shin-1さんの日記

○カーナビゲーション設備が故障

 数日前、妻が孫を連れてドラえもんの映画を見に行くというので、重信の映画館にアクセスしようと電話番号検索でカーナビをセットしましたが、どういう訳か言う事を聞いてくれません。仕方がないので感を頼りに出かけて行きましたが、どうにか開演時間に間に合ったようでした。その後も私が再三再四いじくるけれど、データが入力できないと表示があるのみです。どうやら故障かなと思い、カーナビを設置してもらった砥部町の懇意な車屋さんに出かけましたが、ご主人はあいにく留守で、昨日代車を持って来て車ごと取って帰ってもらいました。

 今朝電話があって、どうやら修理するにはカーナビ本体を取り外し、メーカーに送らねば修理は出来ないというのです。取り付けてから5年以上も経っているので、その後のカーナビの性能は著しく向上しているので、修理より取り替えた方がいいような口ぶりでしたが、愛着のある機種だけに今回は修理を頼んだのです。車屋さんの話によると、修理には2週間ほどかかるらしく、住所を探す自家用車での旅も今のところないことから、また代車を戻して、これから2週間カーナビのない不便な生活が始まるのです。

 カーナビを取り付けてから、私の講演活動などは一変しました。時間を追うように忙しく動き回る私にとってカーナビはまさに百人力で、時間的なロスが殆どないのです。特にカーナビを取り付けてよかったと思うのは、夜間知らない道を走行するときです。私が車で行く場所は中国四国、九州の主に山間地や漁村など田舎が多く、夜ともなると聞く人とて殆どないような場所が多いのです。ましてや田舎の道は道路標識も殆どなく、また県道や市町村道となるとまるで迷路のようで、間違いなく走れるのが不思議なほどなのです。そのためカーナビには随分助けられました。取り付け金額が幾らだったか覚えてはいませんが、もう充分に元は取ったようです。

 最近5歳になる孫の朋樹がカーナビに興味を示し、用事もないのに遠隔操作でいじりまくるのです。それでも壊れないから大目に見ていましたが、これからは触らせないようにしないといけないと、車屋さんに笑って話しをすると、「それもお孫さんへの投資ですよ」と笑われました。

 今回の修理で予期せぬ出費がかかりますが、ついでにETCを取り付けようと思っています。私は愛媛県の金融広報委員会で金融広報アドバイザーをしていますが、カードでの決済は殆どしない暮らしをしています。ゆえにETCの導入は今まで躊躇していましたが、便利、安いとなると取り付けない訳にはいかず、ついに思い切って取り付ける事にしたのです。

 カード決済は確かに便利です。現金を持たずとも買い物も出来るし海外旅行だって平気です。でもどこか好きになれない私はやはり古いタイプの人間なのでしょう。偽装カードの心配も、カードでのトラブルもないのですから、これほど確かなことはありませんが、カード時代に乗り遅れた人間にとっては何とも複雑な気持ちです。

 カーナビが復旧するのを首を長くして待っているのは私だけでなく、妻も同じです。カーナビを利用して八十八ヵ所遍路旅をこれまで10年間もかかってやってきました。納経帳は既に全てのお寺を終わっていますが、掛け軸がまだ少し残っています。早く終わらせて高野山参りをしたいと思っていて、この春先から楽しみにしていたようで、出鼻を挫かれたカーナビの故障に、身も心も沈みがちなので、一日も早い回復を祈りたいと思っています。

  「カーナビの 声に諭され 間違わず 知らない道を 随分走る」

  「ついでにと 注文したが ETC 何の略語か とんと分らず」

  「お遍路も カーナビお陰 喧嘩減り 後は高野へ お参り行くのみ」

  「右曲がれ 左へ曲がれ その都度に まるで空から 私を監視」

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shin-1さんの日記

○借景に値する本尊山

 わが家の直ぐ目の前に本尊山という標高180mの山が聳えています。この山は峰が海岸まで突き出しているため東側の一部分を除いて表、横、裏と3方から見ることが出来る大変珍しい山で、双海町のシンボルとなっていますが、車道がなく急な山道だけ、しかも踏み切りもない予讃線の鉄道線路をまたがなければならないので、上る人も殆どなく、荒れた山となっています。中世時代には頂上付近に城郭があって、今でも郭と思しき平地が幾重にもあって、往時を偲ぶことが出来ますが、矢竹が生えているため、クモの巣に行く手を阻まれ、それ程高くない山なのに町民には比較的縁遠い存在なのです。でも双海町民は雑木林に覆われたこの山の優美な姿にどこか惹かれているのです。

 この山の姿が一番美しく見えるのはやはり西側からで、唐崎辺りから見るとまるで中国の水墨画に出てくるような美しい景色をしており、菜の花の咲くこの頃には、「菜の花や月は東に日は西に」の言葉そのままの姿を見ることが出来るのです。勿論夕日のメッカふたみシーサイド公園からの眺めも素晴らしく、来園した人から「あの山は変わった形をしていますが何という名前の山ですか?」と尋ねられることがよくあります。

 私がまだ若く、まちづくりを始めた頃、その頂上へ中世の城郭を再現しようと試みたことがありました。一週間をもかけて、草刈機で矢竹を刈り、日本城郭協会の井上会長を招聘して踏破調査を行い、城郭公園の概略まで書き、県の補助金まで取り付けたのです。でも性急な行動に疑問があるし、自然破壊になると反対が起こり、断念せざるを得ませんでした。枕木千本をJRに寄付してくれるよう頼んで、町民のボランティアで日本一長い階段を作ってやろうと、そこまで計画は具体的になっていましたが、残念ながら頓挫をしたのです。今でもその当時のやる気と図面が脳裏に焼きついていて、宝くじでも当たったら自費でもなんて馬鹿な事を考えて歯向かっていました。

 この山の魅力は切り立った険しさです。何十年か前までは「山見小屋」と称する漁業基地がありました。イワシの魚群を発見する最前基地です。目利きの良い漁師さんが毎日登り、海の色を見て白い大ウチワのようなザイを振り、「ツォーイ、ツォーイ」と大声を張り上げて漁船や漁民に魚群の位置を知らせていました。魚群探知機の普及でその役割を終え、晩年は無線の中継基地となっていましたが、今はもうその姿を見ることは出来ません。

 ここは天一稲荷神社の奥の院となっていて、鳥居が立っています。昔小網青年団が建てたそうですが、風雨で崩れていました。最近になって有志が建立し、シーサイド公園からは眺めることができます。また中腹には私たちの家も加入しているテレビの強調アンテナが立って、私たちにいい電波を受信させているのです。またここには時を告げるサイレンが設置されていて、朝5時、12時、夕方5時に時を告げ、火事などの緊急荷物会われていましたが、それも有線放送の普及によって姿を消しました。

 わが家からは、直ぐ手の届くような位置に見えますが、その姿は西から見る優雅さとは似ても似つかぬ荒々しい姿をさらけ出しています。自然林のため、春の芽吹き、そうもうそろそろですが山桜が松の緑に映えそれは美しい景色です。初夏の霧のたなびき、盛夏の残照、秋のハゼ紅葉の鮮やかさ、冬の雪景色など、どれをとっても素敵な、わが家にとってはまさに借景なのです。

 年に一度は登りたいと思っていますが、今日当たり転機が良いので孫を連れて登ってみようと、今朝の本尊山を見て思いました。

  「あの山に 夢を描いた 若き日が 今は遠のき 加齢ひしひし」

  「分け入りを 拒み続ける 神の山 遥か中世 同じな人が」

  「ウグイスの 馴れた鳴き声 遠くから おいでおいでと 呼んでるようだ」

  「朝な夕 この山見つつ 暮らしてる 借景俺の 築山じゃけん」

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