shin-1さんの日記

○カレンダー

 年末になると沢山のカレンダーがわが家に持ち込まれます。現職の時代は選りすぐって必要なものをいただいて帰っていましたが、今は息子の仕事上のものが多く、旅や自然ではなくむしろ建築物といった感じの物が多いようです。基本的には一番家にいる機会が多い妻が居間、台所、トイレの順で決めて行くのですが、台所には大きな日めぐりと私の一ヵ月の予定を書き込めるこれまた大きなカレンダーが掲げられ、新しい年を迎えう準備は着々と進んでいるのです。

 数日前郵便局へ荷物を出しに行ったら役所の大森さんに出会い卓上用の双海カレンダー2009というのをいただきました。大森さんは双海町役場時代に広報を担当していたこともあって、パソコンでこうしたものを作る技術にたけていて、人間牧場来客用のスクラップブックをリーフレットにしてプレゼントしてくれました。

 月捲りのカレンダーの表紙は翠小学校の全景です。昭和6年にできた赤い屋根の校舎は現役木造校舎としては最も古く、すっかり有名になっています。今ははエコ改修が行われつつあります。さてさて一足早くカレンダー12ページをめくってみましょう。

1月は日本水仙花開道   ご存じ下灘豊田漁港を一望できる高台に白い水仙畑が青い海をバックに広がっています。今年は17日と18日の二日間水仙祭りが開かれ大勢の人が訪れることでしょう。

2月は冬の海です      満野から高野川に至る国道378号はどこからでも綺麗な冬の海がのぞめます。特に冬になると浮島現象によって島影が空中に浮かび沖の船も空中を走っているようです。

3月は閏住地区の菜の花です JR予讃線と国道378号の間になる斜面が一面菜の花に彩られます。3月1日の菜の花祭りや菜の花ウォークも沢山の人がやってきます。また菜の花トロッコ列車も運行されています。

4月は本郷千人塚の桜です 双海町には通称八景山周辺は桜の名所として知られていますが、千人塚の池周辺の桜はひと際美しくカメラの被写体として度々登場しています。

5月は潮風ふれあい公園のツツジとアジサイです 毎年5月の連休ころに咲く潮風ふれあいの館周辺に咲くツツジと高野川駅のツツジも見事です。また潮風ふれあい公園内にはアジサイも沢山植えられています。

6月はほたるの里ふたみほたるまつりです 毎年6月第1土曜日に行われるほたる祭りには多くの観光客がやってきて、幻想的なほたるの乱舞を楽しんでいます。ほたる市やめーセージフーセンも話題になっています。

7月は双海のシンボル本尊山です。 一山をなすこの山はまるで絵にかいたような美しさで、春夏秋冬それぞれ趣があります。特に唐崎方面から見た本尊山と秋のハゼ紅葉の頃が一番美しいといわれています。

8月はシーサイド公園です 夏になると沢山の人が海水浴に訪れ砂浜は原色のパラソルや水着に彩られます。特に若者に人気の高いスポットで恋人岬は全国恋人の聖地100選にも選ばれています。

9月は下灘駅の夕焼けプラットホームコンサートです 今年で24回目を迎えたコンサートも今では県下屈指のコンサートとして有名になっています。当日は夕焼けトロッコ列車も運行されます。

10月は秋祭です 三島神社や豊田神社、天一稲荷神社、若宮神社、高野川神社などから神輿が繰り出し威勢良く町内を練り歩きます。子ども神輿や獅子舞も出ます。

11月はやはり本尊山の秋でした 7月の写真は下灘みなと祭りでも良かったかと思いつつ、めくる楽しみを感じつつめくりましたが、この写真ののアングルが長い長い灘町の鉄橋なので納得です。

12月はシーサイド公園のサンセットロママンチッククリスマスです 大空からサンタクロースやトナカイがパラグライダーに乗ってやってくる奇抜なアイディアは当時全国的に話題になりました。

 人それぞれに人それぞれの思い出の場所があります。双海町も探せばもっともっと町外の人に自慢できるようなカメラアングルがあるはずだと思いつつ、まだ新年も来ていないのに楽しく一年を追いかけてしまいました。大森さんありがとうございました。

  「歳の瀬に いただき物の 新しき 卓上カレンダー めくりつ夢を」

  「明日から 机の上で にらめっこ このカレンダーに 管理されるか」

  「後輩が こうして手配 してくれる お陰で俺も 音痴ならずに」

  「アイディアは こうした実践 積み重ね いつか芽が出る 陰徳果実」

  

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shin-1さんの日記

○縁起を担ぐ

 昨夕親父が、「明日は暦を見ると仏滅のようなので、今日中にお飾りを飾った方がいい」と言ってきました。「藁を貰う日も、藁をそぐる日も、ましてやお飾りを作る日もいい日を選んでいるのですから、最後ぐらいはきちんと」というのが親父の本心のようです。夕食が終わって少しくつろいでいた頃だったので腰は重たかったのですが、年寄りの言い分にも一利あると思い、帰省している長男と一緒に私の書斎にストーブをたいて始めました。既に作っているお飾りのほか、竹やウラジロ、干しガキ、ダイダイ、半紙、水引き、お参盆などを取り急ぎ用意し、慣れた手つきで始めました。息子もこれまでに何度か手伝ったこともあるので通称おたまじゃくしというお飾りにウラジロをつける作業をしてくれましたがスムースです。私は包書の中にタツクリやお米、切り餅などを要領よく包み込み水引きで綺麗に縛るのです。最近は近所のお店でもこの水引きの入手ができなくて、三年前から新品の祝儀袋に使っている水引きを丹念にほどいて使っていますが、これが案外重宝なものなのです。

若松進一ブログ
若松進一ブログ (熱心に見入る長男の長男希心)

 やがて本番とでも言うべき本宅の玄関と隠居の玄関、それに神様棚のお飾り仕上げに取り掛かり、氏神様からいただいたお札を付け、出来上がったお飾りを暗闇の中息子と二人、懐中電灯と脚立で取り付けました。昨夜は季節風が吹き荒れ寒い夜で強風で吹き飛んでいないか心配していましたが、今朝はどっしりと玄関を飾っていて安心しました。

 風呂を入る前の長男の息子もまだ1歳4か月で何のことか分かりませんが、お父さんとおじいちゃんが別室で何やらやっていることが気になってときどき覗きに来ていましたが、この子どもの頃にはこんな古い日本の正月を迎えるしきたりも古いとい名の下に消えてしまうのかと思うと、少し寂しくなるのです。近所の人に聞くとお年寄りがいてももう何年も前からお飾りはお店で買うものと決めているそうで、近所かいわいでは私の家が最後の砦になっているようです。


若松進一ブログ(隠居の玄関のしめ飾り)
若松進一ブログ(本宅の玄関のしめ飾り)

 民族学者宮本常一の本を読み、民俗学に興味を持つ私にとっては、余りにも早い時代の流れに翻弄されて日本人が日本人たることを忘れてタダ無意味に行動いるような気がして心が痛むのです。確かに頭では民俗学も本を読めば分かるし理解もできるのですが、いざ自分の身の回りの実践ということになるとかなり怪しいのです。

 私の家は3代続いた漁師の家です。私が4代目なのですが漁師の後を継がず、わが息子も、多分その息子も漁師と縁のない世界に生きることでしょう。でも私まで4代続いた習慣を私で終わらせるわけにはいかないと思って、色々と考えた行動をしていますが、はて時代につながるかどうかはこれまた微妙です。人は神仏をも含めた自然という目に見えないものに恐れおののき、信仰という形で神仏のご加護を願い生きてきました。この町には漁師町故にそんな伝統や風習が沢山ありますが、この10年くらいでほとんど姿を消してしまいました。記録にとどめるすべもなく消えてゆくのを指をくわえて見ている今に生きる人間の愚かさも垣間見るのです。そんなジレンマのはざまの中で今年も暮れようとしているのです。


  「風邪伏せる そんなの理由 なりはせぬ 今日中飾り 作って飾れ」

  「明日あたり 四代長男 集まって 記念に写真 撮って残こそか」

  「長男の 長男一番 風呂に入り 長男の次 長男残り湯」

  「よく出来た 見上げる戸口 しめ飾り 神々しくて 新年間近か」 

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