〇仕事ができる人は違う
90歳になる親父を見ていると「仕事ができる人はバックヤードの整理が綺麗」だとしみじみ思います。親父は一日中家にいてこまごまとした自宅周辺の掃除や家庭菜園の管理に余念がありませんが、暇がるから身辺が綺麗なのではなく、どうも性格のようなのです。親父は主に住んでいる隠居家と倉庫の中にしつらえた仕事場で一日を過ごしますが、大工道具類にしても農作業具類にしてもきちんと整理整頓や修理ができていて、目をつぶっていても分かるほどなのです。私が親父の道具類を無断で使って元の場所へ戻し納めているように見えても、道具を使ったことが分かるほどの徹底ぶりなのです。
片や私はどうでしょう。私の仕事場は主に自分の書斎と人間牧場なのですが、人間牧場の脳具類はさて置いて、いずれも紙類中心ながら片付かないばかりか、かなりのものが横積み状態で置かれていて美観を損ねているのです。「一年間見なかった資料はごみに等しいから処分すべし」は整理整頓の達人の言葉なのですが、ものの不自由な昔に育った私は「勿体ない」「いずれ役に立つ」という気持ちが先に立って中々捨てきれないのです。「そのうちそのうち」と思っているうちに一日が終わり、早くも一年が終わろうとしています。昨日は思い切って机の上の紙類をごみにして、畑の隅のドラム缶で作った自家焼却場で火を付けて処分しました。多分中には必要なものもあっただろうと思うのですが目をつぶりました。
最近私に用事があってわが家へ来る人を応接間へ案内することは殆どなくなりました。勝手知ったる人は私の南側に面した書斎裏口から「おるかい」と気軽に声をかけて入ってきます。妻はそのことが気に入らないようで、「お客さんに失礼だ」と応接室を使うよう勧めるのですが、もうこの歳になると恥も外聞もなく、「裏も表も見せて散る紅葉」なのです。
私は外へ出ていない限りはこのバックヤードとも思える書斎兼仕事場で紙類に囲まれ一日を過ごします。この書斎に移ってもう10年近くが経ちましたが、本類を人間牧場へ移したため随分すっきりとしてきました。しかし昔と違うのはやはりパソコン類に関する道具が多くなったことです。CDやフロッピーが書棚の一角をわがもの顔に占領しています。その中には御用済みのものがあるのに整理できていません。これもいずれはと思いつつ、日々の忙しさに忙殺され忙しさを言い訳にして片付けないのです。
90歳の親父を見てもうそろそろ親父の生き方を真似しないといけないと思っています。今年を締めくくる清水寺の森管長が書いた「変」という漢字にあやかり、来年こそは「仕事ができる人はバックヤードの整理が綺麗」といわれるような変化を進化を遂げたいものだと思っています。親父いわく「来年なんて考えるな、今から行動しろ」とは当たらずも遠からずです。反省だったら猿でもできるのですから。はい私は申歳です。
「九十の 親父見習う ことばかり 強く生きねば 師走に思う」
「そういえば 親父の道具 ここにある 使ったままで 返すの忘れ」
「紙届く 紙を処分の 繰り返し 無駄だ思うが あいも変わらず」
「来年は いやいや今だ 始めるは お陰で少し 片付きました」