shin-1さんの日記

○道後老舗ホテルでの講演会

 今日は午前中、道後のホテルで大和ハウスさんから講演依頼があり出かけました。会場の大和屋本店という老舗のホテル周辺はすっかり整備が整って、訪れる度に日本最古の温泉らしい姿に変わりつつあり、観光にいささかのかかわりを持っている一人として嬉しい限りです。大和屋の奥村社長さんは最近まで県観光協会の会長さんをされていて再三出会っている方ですが、今日も講演が終わって帰り際お会いすることができ、観光について立ち話をさせてもらいました。

 講演は11時からでしたが、先約があって9時半にホテルへ入りました。先約の相手である平野さんとは電話でしかアポを取っていませんでしたが、聞けば先月25日に香川県高松市三谷地区三渓小学校で開かれた私の移動落伍講演会を聞かれたらしく、是非地域の活性化についてご助言をいただきたいということでした。ホテルのロビーに私が到着すると奥まった所にいたヒューマンテクニカの大津さんという方が平野さんより先に見えていて、ポータルサイトについて微細な説明を資料に基ずいて話し始めました。私にとっては寝耳に水でしたので多少面食らいましたが、話はとても良く理解することができました。やがて高松から来た平野さんや木村さん、ヒューマンテクニカの浜崎さんも加わって、様々な議論を1時間にわたって行いました。

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(大和屋本店のロビーにて)

 第一線を退いているとは言いながら、地域活性化について未来戦略を語ることは私にとっても望むところであり、私の手がけたシーサイド公園の未来についても検討を進めて行かねばならないテーマであると実感した次第です。

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(この壇上でお話ししました)

 約束の時間が来たのでお別れし4階の会場に上がりました。聞けば今日は大和ハウスさんが仲介している方々のお集まりで、詳しく聞くこともないので言われるまま壇上に上がりました。驚いたことに金亀会の会長である安高会長さんは旧知の人で、私が若いころセスナ機をチャーターして空から古里を見る運動をやった折、空港近くの南吉田集会所をお借りして随分お世話になった方で、私の講師紹介も念入りにしてくださいました。

 私を講師として仲介した人は新家さんとう人らしく、私の話をどこかで聞かれ今日の講演になったのです。新家さんは帰宅後わざわざ電話をくださり、感想を述べていただくなど気配りをいただきました。

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(私を紹介していただいた新家さん)

 講演は約1時間ほどで終わりましたが、講演の終わりに立派な花束まで贈呈していただき恐縮しました。大和屋本店は能舞台まである立派なホテルで、昼食懇親会は能舞台が見える部屋が用意されていました。ここで行われる薪能を見ながら食事をしたらさぞ風流だろうと、BGMで流れることの調べを聞きながら想いを馳せました。

 午後には約束があって食事もそこそこにお暇しましたが、今日も様々な人に会い未来に希望が持てるいい一日となりました。

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(大和屋本店の見事な能舞台)


  「情報化 時代どこまで 進むのか 聞けば聞くほど 便利世の中」

  「あの人の 話を聞けと 紹介す 人あり壇上 立って話ぬ」

  「薪能 いつか見たいと 思いつつ 未だにその機 訪れぬまま」

  「帰るなり 今日の話は 良かったと お褒めの電話 顔を赤くし」

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shin-1さんの日記

○旧友兵頭正兼さんの死を悼む

 第一報が入ったのは13日の昼ころでした。「○○ですが覚えていますか。あなたの友人の兵頭正兼さんが昨日の12日亡くなりました。旧友でしょうから失礼とは思いますがお知らせします。葬儀は○○というセレモニーホールで15日2時から行われるそうです」。電話の声は聞き覚えのある人で、信じられない友人の死を悼みながら、死亡に至った出来事や思い出をを少しの間お話ししました。

 兵頭正兼さんは旧宇和町の役場職員でした。3年前に退職し、その後は請われて西予市宇和文化会館に館長として勤めていました。若い頃には私と同じく公民館に勤務し、住民活動の先頭に立っていました。宇和町といえば当時は社会教育の先進地として県下にその名をはせていて、国和館長さんや末光さん、三好さんなどそうそうたる論客を自認するメンバーが、「花と緑と太陽の町へのアプローチ」などというキャッチフレーズを掲げて情報発信していました。

 負けず劣らず公民館の仕事を生涯の仕事と思い込んでいた私は、特に南予地域の公民館主事仲間とあい図り「煙仲間」という公民館主事集団を作り、暇さえあれば集まって大いに飲み、大いに夢を語り、大いに仕事をしたり学習を行いました。その舞台となったのは国和館長さん引きいる宇和町の公民館であったり、大洲市に住んでいた松田先生の自宅でした。

 煙仲間の仲間たちは、維新の志士坂本龍馬の生き方に自分たちの生き方をダブらせながら、公民館活動で理想郷をつくろうとある意味の競争をしていました。当時明間公民館の主事だった兵頭さんは私より一つだけ若いものの、酒がめっぽう強くて晩年には本場である島根県で習ったどじょうすくいを覚えて披露するなど、一芸を持った涙もろくて温かみのある南予人特有の無骨な男でした。

 兵頭さんの家に泊まったこともあり、奥さんは公民館に一時期嘱託として勤めていたり、最近は自宅で民宿などを始めたとい話をう風の噂に聞いていいました。5月の2日に明間の佐藤さんの招きで交流会に出かけましたが、その折国道の奥まった所に「民宿兵頭」の看板を横目でチラッと見ながら、「正兼さんは元気じゃろうか」と思って通り過ぎたのが彼の面影を思い出した私の最後の意思だったようです。

 昨日は長浜町豊茂に住む親友菊地邦求さんに電話連絡し、大洲で落ち合い彼の車に乗せてもらって葬儀が営まれる旧宇和町まで出かけ告別式に参列させてもらいました。


 告別式にはよその町とはいいながら知人友人も多く、正兼さんと共有する多くの人に出会いました。そして昔の思い出話をしました。祭壇に飾られた普段着の遺影やスクリーンに流れる在りし日の姿、弔辞や息子さんの挨拶を聞きながら、若くして逝った正兼さんの姿を思い出し涙が出て止まりませんでした。それにしても退職間もないと言いながら一役場職員の葬儀とは思えないような立派な葬儀にびっくりしてしまいました。そしてやがて何年か後には嫌でも辿らなければならないであろう自分の道に思いを馳せました。

 大洲、宇和間を菊地さんの車に乗せてもらい往復している間、菊地さんと過ぎ越し人生や今、そして将来のことについて大いに話しました。二人には酒を愛し、夢を語る当時の姿はどこにもなく、彼も私も大病を患ったせいで、空気の抜けたフーセンのように痩せこけていて、「お互い健康には注意をしよう」と慰め合うのが精いっぱいでした。人生80年という長寿の時代に、楽しみにしていた年金も殆ど貰わず63歳の若さで亡くなった正兼さんの冥福を祈りながら、健康への誓いを新たにした悲しい一日でした。


  「俺よりも 若い親友 先に逝く 遺影に無言 語りかけつつ」

  「痩せこけた 俺の顔見て 遺影言う もっと元気で 長生きしろよ」

  「大酒を 飲んで大いに 夢語る ありし日姿 昨日のように」

  「地球から 姿消したる 友思う 何年か後に あの世再会」

  

 

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