shin-1さんの日記

○神様棚の福助人形

 昔の人は信心深く、神仏への祈りを朝夕欠かさずしたものでした。私の脳裏にも亡き祖母や母の呪文を唱えながら祈る姿が今も焼きついているのです。88歳で亡くなった祖母は朝日や夕日にさえも手を合わせていました。その姿から学ぶのは人間は自然への畏敬の念を忘れてはならないということのようです。最近起こる天災さえも人間の身勝手な快適性の追及が自然を破壊したからであると警鐘を鳴らす人がいて、その数は増え続け「環境保全」を叫ぶ声が次第に高まりつつあることは喜ばしい限りです。でも一方では心無い人たちによって自然はどんどん壊れているのです。何処でどう調べたのかは分りませんが、北極の氷が去年一年間で日本列島の二倍の量も溶けたというのですから驚く他はありません。

 こんなデーターを見たり聞いたりしても余りピンと来ない人もいるようですが、私の町ではつい最近、今まで見たこともないような魚が取れ始めています。聞くところによると私の町の海水温度がこの10年間で2度くらい上昇しているという話を聞きました。これも二度くらいと思う人がいるかも知れませんが、2度とは100キロ南の海水温度なのです。海の水は太陽や外気温に左右されて温度が変化するものですから、海水温度を2度上昇させるためには相当の付加をかけないと上がらないのです。つまり何らかの人為的が自然為的な負荷がかかった結果の上昇なのですからこれは驚嘆の数字なのです。

 この数字を元に戻すことは人間の力では至難の業なのでしょうが、それでも私たちの身近な暮らしの中で一人一人が始めなければ始まらないことも事実なのですから、今日から、いや今からでも出来ることから始めなければなりません。ストーブの温度を低くする、小まめに電気を消す、ぢ度頃の流し台からの雑排水を気をつけるなどなど、気がつけばやることはいっぱいあるのです。

 母や祖母が朝な夕なお祈りを捧げていた神様棚に昔、福助人形があったのを覚えています。濃い意藍色淡色だけの焼き物人形でしたが、いつの間にか姿を消しているのです。妻に聞いてもよく覚えていないそうなのですが、私の記憶では確かに神様棚の奥の方にすすけた姿でありました。

 子どもの頃、この福助人形が何で神様棚にあるのか不思議で祖母に聞いたことがありました。祖母は明快に福助さんの教えを五つの言葉で説明してくれました。

 まず顔です。いかにも円満な顔立ちは「仁」、眼差しは「義」、裃を着けて身なり正しく正座した姿は「礼」、チョンマゲ姿の豊かな思想を連想させる頭は「智」、ぬかずく姿は「信」と教えられました。まだ子どもだったため、その5つの言葉全てを理解することは出来ませんでしたが、なるほどと分ったような顔をして聞き入ったものでした。

 「仁」とは、慈しみ、思いやり。

 「義」とは、理にかなったすじみち。

 「礼」とは、敬意を持ったふるまい。

 「智」とは、知恵、知能。

 「信」とは、言いたがえないこと。

 なるほどなるほどです。近いうちに骨董屋へでも立ち寄り福助人形を買い求め、神様棚に座ってもらいたいと思う今日今朝この頃です。

  「福助の 教え祖母から 聞いていた 人形消えて 教えも消えた」

  「なるほどと 文字に表し 確認す 五つの教え 未だ極めず」

  「パソコンを 使え進んで いるように 見える私は 祖母より以下だ」

  「人形が たった五文字の 深い意味 教え諭した 足袋は何処に」

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shin-1さんの日記

○愛媛県知事の答弁

 わが家は愛媛新聞という地方紙をとっています。本当は中央紙も読みたいのですが、長年中央紙は役場で読むものと依存していたためと、2紙もとる余裕がなかったし今もないというのが本音なのです。私のようによく中央紙に取り上げられると、その日自分が掲載された新聞を読むことができず、「出とった」「読んだ」と全国から電話やメールが届いて慌ててコンビニへ買いに走るのです。確かに地元紙と中央紙とでは視点が違いますが、これまた私のように長年まちづくりなどに携わっていると、地元紙の影響が多いためついつい地元紙を最優先してネタを回すことも長年の癖なのです。

 一昨日新聞の三面を読んでいて面白い記事を見つけました。面白いといっても別に人様にとっては何ら面白くない記事です。三面記事といえば昔は事件事故でしたが、愛媛新聞の場合は社会面なのです。そこには2面の政治経済の続きが混在しています。その中に県議会の代表質問の要旨と答弁要旨が載っていました。木村誉議員の質問に愛媛県知事が答弁しているのです。

 〈木村誉氏の質問〉

 地域づくり人材育成への取り組み

 〈加戸知事〉

 地域の自立的発展には中核となる人材の育成が欠かせず、県内でも町並みを活用した喜多郡内子町や夕日を観光資源にした旧伊予郡双海町の成功を支えたのは熱意あるリーダーや賛同する地域住民の熱心な取組だった。県は四月の地方局再編に伴い、新ふるさとづくり総合支援事業創設し、地域づくりマネージャー招聘など市町村が取り組む人材育成を積極的に支援したい。

 以上のような記事が載っていました。目敏く見つけた読者である知人がメールで感想を述べてくれましたが、「成功を支えた熱意あるリーダー」とは誰か、「賛同する地域住民の熱心な取組みだった」とは誰かを察しながら読んだそうです。

 地域づくりにとって欠かせないのはリーダーの存在でありそれを支える地域住民です。もし知事さんが頭に描いて答弁したリーダーが、知人の言うように私であるとすれば、それは大変光栄なことなのですが、リーダーとはいかなるものか、最近になって時々迷うことがあります。リーダーの素質は最初から持って生まれたものではありません。私がそうであったように色々な場と機会、それに人に会って感化され成長して行くものなのですが、その場所や機会それに感化を受けるべき情熱を持った人が極端に少なくなっているのです。またそんな場所や機会があっても、自主的に学ぼうとする人が残念ながら少なくなってきたことは事実です。いい指導者はいい後継者をつくるという話が本当なら、私の後には沢山の後継者がいてもいいはずなのに、その数は少ないようですから、私は落第指導者となるのです。それでも私はまだましな方で、私の周りには沢山の仲間が集まり、次を目指す意欲ある人も人間牧場へ沢山集まってきています。

 地域住民の存在はこれまた、社会の変化や経済の潤いによって大きく変化します。もし知事さんが頭に描いて答弁した地域住民がじゃこ天のおばさんたちであるとすれば、納得のいく人たちなのです。漁協女性部の存在なくして夕日を観光資源にした地域づくりは語ることができないのです。年年歳歳元気度をアップしているおばさんたちの存在がこれからも長く続くことを祈るのです。

  「新聞を 読んだと仲間 メール来る お前のことと いわれ戸惑い」

  「県知事の 答弁読んで 妻曰く 選挙に出るな 出たら離婚と」

  「落第の レッテル貼られ 去ってゆく そんな日近し 後なきいのち」

  「もう少し もう少しだけ 頑張ろう さすれば生える 根や芽が伸びる」 

 

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