○人に感動や勇気を与えることは難しい
私はこれまでの人生の中でどんな人に勇気を貰い、どんな感動をしたのだろうと自分自身の人生を振り返ってみました。最も強い勇気と感動を貰ったのは意外や意外身近な所にありました。それは26歳の時に私と結婚した二宮繁子という一人の女性と、この女性が産んだ4人の子どもの出産でした。
私の生活設計では26歳で2歳年下のK子という南予の人と結婚したいという願望を持っていましたが、名前も年齢も違ってはいたもののほぼ目標通りの女性と結婚できたのです。以来38年間も飽きもせず別れもせずに一つ屋根の下で暮らしているのです。今では空気のような存在になっていますが、妻ほど私に感動や勇気を与えてくれた人間はいないのです。私が留守の家を守り、4人の子供を育て、家計のやりくりをして家族を守り続けてきました。まあ自分が自分の妻を持ち上げるのも変な話ですが、真っ先に挙げるとすればそうなってしまうのです。
自分の子供が生まれた時も不安ながらも大きな感動や勇気を与えてくれました。私には今時珍しい4人の子どもがいますが、誰ひとりとして要らない子どもではなく、それぞれにそれぞれの夢を実現するため一生懸命生きています。残念がら飛びきり優秀な子どもではありませんが、ごく普通の子どもに育ています。まあ両親を足して2で割ったら丁度いいのだといいますから、私たち夫婦にとっては優しく思いやりのある、それでいて社会に迷惑をかけず健康であるという最低の条件を備えているのですから良しとしなければなりません。
子どもは宝だとよく言われますが、子どもを4人も育てることは容易なことではありません。まして現代は子どもの教育にお金のかかる時代でもあるのでそれなりに苦労しましたが、でも発育のその時々に泣いたり笑ったり、時には叱ったりしながら子どもとともに私たち夫婦も成長してきたように思うのです。
「妻と巡り合わなかったら」、「子どもが4人生まれていなかったら」と思うと、やはり妻も子どもが自分にとって感動や勇気を与えてくれた一番の功労者だと思うのです。結婚してから今日まで様々な出来事の時々には「なんでこんな女性と結婚したのだろう」とか「子どもさえいなければこんな苦労をせずに済むのに」と一瞬そんな思いが掠めたこともありますが、今になって思えば「済まなかった」と詫びる気持でいっぱいなのです。
さて私が感動と勇気を与えてもらったと同じように、私が誰かに感動や勇気を与えることは難しいことだとしみじみ思うのです。私はこれまで家庭、職場、地域、仲間といった違う世界で様々な役割を果たしてきましたが、特に私のフィールドである地域づくり活動やボランティア活動で様々な人との出会いを重ねてきました。その中には忘れられない感動や勇気を貰った場面が沢山ありましたが、はて私は誰に感動と勇気を与えたのであろうかと思うと、少々心もとない感じがするのです。でも私と活動を共にしたり私の話を聞いたり、時には私の生き方に接して、「勇気や感動をいただいた」という人に出会うのです。そんなに多くはありませんが、これからもそうした出会いを重ね少しでも社会のお役に立ちたいと思っています。
「感動や 勇気貰った 妻や子に 今度は俺が 与える番だ」
「何気なく 同じ屋根下 暮らしてる そうか俺には 妻が一番」
「結婚も 子ども生まれた その時も 嬉しさ募り 雲の上行く」
「お互いが 零点だった 出会いだが 百点目指し 今も努力を」