先生を囲んだ座談会で、ここでも一人一人の自己紹介について少し長めのコメントをいただきながら持論を聞きました。林学部長さんや泉副学長さんんも同席した重厚な会議でしたが、泉先生が総括したように徳野先生の提唱実践しているT型集落点検という手法は、学生が農家や現地で活動するのに最適な手法ではないかと実感しました。

 大幅に時間を押した講演会と研究会を終え会費による懇親の場が持たれましたが、私は午後8時に妻や次男と待ち合わせしていたので、先生と再会を約束して早々にお暇しました。

 めし茶碗一杯は約60グラム、米の原価は約12円、めしになると20円、おにぎりにしてコンビニで買うと105円、レストランでライスとして皿に盛られると250円、それにしても同じ米なのに農家の手取りは僅か米60キロが1万2千円です。これでは農家は生き残れないのが本当であるという話は印象に残りました。先生の話は会場で聞いた人だけの話にしないと意味がないので、あえてコメントはしませんので悪しからずご容赦ください。

  「毒舌も 愛嬌のある 容姿にて 笑いに変える これも人徳」

  「心ある 人は休みを 返上し 学びの場所に 顔出し学ぶ」

  「時間など 気にせず話す 人はいい 聞いてる人は 時計気になり」

  「ネクタイと 背広で出かけ 見てみたら 講師はラフな 普段着姿」

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○歳をとったら親父のように生きたい

 私たちの町では過疎化が進んで商店街がなくなり、生活に必要なものを地元でそろえることが年々難しくなってきています。特に食料品などは「近所のお店で買うもの」とばかり思っていましたが、つい最近はそのジンクスが破れて、まとめ買いは隣町のスーパー、ちょい買いは道の駅などで開かれている産直市に立ち寄って買うなど、随分変化してきました。それでも車に乗れる私たちはそんな消費行動ができるのですが、車に乗れなくなったお年寄りたちは、生活のバリエーションが年々狭められ将来への不安を抱えて暮らしているのが実態のようです。

 91歳になる親父は日曜大工のようなことが趣味で、家の庭には親父が日曜大工で作ったものが随所に見られるのですが、大工道具などは手入れをして使っているものの、釘やノコの替え刃といった小物類は時折私や息子が車の乗せて隣町のホームセンターへ連れて行き、一カ月に一回くらいショッピングをさせているのです。それでも必要なものは近所の金物屋さんに行って、「品数も少ないし少し高いようだ」とブツブツ文句を言いながら買い求めて用を足しているのです。

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 最近親父の住んでいる隠居の庭に飛びきり上等な選択干し場がお目見えしました。私に前もって相談はするのですが、相談といっても一方的な告知で、「洗濯物干し場がないので雨の日などは困るので、大工さんに頼んで作ってもらう」というのです。「そんな金の要ることはせず、今のままわが家の選択干し場を使ったらどうか」と勧めたのですが、「もう大工さんに頼んでしまった」と事後報告なのです。

 近所と言ってもわが家から5キロくらい離れた場所にその大工さんは住んでいますが、時点所に乗ってさっさと工事のお願いに行って、大工さんは私の了解と立ち会いのもと工事を始めたのです。その大工さんは人間牧場の家を建て、隠居も建てた馴染の大工さんなので見積もりもそんなに高くはない良心的な方で、技術もしっかりしているため、親父のお気に入りの大工さんなのです。やがて工事が始まってびっくりしました。まるで床柱のような丸太柱を使っているのです。さすがの親父も上出来と目を細めていたようですが、「隠居の家の立派さにはこれくらい使わないと申し訳ない」と思ったようでした。

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 たかが選択干し場と鷹を喰っていましたが、出来上がってみるとその立派さにびっくりしてしまいました。大きな声では言えませんが、いずれ私たちが利用するであろう隠居家ですし、しっかりとした造りをしてくれるのは有難く感謝しているものの、91歳になってもなお老いて益々盛んな親父にはただただ脱帽するばかりなのです。

 母亡き後ひっそりと隠居で年金で暮らしている親父の楽しみはそんなに多くはなく、家庭菜園で作った野菜を近所や親類に配って喜ばれたり、好きな盆栽や庭木の手入れ、それに倉庫まで改造して展示室を設けている骨董が趣味くらいで、それを思えば目くじらたてることもなく、むしろ元気で日々を暮らしていることを感謝するのです。

 規則正しい親父の日課を目の当たりにしながら、わが身に忍び寄る老いの影を考える今日この頃なのです。


  「買い物も 出来ぬ田舎の 不便さを しのぎ何とか 今日も暮らして」

  「物干し場 まるで床の間 柱風 出来てびっくり 何を干すのか」

  「忍び寄る 老いの姿を 見てるよう 親父私は そんなに生きれぬ」

  「足腰が 痛い死ななきゃ 治らない 言いつつ今日も ごぞごぞ元気」 

  

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○風呂の残り湯の効果的活用法

 朝晩のひんやりした気温もいつの間にか峠を越して水温む季節となりました。このころになると私は毎朝わが家のお風呂の残り湯で朝風呂を楽しむのが習慣となりました。サンデー毎日とはいいながら出かけることの多い私は毎朝顔の髭を剃らなければならないのですが、風呂に入って洗面器にお湯を入れ、湯船に入りながら髭を剃るのです。親父は隠居に風呂を別に構えているので、わが家の風呂はステンレス製で保温効果もよく一晩寝かせても冷めない上私と妻だけしか入らず、そんなに汚れることもないので、勿体ないの精神で再利用しているのです。少しぬる目だと灯油ボイラーのスイッチを入れたりしますが、今の時期は足し湯をしなくても十分なので、少し長湯をすりと汗が出て気持ちのいい目ざめとなるようです。

 わが家の風呂場は畳3畳もあるかなり広いもので、外の洗濯物干し場へ通じるドアもあるので、妻が洗濯物を干している時々はそのドアを開けたままになって、まるで露天風呂感覚なのです。開いたドアの向こうには双海町のシンボルである本尊山が四季折々の変化を借景として見せてくれるのです。

 私は最近風呂の浴槽の中で体操をしています。ひざを曲げたまま両足をそろえ右と左の膝が湯船の底に着くまでゆっくりとストレッチするのです。この運動は腰痛に悩む友人から教わったものですが、私も1年2~3度ぎっくり腰になることがあり、友人に相談したら風呂場でのストレッチで随分助かっていというのです。冬場は寒くてできませんが春から秋にかけてはこの体操を1年前からやっていて、おかげ様で少なくともこの1年は腰痛で整体院へ行くこともなく過ごせているのですから有難いことです。

 最近は外気温が上がったせいかこのストレッチ運動を100回やると、汗が出始めダイエット効果も抜群です。最も私は妻と違ってダイエットする必要もなく、むしろ少し痩せ過ぎの感じもしているのでほどほどにしています。


 そういえば最近、妻も風呂の残り湯を効果的に使っています。洗濯機についている給水ポンプの吸い口を風呂桶に差し込み、一次洗いに使っているのです。わが家は家が広く水を使う機会が多いので、一般家庭としては水道の使用量が格段に多いのです。勿論その大部分は毎日沸かす風呂なのですが、妻の持論として他の簡便はしてもせめて風呂くらいはふんだんにお湯を使いたいといっているのです。勿論そのことは私も賛成なのですが、この歳になると夫婦ともども忘れ状が良くなり、時々風呂のお湯を出したまま忘れてオーバーフローすることもしばしばで、これこそ勿体ないの精神を発揮せねばと、お互いがお互いを注意しあっているのです。最近はサンデー毎日の私が家にいるとお湯を張る役目は私がやっていますが、お湯を止め忘れる回数は私が格段に多く、妻から文句を言われています。


  「お湯を張る 役目私と 自覚して 蛇口ひねるが 再々忘れ」  

  「残り湯で 翌朝私 ストレッチ お陰で腰は 順調そのもの」

  「残り湯を 暮らしに生かす 主婦の知恵 蛇口ひねるの 忘れ後追い」

  「この水も 金だと思え 妻責める 年金暮らしの 哀れさ露わ」

 

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○人間牧場で妻と二人で

 エアーポケットとでも言うのでしょうか、人間牧場を作ってから4年になり沢山の方々が来牧しているというのに、何故か妻は落成の時に地元の人を誘って接待をしてもらって以来人間牧場に顔をのぞかせていませんでした。どういう風の吹き回しか知りませんが、妻が人間牧場へ行くというので久しぶりに妻を誘って人間牧場へ出かけました。この日は塾生の皆さんたちが草刈りや大掃除をした後だったので綺麗に片付いていて、何もすることがないので持参した弁当を広げて食べたり、観音開きの窓をいっぱい開けて背もたれ椅子に座って仮眠をするなどのんびりとしたひと時を過ごしました。

 フロンティア塾開塾の時も料理を全て手作りさせたり、私設公民館煙会所を開設してからも世話をさせたことを覚えているのか、人間牧場の構想を話したとき反対はしなかったものの、「私を巻き込まないで」とぎくりとするような釘をさす言葉を吐いた妻ですから、できるだけ迷惑をかけないようにしたいと気を使っていましたが、それでも人間牧場で何かの催しがある度に弁当を作ってくれたり、土産を持たせたりと、陰陽に力強い支援をしてくれているのです。また人間牧場建設の資金が枯渇した最後の頃には、固い財布の紐を緩めて資金までつぎ込んでくれているのですから、妻には頭が上がらないのです。

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 久しぶりに妻と二人で色々なことを話しました。家族のことや友人のこと、自分たちの将来のこと、人間牧場のこれからなど、思いつくままに夫婦水入らずの話です。自宅で毎日顔をお合わせて暮らし、毎日様々なことについて会話しているはずなのに、人間牧場で話す会話は何故か新鮮に感じました。

 妻は私より年齢が一つ下なので63歳です。現在も近くの歯科医院に勤めているため、日曜日と祝日しか休みがありません。その日曜日も長男や長女の家族が土曜日から泊まりに来ると、もう休むどころかその対応でくたくたになるのですが、それでも太陽のように振る舞い、明るく元気に家族のために働いてくれるのです。5期務めた民生委員の職も4年前に辞して、肩の荷は少々楽にはなりましたが、肩こりの不調を訴えるなど少々ガタがきているようです。

 人間牧場だと誰に気兼ねもなく休めるようなので、これからも折にふれ誘ってやりたいと思いました。


 帰り際になって人間牧場の中に自生しているフキを二人で採取しました。初夏を思わせる日差しが照り外は暑いくらいでしたが、剪定ばさみを取り出して根っ子の上から切り落とし葉っぱも取って、近くのカズラで3束作りました。わが家に1束、後の2束は帰りに叔母の家におすそ分けするのです。また人間牧場の隅に植えてあるシキビを切り取り、これも2束ずつ3組作りました。わが家の墓地用、仏壇用、お大師様用としてお供えするのです。神様棚用のヒサカキも切り取り、先祖祀りや神崇拝も忘れない妻の気配りに感心しました。

 このところ雨らしい雨が降らず、人間牧場の芋ツル苗の伸びが今一思わしくないため、ジョロで3杯水をかけてやりました。2週間もすると子どもたちが芋ツル植えにやってくるので少し心配をしていますが、今年は人数も少ないようなので多分間に合うだろうと思っています。

 妻と二人だけの水入らずのひと時は私にとってもいい一日となりました。


  「そういえば 妻は牧場 来ていない 身近なことが 出来ぬようでは」

  「いつの間に 六十路越えたか 俺と妻 過ぎ越し日々と 迎える日々を」

  「のんびりと ただひたすらに のんびりと 過ごす二人に 風が優しく」

  「いいものを 作ったもんだ 妻感謝 人間牧場 活かして使う」

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○初夏の味ソラマメが届きました

 季節は春から初夏へと知らぬ間に移り、後20日もすれば衣替えの季節になりました。今朝親父を病院に連れて行くため出かけた伊予市の田んぼでは、青かった麦畑の色が早くも黄色へと一変しているのに驚かされました。初夏といえばエンドウやソラマメなど豆類の美味しい季節となりましたが、母が亡くなってからは種をまくこともなく、もっぱらいただきものでその味を楽しんでいるのです。

 一昨日伊予市に住む水口まり子さんから宅配便が届きました。送り主の名前を見て中身が分かるくらいまり子さんとは懇意にしていただいていて、恐縮ながら「今年ももうそろそろ」と淡い期待をしていただけに嬉しい荷物の到着でした。中を開けてみると濃い緑色の皮をかぶったソラマメが段ボールいっぱいに入っていました。早速取り出して妻と二人でまり子さんの話をしながら皮を剥き中から出てきた綺麗な色のソラマメをボールに入れて行くのです。中には殻を破る際勢いあまって鉄砲のような音がしたりポーンとはじいて部屋の中を飛んだりしましたが、半分はその夜の食卓に上り、美味しい旬の味をいただきましたが、半分はさっと湯がいて冷凍保存することにしました。

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 水口さんは伊予市で稲苗を中心にした育苗施設を大々的に経営していて、田植えの始まったこの時期は猫の手も借りたいような忙しい日々を送っているのでしょうが、その忙しい合間を縫って私にまで気配りをしていただき感謝しているところです。今日は伊予市の病院へ親父を連れて行ったついでに足を延ばしてまり子さん宅まで出かけて行きました。丹波の黒豆をいただいたタッパーを返しに伺ったのですが、まり子さんはあいにく畑に出ていてお会いすることができませんでした。すっかり顔見知りとなった若奥さんにお礼を言って帰り際、「入れ違いで豆を送りました」と言われました。帰ってみると豆が段ボールにいっぱい送られていました。

 妻が仕事に出かけているので昼休みを利用してテレビを見ながらソラマメの皮を剥きました。沢山あるので近所におすそ分けして後は冷凍保存の準備をしているようでした。昨年もそうしましたが、ソラマメは冷凍保存しても美味しく頂けます。昨年は大学生が10月にフィールドワークの授業でわが家を訪ねた際学生たちに食べさせ大層喜ばれました。

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 季節の旬の送り物が届くと何となく満ち足りた気分になります。最近は時ならぬ冬の時期にスイカを食べ、夏にハウスみかんが出回ったりして、いつが旬なのか全く季節感がないのです。また冷凍技術も進んで枝豆などは年中緑の枝豆が料理に出てくるのです。確かに食生活の上では豊かで便利にはなったけれど、四季を感じることが少なくなったような気がしています。今日もソラマメの殻を破ると中から何とも言えないソラマメの匂いがして、これぞ初夏の匂いと思ったものです。

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 豆を食べると頭が良くなると今は亡き母親から教わりました。理由は頭という漢字には豆編が付いているからだと説明され納得したものです。そういえば豊という字もどこか豆に由来しているのかもと思いながら、豆のついた感じを思い出しました。えっ、何で鼓も豆編なんだろうと、要らぬ詮索をしながら全ての殻を取り除きました。

  「宅配で 友より届く ソラマメの 殻を破りて 部屋の中飛ぶ」

  「ソラマメの ほのか香りに 母思う 懐かしきかな いずこにおわす」

  「豆食べて 頭良くなる 子に育て そんな言葉を 思い出しつつ」

  「ソラマメを 剥きつつ初夏の 季節知り 軒のツバメの 賑やかなりし」  

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○大学の今年の授業が始まりました

 昨日から愛媛大学法文学部総合政策学科の私の教室の授業が本格的に始まりました。今年度は前期が木曜日、後期が水曜日の2時限目で、10時30分から12時まで講義を行うのです。前期30時間、後期30時間ですから合計60時間に及ぶ4単位の講義を組み立てなければならず、ガイダンス用のシラバスを作りながらかなりハードな仕事だと改めて認識しました。役場に勤めていた現職のころ、顔見知りの助教授(今は准教授)に頼まれ、最初は軽いノリで引受けて始めたこの仕事も、早くいもので7年目を迎えているのです。

 学歴もなく人に教えるような能力もない私が、無謀とも思えるこの仕事に何故取り組んだのか、自分自身不思議に思うのですが、その根底にあった「進化したい」という思いだけは今もしっかりと根付いているようです。「夢と勇気をを持って一歩前へ」は実践家たる私の持論ですが、大学では様々な人に出会い、様々な学びによって知識や知恵を学んできました。もしあの時役場の上司が「止めとけ」と静止した言葉に、従順だったら今の自分はないと、改めて意思を通すことの意味を噛みしめるのです。

 私の大学で過ごしたこれまでの一時はまるで空想の世界のようでした。長らくまちづくりの仕事を現場第一主義で過ごしてきた実践家の私にとって、大学での学問は地域づくりを理想論から考えることのできる唯一の機会だったのです。理想と現実の間に落差が生じるのは何故なのか、その原因を突き止めながら自分がやろうとしてもできなかった様々なことを考えました。お陰様で随分その辺の疑問は解決しましたが、残念ながらそれを生かす現場はもう私の周りに少なく、今では評論家のそしりをぬぐえないのです。評論家とは自分でリスクを負うことなく人の評価をする人のことですが、それでも地域の活性化について今も理想を追い求め続けているのです。

 昨日の初講義は4月9日のガイダンスで、私の話を聞いて面白そうだからと19人の学生自らが選んでくれた学生が対象です。法文学部本館4階の404号室に集まった学生は男性9人女性10人です。相変わらず女性が多いのがつい最近の大学の特徴ですが、自己紹介を聞く限りでは今年も、しっかりしたいい学生が揃ったと内心喜んでいます。

 昨年の大学はまるで工事現場にいるような騒々しい雰囲気でした。学内キャンバスの至る所で耐震工事行われていましたが、工事用の足場や駐車場にわがもの顔に置かれた現場事務所もすべて撤去され、ケヤキ並木の緑が濃くなって学校らしい雰囲気が漂っていました。

 私には裏門ゲートから駐車場に入るためのパスワードカードが渡されていて、カードを利用すればいつでも自由に構内にフリーパスで入れるのですが、未舗装の駐車場がぬかるんだりする最悪の駐車場なので、洗車した時などは気が重くなるのです。

 私にとって今年の悩みは前期だけなので3回くらいですが、コープえひめの理事をしているため、毎月末に予定されている理事会と全く時間帯が重なっているということです。昨日も後ろ髪を引かれる思いで理事会担当の尾崎部長さんに欠席のFAXを気の重いまま送りました。尾崎部長さんから別件で電話が入り理事会の終わった席へ足を運びましたが、何ともバツの悪い気持ちでいっぱいでした。

 不惑なこの気持ちはまだ当分は続きそうです。

  「今年また 大学授業 始まりて 新たな人に 新た気持ちで」

  「今年こそ 理想の授業 する決意 早くも不惑 先が心配」

  「六年の 月日は俺に 何教え どんな進化を 遂げたのだろう」

  「とりあえず スタートだけは した安堵 学生たちの 若さいただく」

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○孫たちの成長

 私には4人の子どもがいます。女・男・男・男と自分の生活設計通りに子供を授かりましたが、長女と長男は結婚して家庭を持っているものの、次男と三男はまだ未婚で一人身です。長女は男だけ2人、長男は男1人だけ子どもを育てていますが、来週中には長男の嫁が出産予定で、私たちの夫婦の孫は3人から4人になる予定です。

 まるで相撲取りのように大きなお腹を突き出して歩く息子嫁を見るにつけ、人間とは何と不思議なものか、あのお腹の中に子どもがいるのかと、知る由もない自分の出生に思いを馳せるのです。私が生まれたのは昭和19年ですから戦時中です。母親は私を腹に抱えてどれほど苦労をしたことでしょう。それでも私は色々な疾病やけがを克服して今日まで元気に生きているのです。私の命の源は母親のお腹の中なのです。

 孫の成長を見たり写真を見るにつけ、あのいたいけない赤ん坊が年月を経るにつれて成長し、様々なことを学ぶのですが、特に幼児期の子どもにとって母親の存在は100パーセントに近い影響力を持っていると思うのです。お乳を飲ませながら話しかける姿を見ながら抱きかかえる教育の大切さをしみじみ思うのです。

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(孫希心もこんな大きなボールで遊べるようになりました)

 私のブログの準主人公だった孫朋樹も今年から小学校に入学し、毎日体には似つかないような大きなランドセルを背負って毎日元気に学校へ通っています。孫の自立の始まりと嬉しいのですが、学校に行くようになって急に成長したような気がしています。先日も妻が「手をつないで歩こう」といったら、「僕は小学校一年生だから手はつながん」とさっさと前を歩いたそうです。何かにつけて「僕は小学生」を口にする孫が少し自分たちから遠ざかったような感じがしました。

 一方お母さん一辺倒だった孫尚樹や孫希心は少しでも母親から離れようと巣立ちの心や行動がうかがえるのです。別々に住んでいるため最初は甘えることの殆どなかった私にも、家の玄関に入るともう「じーじ、じーじ」と片言で歩み寄り遊んでほしいとせがむのです。そういえば朋樹の時もこんな感じでした。私の相棒は朋樹から尚樹や希心へとうつる時期に来ているのかも知れません。私の役目は朋樹がそうであったように尚樹と希心の子育てを援助するサポーターかも知れません。今年からこの2人を人間牧場で思いきり鍛えてやりたいと思っていますが、はてさて朋樹で訓練した私の子育てならぬ孫育てが上手くいくかどうか楽しみです。

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(私の書斎にしょっ中ちょっかいを出しに来る孫希心)

 64歳になり加齢とともに体力と気力のバランスの崩れを感じるようになった私にとって、孫は気力と体力を維持したりアップするカンフル剤のようなものだと思っています。しかし大事なことは私に孫を合わせるのではなく、孫に私の気力と体力を合わせなければなりません。そのためにはやはり進化しなければならないのです。はて私の孫育て進化論とはどんなメニューを消化すればいいのでしょうか。孫朋樹の後追いのような私には首相厄介な仕事ですが、これもおじいちゃんの宿命なのですから、頑張りたいと思います。


  「孫育て 爺頑張る 生きがいに 元気はつらつ せねば嫌われ」

  「四人目の 孫の誕生 間近なり 楽しみ不安 交錯しつつ」

  「じーじーと お前は蝉か いうほどに なつく孫ども お目々細めて」

「孫進化 俺は退化の 道を行く 六十有余の 開きし難く」

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○燻製の実験

 「血は争えない」という言葉がありますが、長男息子を見ていると何だか同じような考えや行動が目について、少し怖いくらいです。私が人間牧場の構想を家族に話したとき、いの一番に賛成したのは長男だし、これまで人間牧場の設計から掃除に至るまで様々な形で参加協力をしてくれました。資金的に厳しい私と、発想重視の息子とでは考えのスタートが違うため、何かにつけて衝突しながら接地点を探しつつ日の目を見ましたが、今もある部分で満足し、ある部分で不満を言いながら次の夢に向かってお互いが協力しているのです。

 そんな息子が連休に帰ってきて、燻製の実験をしようと持ちかけました。私も燻製を人間牧場のメニューに是非加えたいと思っているので、やろうと手を上げました。息子は既に人間牧場で始まっている命のリレープロジェクトのミツバチを飼うことの発案者で、既に本を買ったりインターネットでミツバチについて資料を集めていますし、今回の燻製についても本や資料を取り寄せ、簡易なアウトドアーの燻製器をどこかからし入れているようでした。

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 天気が良いため庭に燻製器を持ち出しきれいに拭いてからソーセージの燻製に取り掛かりました。ソーセージは2種類用意していました。小さな燻製器なので一度に10本余りしか処理できないのですが、実験なので十分とばかりに金属製の皿に桜の木のチップを入れ、外のガスコンロ上に置いていぶし始めました。カタログ片手に時間を計ってやり始めると桜の木の煙がモクモクと出てきました。そのうちいいにおいが立ち込めました。時間を見計らって蓋を開けてみると煙にいぶされたウインナーソーセージが出来上がり、皿に盛りつけました。家族も初めての試みなので息子のやることに興味深々で、集まって覗きこんでいました。

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 熱いうちにと勧められ食べてみましたが、始め手にしては中々の出来上がりで、みんなに大好評でした。その反応に気を良くした息子は次にチーズの燻製を始めました。ところがチーズは熱に弱いため、最初に温度を上げ過ぎたため、まるで飴のように溶けて垂れ下がりものの見事に失敗してしまいました。ウインナーソーセージで株が上がっていただけに、息子は少し落胆したようでしたが、「失敗は成功の母」などといいながら燻製の実験は終わりました。

 その夜は娘婿の実家に帰省している娘を覗いて3人の息子が帰省していたため、焼き肉を中心にした食事に息子の作った燻製ソーセージが加わり、大いに盛り上がりました。少し時間がとれるようになったら、燻製器を作ろうと息子と相談がまとまっています。そのためには釜戸小屋を早く作らなければならないと、これも息子の設計に依存するだけにまた息子との確執が始まったようです。28歳も年の差がある息子ですから衝突は当然です。でも同じ考えや行動を親子で共有できることは嬉しいことなのです。


  「親と子が 同じ趣味持ち 楽しげに 妻も呆れて ニヤニヤ笑う」

  「燻製の ソーセージ食べ こりゃいける チーズは涙 半信半疑」

  「親子とは こうも似るかと 時々に 思うことあり 親子ですから」

  「次々と やる夢親子 語りあう 次は釜戸が 何時頃できる」

 

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