shin-1さんの日記

○旧友兵頭正兼さんの死を悼む

 第一報が入ったのは13日の昼ころでした。「○○ですが覚えていますか。あなたの友人の兵頭正兼さんが昨日の12日亡くなりました。旧友でしょうから失礼とは思いますがお知らせします。葬儀は○○というセレモニーホールで15日2時から行われるそうです」。電話の声は聞き覚えのある人で、信じられない友人の死を悼みながら、死亡に至った出来事や思い出をを少しの間お話ししました。

 兵頭正兼さんは旧宇和町の役場職員でした。3年前に退職し、その後は請われて西予市宇和文化会館に館長として勤めていました。若い頃には私と同じく公民館に勤務し、住民活動の先頭に立っていました。宇和町といえば当時は社会教育の先進地として県下にその名をはせていて、国和館長さんや末光さん、三好さんなどそうそうたる論客を自認するメンバーが、「花と緑と太陽の町へのアプローチ」などというキャッチフレーズを掲げて情報発信していました。

 負けず劣らず公民館の仕事を生涯の仕事と思い込んでいた私は、特に南予地域の公民館主事仲間とあい図り「煙仲間」という公民館主事集団を作り、暇さえあれば集まって大いに飲み、大いに夢を語り、大いに仕事をしたり学習を行いました。その舞台となったのは国和館長さん引きいる宇和町の公民館であったり、大洲市に住んでいた松田先生の自宅でした。

 煙仲間の仲間たちは、維新の志士坂本龍馬の生き方に自分たちの生き方をダブらせながら、公民館活動で理想郷をつくろうとある意味の競争をしていました。当時明間公民館の主事だった兵頭さんは私より一つだけ若いものの、酒がめっぽう強くて晩年には本場である島根県で習ったどじょうすくいを覚えて披露するなど、一芸を持った涙もろくて温かみのある南予人特有の無骨な男でした。

 兵頭さんの家に泊まったこともあり、奥さんは公民館に一時期嘱託として勤めていたり、最近は自宅で民宿などを始めたとい話をう風の噂に聞いていいました。5月の2日に明間の佐藤さんの招きで交流会に出かけましたが、その折国道の奥まった所に「民宿兵頭」の看板を横目でチラッと見ながら、「正兼さんは元気じゃろうか」と思って通り過ぎたのが彼の面影を思い出した私の最後の意思だったようです。

 昨日は長浜町豊茂に住む親友菊地邦求さんに電話連絡し、大洲で落ち合い彼の車に乗せてもらって葬儀が営まれる旧宇和町まで出かけ告別式に参列させてもらいました。


 告別式にはよその町とはいいながら知人友人も多く、正兼さんと共有する多くの人に出会いました。そして昔の思い出話をしました。祭壇に飾られた普段着の遺影やスクリーンに流れる在りし日の姿、弔辞や息子さんの挨拶を聞きながら、若くして逝った正兼さんの姿を思い出し涙が出て止まりませんでした。それにしても退職間もないと言いながら一役場職員の葬儀とは思えないような立派な葬儀にびっくりしてしまいました。そしてやがて何年か後には嫌でも辿らなければならないであろう自分の道に思いを馳せました。

 大洲、宇和間を菊地さんの車に乗せてもらい往復している間、菊地さんと過ぎ越し人生や今、そして将来のことについて大いに話しました。二人には酒を愛し、夢を語る当時の姿はどこにもなく、彼も私も大病を患ったせいで、空気の抜けたフーセンのように痩せこけていて、「お互い健康には注意をしよう」と慰め合うのが精いっぱいでした。人生80年という長寿の時代に、楽しみにしていた年金も殆ど貰わず63歳の若さで亡くなった正兼さんの冥福を祈りながら、健康への誓いを新たにした悲しい一日でした。


  「俺よりも 若い親友 先に逝く 遺影に無言 語りかけつつ」

  「痩せこけた 俺の顔見て 遺影言う もっと元気で 長生きしろよ」

  「大酒を 飲んで大いに 夢語る ありし日姿 昨日のように」

  「地球から 姿消したる 友思う 何年か後に あの世再会」

  

 

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