shin-1さんの日記

○あなたは一食抜いてその分を献金できますか

 最近妻が「県民ショー」なる番組を録画して暇さえあれば見ているのです。その番組を見ながら自分では当たり前と思って暮らしていることが、実は他県の人から見ると全く知られていなかったり理解されていなかったりすることが多いことに気づくのです。特に食べ物はその地域の独特の風土に育まれて長年食べられてきただけに、その故事来歴を聞いて「なるほど」とうなずくことが多く、結局は「狭いようでも日本は広いねえ」と感心して番組を見終えるのです。

 しかしその一方でWFP(国際世界食糧計画)によると、世界では現在、毎日2万5千人の人が飢えによって亡くなっているそうですが、片や農林水産省の調べによると日本では、食べ残しや賞味期限が近づいた食品の廃棄によって年間500万トンから900万トンもの食料を無駄にしているというのです。その数字は飢えに苦しむ人々に届けられる年間の食料援助量を上回るというのですから驚きです。

 かつて日本も戦後の混乱期には食べる物のない苦しい時代がありました。みんな忘れてしまったような顔をしていますが、まだ私たちが子どものころのことなのです。当時の私たちの暮らしはいたってシンプルで、ゴミなど殆ど出ず、人糞までも肥料として再利用する循環型社会でした。芋や麦ごはんでも腹いっぱい食べられれば満足でした。それが高度成長というトンネルを抜けた現代では、飽食の時代と揶揄される物の豊かな時代となったのです。

 先日「一食を捧げる運動」をしている人に出会いました。世界各地には貧困や紛争、災害などによって厳しい生活を余儀なくされている人々が沢山いますが、その人たちの悲しみや苦しみに寄り添い幸せを願って1食分の食事を抜き、その分を献金するというのです。1975年に始まったこの運動にこれまで110億円を超える錠剤が集まったというから驚きです。

 私はその話を聞きながら、栄養やカロリーが行き届き過ぎて成人病になったり、痩せたい願望の人が多いことを思いました。そんな人にとって一食抜くことなんてどういうことはないはずです。でも一食抜いて社会に貢献するといったら恐らく反対するのが今のエゴ社会なのです。苦しい人たちを助ける運動をしている人たちを見て何時も教えられるのは、人を助けるということは裏を返せば自分自身の心を作る運動であるという教えです。

 その人もあるきっかけでその運動に取り組んだそうですが、今ではしっかりとした考えの持ち主となって、多くの人に影響を与えているようです。

 人様に影響を与えるような人間には、なりたくても中々なりにくいものです。幾つかの壁と思える自我と戦い、超自我の世界に踏み込まないと真実は見えてこないのです。かくいう私など、実践家を自任しながら自我の世界を行ったり来たりしている凡人ゆえ、影響を与えるどころかまだまだ人様から良き影響をいただいて生きているに過ぎないのです。

 「いつかは人様にに影響を与えるような人間になりたい」とその「いつか」を夢見ていますが、あと21年の人生ではもう無理かも知れないと多少諦めにも似た気持ちになっています。でも修行を積んで少しづつ進化すれば一歩でも近づけると、先日一食を抜いた「食べたつもり」のお金をその人に渡したのです。

 今後はできれば1ヶ月に1回くらいはそんな一食を捧げる運動に参加しようかと殊勝な考えになりました。仏教の教えに「一乗の教え」があるそうです。「大いなる一つの命に生かされた同根の人間である」ことを思いたいものです。

  「一食を 抜いて献金 出来るかな? それは無理だと 殆どの人」

  「一日に 二万五千の 人が死ぬ 嘘かほんとか 地球上では」

  「贅沢に なったものよと 時々に 思って見るが そのうち忘れ」

  「餓死をする 人あり一方 ダイエット 世の中矛盾 混在してる」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○雨が降らない

 私たちが子どものころ「放射能雨」という言葉を耳にしたことがあります。中国という国が奥地で原子爆弾の爆発実験を行い、その放射能が大陸からジェット気流に乗って日本にたどり着き、雨に交じって降らせるというのです。毎年春になると中国黄河の砂塵が巻き上げられやはりこれもジェット気流に乗って日本にやってくる黄砂もこれと同じ原理のようです。昨日北朝鮮が2回目の原爆実験を行なったと発表しました。北朝鮮は実験の成功によって国力が高揚したと強気の姿勢ですが、目と鼻の先にある隣国日本に住む私たちを大きな不安に陥れました。長崎原爆程度といわれる爆発規模が引き起こした地震波震動は、マグニチュード5程度といいますから、北朝鮮の引き起こした愚かな行為は地球にどれほどいじめているのでしょうか。実験場所が朝鮮半島の北に位置しているためジェット気流の影響は余りないとはいえ、唯一の被爆国である日本は、恐怖を禁じ得ません。偏見を持ってはなりませんが、6カ国協議などの経過を見るとベールに包まれた北朝鮮は世界で最も危険な国と思わざるを得ないのです。

 今年は春先から少雨が続き、瀬戸内海に面した地方のあちらこちらでは早くも渇水対策本部が設置され、梅雨前というのに節水を呼びかけているようです。わが家の家庭菜園は少雨のあおりを受けて、収獲間近な玉ねぎの玉太りが悪く、運の悪いことに何度か吹いた強風突風にあおられて、玉ねぎやジャガイモ、カボチャなどの芽が吹き飛ばされて、痛々しい姿となっているのです。

 せっかく根付いたサツマイモも水分不足によって5~5本枯れてしまいました。幸い人間牧場の芋植えが終わって余ったツルが何本か出来たので、一昨日補植することができましたが、一番水の欲しい苗の頃の野菜には雨が一番の恵みなのに、この少雨では夏野菜の不作が心配でならないのです。

 幸いわが家には庭の隅に井戸を掘っていて、親父が手仕事で畑の隅々までパイプを埋め込み、要所要所で水が出るようにしているため、夏の渇水以外では考えられないように、今どきの夕方陽が沈んでから毎日せっせと水やりに精を出しているようです。

 ある人の話では苗の小さいころに水を与え過ぎると、苗そのものが弱ったり、美味しい野菜ができないそうですが、理屈では分かっていても折角植えた苗をみすみす水不足で枯れるようなことだけはしたくないため、水やりをしているのです。

 私も3日に一回は庭の隅に置いている鉢植えブルーベリーに水をやらなければなりません。一本の木にバケツ2杯程度が必要で、水場から5メートルをバケツに汲んで運んでいましたが、親父はその姿を見て倉庫からビニールホースを取り出して引いてくれました。お陰さまで随分楽に水やりができるようになりました。例年だと梅雨の走りのうっとうしい季節なのに、今日は異常乾燥注意報が発令され消防署は有線放送で火の取り扱いに注意するよう呼び掛けているのです。

 田植えの終わった田んぼから聞こえるはずの青ガエルの鳴き声も今年は雨不足でどこか弱々しく聞こえているようです。


  「雨降らず 植えた苗物 元気なく 思いやられる 今年の夏は」

  「朝鮮は 愚か行為で いじめてる 地球の悲鳴 地震となって」

  「手も足も 出せぬ日本が 情けない 隣の国の 愚か行為を」

  「井戸水を 背に腹変えず 畑撒く いつ降る雨を 千秋思いで」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○地元での講演はやりにくい

 一昨日の土曜日、地元双海町の上灘保育園から育児講演会を頼まれて出かけました。今年3月17日市内保育士さん対象の伊予市人権同和幼児教育でお話ししたことが保育士さんの耳にとまって、園長先生から頼まれたのです。上灘保育園といえば自宅から僅か200mしか離れておらず、ましてや若いお母さんたちとはいいながら顔見知りの人もいて、やりにくいなあと思いつつ、木になるカバンを提げて単車で保育園まで乗りつけました。

 この日は参観日や学校の行事が重なっていましたが、保護者総会らしく殆ど全員の保護者が集まっていました。聞けば園児は40人を割り込んでいてここにも少子化の波が押し寄せ、給食サービスはたった一人でこなしているそうです。顔見知りの調理員さんに出会いましたが、お話しをする時間的余裕もなく甲斐甲斐しく働いていました。

 また今年の4月の人事異動で二人の男性保育士が配属になったようで、園長先生としては女性の職場に強力な助っ人が来たと、女性進出ならぬ男性進出の職場を喜んでおられました。保育や看護は女性の職場と思っていましたが、男性保育士の後ろについて楽しそうに遊ぶ子どもたちを見て、時代の流れをしみじみ感じました。

 今時の若いお母さんたちに育児についてどんな話をすればいいのか随分悩みましたが、私にしか話せないことは限られているので、思いつくまま約1時間途切れることもなくアドリブな話をさせてもらいました。園長先生もびっくりするように若いお母さんたちは眠るでもなく終始熱心に私の話を聞いてくれました。

 その中心は親は子の、子は親の鏡であることを強調し、いい子どもを育てるためにはいい親にならなければならないとドロシー・ロー・ノルトの詩を紹介しました。

 批判ばかりされた子どもは 非難することをおぼえる

 殴られて大きくなった子どもは 力に頼ることをおぼえる

 笑いものにされた子どもは もの言わずにいることをおぼえる

 皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心のもちぬしとなる

 しかし激励を受けた子どもは 自信をおぼえる

 寛容であったこどもは 忍耐をおぼえる

 賞賛をうけた子どもは 評価することをおぼえる

 フェアプレーを経験した子どもは 公正をおぼえる

 友情を知る子どもは 親切をおぼえる

 安心を経験した子どもは 信頼をおぼえる

 可愛がられ抱きしめられた子どもは 世界中の愛情を感じることをおぼえる 


 この詩は皇太子さまが紹介した「子どもは親の鏡」の詩としてすっかり有名になりベストセラーになったものです。味わい深い詩なので皆さんに考えてもらいました。

  「地元では 話す言葉も 途切れがち 知っている顔 半信半疑で」

  「ひょっとして これが私の 素顔かも 見透かされいる 言葉の表裏」

  「言いつつも 役目を果たす 一時間 何とか話 つじつま合わせ」

  「子育ては 人それぞれの 流儀あり 自分ペースに 人の話を」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○遠来の東京からのお客さん

 私の家は旧役場(市役所支所)から約500m、中学校から約200m、保育園から約200m、JR伊予上灘駅から約1K200mと、比較的便利な所にあります。少し高台にあるため海が見え、前には双海町のシンボル的存在である本尊山が借景となって、住む環境としては便利でも不便でもない丁度良い環境に恵まれているのです。

 仕事を辞めてリタイアし自由人となって既に4年が経ちましたが、かつては出会いの場所といえば役場やシーサイド公園を指定していたものの、最近はそれもできず、おのずから自宅を指定させてもらっていますが、講演依頼や出会いを求めてわが家へは、驚くほど多くの方々がやって来るのです。

 昨日は講演依頼ということでわざわざ東京からある人がやって来ました。昔ならいざ知らずインターネットや電話で瞬時に話ができる時代ですから、何も東京から講演の打ち合わせに来ることはないと思うのですが、相手は講演依頼を理由に、東京から見れば出かけることの少ない四国をこの際見てみたいと思うのは、やはりお役所仕事だと、少し冷めた感じでその人を迎えたのです。

 その人は東京~松山間を飛行機で飛び、松山空港でレンタカーを借りる周到さで、レンタカーについているカーナビで私の家の住所を入力し、時間に遅れることもなく場所を間違うこともなく、一発でわが家の庭先へ到着したのです。便利で正確なカーナビのお陰でしょうが、それにしても性格で時間も10分前に到着されました。

 今の季節は天気も気候も良く、外にしつらえた東屋風の屋外休憩所で、約1時間ばかり打ち合わせやお話をさせてもらいました。その人は東京では考えられないような静かな環境にいたく感動し、ついでに敷地内にある私設公民館煙会所や海の資料館海舟館を見学し、ついでに9K離れた人間牧場まで案内することにしたのです。

 レンタカーはわが家へ置いて人間牧場までは私の車に乗せて行きましたが、急で細い山道に驚きドアの取っ手やシートベルトをしっかりと握りしめて、緊張している姿を横目で見ながら、山道を登って行きました。ビワの袋かけしている姿や時折「ドーン」と鳴るカラス脅しのガス爆発音にも驚ろいた様子でした。

 一番驚いたのは人間牧場からの素晴らしい眺望とミツバチの巣箱に群がる蜂の群れでした。

若松進一ブログ

(この素晴らしい遠望に来客ははいつも感動します)
若松進一ブログ

(第4の巣箱の外に群がるミツバチたち)

 結局昨日は稲葉さんに貸した農地の草刈り奉仕のために草刈り機を取りに行ったので、人間牧場へは2回も足を運びました。夕方から予定があったのですが、遠来の人ゆえお別れすることもできず、妻の作った手料理で早めの夕食を食べてもらうことになりました。わが妻はこんなハプニングには慣れていて、縁もゆかりもないとはいいながら私の大切なお客さんに豆ごはん(グリーンピース)とお魚料理でもてなしてくれました。東京から来た人は感激の面持ちで、夕闇せまるわが家の裏山から夕日を見てこれまた感激、宿舎となっている松山へ帰って行きました。


 宿舎となったホテルからでしょうか、今朝私のパソコンを開くとその人から懇切丁寧なメールが入っていました。現代は便利になったものだと思いながら、いただいた名刺の住所にハガキを一枚書き、朝の散歩がてら郵便局の前のポストにそのハガキを投函して帰りました。デジタル万能な時代にあってもアナログなハガキはまた一味違ったメッセージなのです。

 人を迎える、人を送る、何でもないことですがその迎え方と送り方は一期一会と言われるように、かなり深い意味を持っています。これまではどちらかというと簡単に済ませていました。最近近所にある上灘中学校の評議員をしていることもあって、時々訪ねることがありますが、浅野祥代校長先生の校門先まで送る姿や、中予教育事務所の皆さんがエレベーターまで私のようなものまで送ってくれる姿を見て、随分考えさされました。これこそ教育の原点だとあらためて思ったのです。

 人に会い、人に教えを請うて生きていく私はこれからもいい出会いを求めたいと思っています。


  「地位もなく 肩書もない 私だが それでも人は 出会い求めて」

  「不案内 だのに一発 やって来る 東京人は 偉いものです」

  「東京人 田舎料理に 舌づつみ 妻の機転で 株が上がった」

  「松山の ホテルのロビー パソコンで 早速お礼 メールが届く」


 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○わが家の農地を作る人ができました

 人間牧場から500mほど下がった所に私の家の農地があります。私は4年前退職を機にこの農地を含めて人間牧場構想を考えていました。当時は体力も暇もあるだろうと鷹を喰って、放任園となっていたこの農地の草刈りなどをして準備をしていました。ところが私の仕事が予想をはるかに超えて入り、この農地はその後手を入れないまま再び放任されてしまったのです。今後のこともあってどうしたものか思案していましたが、私の友人で車屋さんを営む稲葉さんという砥部在住の方が、農地を探していることを知って、使ってみないかと提案しました。稲葉さんは砥部町や伊予市などで適当な農地を物色していて、私も何度か相談に乗って誘われるまま候補地を一緒に見てあげたりしていたのです。結果的には度の農地も上手くいかず、私の農地を貸すことにしたのです。

 先日私と二人でその農地を見ましたが気に入って、その日のうちに話がまとまりました。一昨日稲葉さんから電話が入り、今度の日曜日に草刈りをするからと連絡がありました。私は予定を変更して今日の午前中草刈り機を持参して手伝いに出かけました。


 稲葉さんは同じ車屋仲間の友人を助っ人に放任園の草刈りに挑んだのです。私も自分の農地といいながら手助けのため思う存分働きいい汗をかきました。私が子どもの頃わが家の食料となる麦や芋を母親が育てていた畑は、真ん中に共同利用のモノレールが入っていますが草を刈ってみると中々広い農地です。

若松進一ブログ

 畑からは人間牧場と同じ位置にあるために下灘豊田漁港が一望できる絶景の場所にあって、稲葉さんもこのロケーションに惚れ込んだようです。稲葉さんは釣りも趣味なので下灘漁港などは格好の釣り場だけに海幸・山幸が同時に楽しめるかも知れないと大変喜んでいます。

若松進一ブログ

 稲葉さんの友人である助っ人の人の働きは、何世の農村出身というだけあって抜群で、草刈り機を休む間もなく回し続け、午前中に半分くらいを刈りこみました。私は午後から所用があってご一緒できませんでしたが、夕方稲葉さんが仕事が終わった挨拶に立ち寄られました。稲葉さんはこの農地で自分の夢を実現したいと様々なことを話していましたが、私の結論は「飯を食わなければならない農業はしんどいが、遊びがてらの農業は実に楽しい」ということです。はてさて稲葉さんのこれからの人生にとってこの農地を利用した農業が成り立つかどうか、見守りたいものです。

 田舎ではあちらこちらに放任された農地が目立ってきました。しかし農家は農地を財産と思っているのか、相変わらず貸すくらいだったら荒らした方がましと貸そうとせず、朽ち果てようとしているのです。私はそのことを心得て稲葉さんに無償で貸すことにしました。幸い私の人間牧場もすぐ傍だし、よき相談相手ができたと喜んでいます。稲葉さんは4年前水平線の家の完成時、大掃除を手伝ってくれたり、囲炉裏の灰を砥部焼の窯元さんから貰ってくれたりして、多少の恩を感じていただけに、少しばかり恩返しが出来たと喜んでいます。


  「わが農地 借る人ありて 草を刈る 眼下に漁港 くっきり見える」

  「その昔 母が作りし この畑 今は不義理の 雑草覆い」

  「助っ人の 草刈り凄い スピードで 俺の手伝い 役に立たずに」

  「もう俺の 役目終わりし 農地にて 好きに使って 生きてください」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○ミツバチの巣箱の中を始めて見ました

 昨日はおもしろ大作戦の芋つる植えでしたが、いのちのリレープロジェクトと称してこれまでやってきたサツマイモの苗を育てることに加え今年から始まったミツバチを飼うプロジェクトがスタートしているので、野村町山奥組の井上登さんを講師に招き、子どもたちにミツバチの話をしてもらいました。井上さんは2月に日本ミツバチを箱に入れて持ってきてもらって以来、何かと相談に乗って指導してもらっている方です。

 芋つるを植え終えた子どもたちは水平線の家で井上さんの話に耳を傾けました。私たちはミツバチのことは知っているようで知らないことが多いのです。日本ミツバチと西洋ミツバチの違い、女王蜂と働き蜂の関係、蜂蜜のできるまで、巣箱の中の様子、ミツバチの巣が六角形な訳、ミツバチの行動範囲、ミツバチの巣の分封など、私には聞かれても全てチンプンカンプンなのです。

若松進一ブログ

(子どもたちにミツバチの話をする井上登さん)
若松進一ブログ

(本物のミツバチの巣を見せながらお話をしてくれました)

 井上さんは実際に巣箱の中から採集したミツバチの巣を持参して子どもたちに興味深くミツバチのことを話してくれました。子どもたちはミツバチの不思議を聞きながら井上さんに様々な質問をしていましたが、話をするすぐ傍にミツバチの巣箱へミツバチが出入りしている臨場感もあって、とてもためになるお話でした。

 人間牧場では現在巣箱を4つ設置していますが、先日4番目の巣箱にミツバチが分封したことが確認されて、全ての巣箱にミツバチが出入りしていることになりました。蜂のひと刺しという言葉のように蜂は毒針を持って人を襲うことから危険な生き物だと思われていますが、「手がわぬ蜂は刺さない」と言われるように、危害を加えなければ滅多に人を襲わないそうです。それでも子どもたちに危害を与えてはいけないと、子どもたちが教室を終え帰ってから、私はミツバチの巣箱の掃除の極意をたっぷりと教えてもらいました。

 まず頭から防護網をすっぽりかぶり、体の皮膚が露出していないか確認してから作業を始めました。一番巣箱の紐をゆるめ、巣箱を持ち上げると底板が現れます。底板にはこの1ヶ月でミツバチの汚物が溜まっていて、それを金属のヘラで丁寧に取り除くのです。持ち上げた巣箱は三つがたくさんたまっているのでしょうか、随分重く感じられました。この分だと6月頃にはハチミツがとれるかも知れないと、嬉しい助言がありました。

 井上さんの持っているデジカメを見せてもらいましたが、わが家の巣箱の底板を取って下から巣箱を写真に収めていましたが、凄い数のミツバチが巣の中で営巣と蜂蜜加工に携わっているのです。私は井上さんに巣箱の中を見せてもらいたいと懇願しました。ミツバチの扱いに慣れている井上さんは、比較的ミツバチの出入りの少ない第2巣箱の底板をそっとはずして巣箱を逆さまにして私に見せてくれました。

若松進一ブログ

(第一巣箱を分解する井上さん)

若松進一ブログ

(掃除を終えた第一巣箱の底板)
若松進一ブログ
(見事に営巣している第二巣箱のミツバチたち)

 目に見えるスズメバチの巣は見たことがありますが、ミツバチの巣箱の中を見たのは初めてで、とても感動しました。この巣はもっともっと大きくなって巣箱いっぱいに広がるようだと教えてもらいましたが、夏から秋にかけて蜂蜜を収穫する時は、ビデオカメラを持ち込んでその生態を詳しく記録したいと思っています。


  「お師匠の 話を聞いて 色々と 知識授かり 少し利口に」

  「ミツバチの 巣箱逆さま 中を見る 無数の蜂が 忙(せわ)しく動く」

  「ミツバチの 世界不思議な ことばかり ホットケーキと 一緒食べるも」

  「六角の 幾何学模様 組み立てて 巣箱の中で 今日も営巣」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○子どもおもしろ教室始まる

 今年も人間牧場で子ども教室が始まりました。昨年までの夢基金の助成を受けた事業と違い、実行委員会は組織するものの市の教育委員会が特設事業費を組んだ事業として子ども塾とおもしろ一日大作戦の二本立てとなり、芋植えや芋の収穫は他のプログラムとともに大作戦となりました。

 参加する子どもたちにも参加させる親にも多少の混乱があるのか、申し込みは今一の感じがありましたが、それでも14人の参加があって、ボランティアスタッフを含めると20人余りが今日のプログラムに参加しました。今日はPTAの作業や活動とダブってしまい、私自身も上灘保育園の参観日に午前中講演を依頼されていて、親類の法事とも重なりましたが、それでもその忙しさをすり抜けて、午後2時からの芋づる植えにはどうやら間に合いました。一足先午後1時にに人間牧場に到着した私はまず水平線の家の掃除や足湯をサービスするためロケーション風呂を沸かし、慌ただしい準備をしました。

 やがて午後2時になると子どもたちが元気に人間牧場へやってきました。これまでのように30人を超える人数だと、狭い芋畑はごった返して作業効率が悪いのですが、人数は少ないものの芋づる取り、畑の畝づくり、植え付け、支柱立て、網張りなどの作業は2時間ほどできちんと片付きました。去年まで3年の経験が生かされ順調そのものでした。

若松進一ブログ
(開会行事と担当の松原さんの作業説明)

若松進一ブログ
(雨不足で心配された芋づるも順調に取りました)

若松進一ブログ

(今年はマルチとわらかけという二つの栽培方法が実験されます)
若松進一ブログ

(左がわらかけ右がマルチです)
若松進一ブログ

8作業が終わってみんなで足湯を楽しみました)
若松進一ブログ

(足美人・足美男子の足・足・足・・・)
若松進一ブログ

(イノシシ除けの網を張り・農作業が終わった農場での記念撮影)

 今年のサツマイモの収穫は10月24日です。これから5か月間、風雨や日照という気象条件や雑草、イノシシなどの影響を心配しながらサツマイモは成長して行くことでしょう。今年のサツマイモは宮本常一のふるさと周防大島からはるばる種芋を運び2月に手作り腐葉土の苗床で育てた芋づるです。例年の大きい芋づるよりは見劣りしますが、何とか成長して沖合に浮かぶ周防大島と交流の輪が広がるよう願っています。

 7月には宮本常一の歩いた足跡を辿る高知県梼原へのウォーキングも予定されていて期待は高まっているのです。

  「沖合いに 浮かぶ島より 種芋を 取り寄せ植える こだわりの芋」

  「人数を 感じさせない はかどりで 今年も芋よ 元気に育て」

  「足湯して 天国みたいと 子どもいう 天国などを 経験もせず」

  「暑くなく 寒くもなくて 上天気 作業はかどり いよいよ始む」 

  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○今朝の一押し写真

 昨晩は山口からの帰りは午後8時過ぎで比較的早かったのですが、ブログを書かずに出かけたため、夕食を終えてお産のために毎夕やってくる孫を寝かせてからブログを書きました。前夜息子が私のパソコンを浸かったため少し勝手が違うようになって面食らいましたが、どうにかノルマを達成して床につきました。

 今朝は前日までのデジカメの写真を整理していると、中から一昨日撮影したとっておきの一枚が出てきました。大学へ講義に行った帰りに県立中央病院にお産で入院中の嫁を見舞った折撮影したものでした。

若松進一ブログ

 この写真に写っているのがまだ名前のついていない4人目の孫なのです。面会に行くとカートのような台に乗せられて嫁が病室から連れて来て見せてくれました。こんな小さな命がやがて一人前のkどもになるのかと、他の3人の孫と比較しながら思いました。嫁の話だと産院は次の人の出産予定があるので4~5日で退院しなければならないそうで、今週末には目出度く退院となりそうです。それにしても孫とは可愛いものです。

 昨晩家へ帰ってみると息子は子どもの名前を考えているのか、私のパソコンの前に座ってあれやこれやと文字にしていたようでした。かつて39年前に私がやっていたと同じことをしながら、親としての自覚に目ざめるのでしょうが、一生使う名前だからしっかりと考えて付けてほしい願っています。


 嫁がお産のために入院してからわが家は急に騒がしくなってきました。息子は仕事の帰りに夕方子どもを保育園に迎えに行って連れて帰ってきます。妻にとっては息子と孫が暮らしに加わるのですからそれは大変な仕事の増量です。洗濯物も増え、食事の世話も増えました。風呂に入らせて眠らせることだけでも大変な忙しさです。間もなく同居をする予定の長男の家族は、同居すればこうした慌ただしい暮らしが毎日続くのですから、それはもう大変なことなのです。

 それでも息子も妻も嫁も納得しようと心の整理と準備をしているようです。頭の痛い話ですが前向きに考えるよう私が調整役を務めなければならないと思っています。早速息子と同居のための家の使い方や改修について少しだけ話し合いました。

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○今日のもう一枚の一押し写真

 愛媛松山三津浜港と山口柳井港はフェリーで2時間半もかかります。いくらのんびり旅がいいといっても、往復5時間の船旅は少し退屈気味なのです。和室のような部屋もあって今朝のように、早朝の便を利用する時はゴロリと横になって仮眠をするのですが、相部屋のためそんなに深く眠るわけにもいかず、調べ物をしたり本を読んだりして過ごすのです。慣れた航路のため最近は両岸の景色を眺めることも殆どなく、部屋で過ごすのですが、フェリー客室の壁に貼ってある海図を見ながら帰りの船で、沖合に浮かぶ島の名前が目に止まりました。その島の名前は「柱島」です。戦争に携わった人はよく知られたこの島の名前を覚えているでしょうが、私たち昭和以降に生まれた、いわば戦後生まれの方には「柱島」と聞いただけでは、何のことも思い出せないはずなのです。

若松進一ブログ

 この島の沖合2キロの海上で戦争末期の昭和18年6月8日12時10分に、戦艦陸奥が謎の爆発を起こして沈没したのです。その一部は対岸の周防大島伊保田に造られた陸奥戦争記念館や、最近呉にオープンした大和ミュージアムに展示されていますが、大部分は海底深く今なお眠っているのです。戦艦陸奥は長門型2番艦として建造されましたが、大和や武蔵ができるまでは、世界で一番大きな戦艦だったそうです。

 ご多分にもれず安芸灘に浮かぶこの島も現在は228人程度と過疎化が進んでいるようです。山口県岩国市に所属するといいながら、隣はもう愛媛県伊予灘で点在する島はどれが山口県でどれが愛媛県下判読できないほっです。特に狭い航路は水道とか呼ばれる海の難所で、昨日のような大潮の時期には海がまるで川のように流れ渦を巻いているのです。

 次の周の週末私は再びこの場所を通って対岸の岩国市へ講演に出かけるのです。目と鼻の先だというのに、今は松山三津浜~岩国間にかつて走っていた高速船も利用者が少なく廃止となってしまい、広島経由で行くか柳井経由で行くか迷うところですが、山口県ということもあってやはり柳井から入ろうと思っています。

 地図や海図を見ながら一つ一つの島に思いを寄せたりするのも旅のだいご味なのでしょうが、知っているつもりと決め込んで部屋の中で過ごすことの多かった最近の防予汽船の旅を改めて考えさされた一日でした。そうこうするうち右手には私たちが無人島キャンプで何度も訪ねた由利島が、また左手には親友豊田君の生まれ育った二神島が見えました。テレビでは大相撲が放映され、横綱白鵬が大関日馬富士を破り、横綱朝青龍が琴欧州を破った姿が映っていました。

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○今日の一押し写真

 今朝は早朝4時に起きて身支度を整え自家用車で三津浜港まで行き、5時25分発の防予汽船フェリーに乗船して柳井へ向かいました。その後山陽本線で柳井港から新山口まで各駅停車の電車に乗り、居合わせた乗客と世間話をしながらタクシーを乗り継いで、会場となる山口南総合センターに到着したのは10時過ぎでした。対岸の山口県といいながらかなり遠い一日がかりの旅でした。母親クラブ山口県大会の記念講演を頼まれていて、自宅~会場~自宅というトンボ帰りの遊び心も発揮できない日帰り旅でしたが、新山口駅新幹線口で、種田山頭火に出会いました。

 山頭火といえば放浪の俳人で、「分け入っても分け入っても青い空」に見られるような自由奔放なその作風で知られた人です。愛媛県松山市とも縁が深く俳句の盛んな松山には山頭火のファンが今なお数多くいるようです。

 実は私の家の玄関にも山頭火の「何を求める風の中行く」という句が墨字で書かれ掲げられています。旧双海町役場に在籍していた頃同級生の書家岩岡忠明さんが書いてくれたものです。私はこの句を基本理念に色々な地域づくりに取り組んできました。いわば私の理想像がこの言葉の中に込められているのです。

若松進一ブログ

 今日、足早に訪ねた山口市で山頭火の銅像に合いました。山頭火の自筆書を掘りこんでいるこの句は「まったく雲がない笠をぬぎ」というシンプルな句でした。笑売啖呵と称して毎日ブログの末尾に4首づつ作っている私としては、俳句や短歌は気になるところですが、やはり山頭火という特別な歴史に残る人の句は人の心をひきつける秀作で、おいそれ真似のできるようなものではないのです。私は笑売啖呵を古臭い人間らしく5・7・5・7・7に当てはめて作っていますが、山頭火のような自由な作風にも、そのうち挑戦してみたいものです。

 かつては小郡という名前の小さな駅でしたが、今では新山口という名前に改名して駅周辺の風景が一変しました。山口県では下関が最も知名度の知れた場所ですが、新幹線が開通してからは小郡の方がのぞみの止まる駅として有名になってきました。萩~津和野やSLやまぐち号など何かと観光的話題を振りまいているようです。


 私は、新山口から益田へ通じるこの路線は益田や日原へ行くため何度も列車には乗っていますが、まだSLやまぐち号は見ただけで乗ったことがありません。長閑な田園を走るSLにも一度は乗りたいものだと密かに思っているのです。

 「煙はき鉄の塊走りゆく」。うーん、やはり私が作ると駄昨なり、いい句はできませんでした。

 帰路の列車の中で時間がないので弁当を持たせていただいた弁当を広げて駅弁風に食べながら山陽本線の旅を楽しみました。

[ この記事をシェアする ]