shin-1さんの日記

○菜の花ウォーク

 今日は冬の寒さも和らいで、外気温が10度以上となって、戸外へ出るには絶好のお天気です。かつて私が現役の頃仕掛けた菜の花ウォークというイベントがあるというので、妻と妻の友人を誘って3人で出かける事にしました。このところ忙しくて夫婦で出かけることが殆どなかったものですから、罪滅ぼしのつもりで参加する事にしましたが、何時からやるのかもさっぱり分らず、とりあえず9時くらいからだろうと想像し、自分達の体力に合わせた計画を立てました。

 まず、妻と私で何キロくらい歩けるか予測してみました。私は無理が効いても妻は?と心配し、片道15キロ往復なしという結論に達したのです。早速準備をして早めに私と妻が2台の車に乗って、15キロ付近と思われる喜多灘駅近くに行き、リタイア用の車を駐車しました。その後私は妻の運転する田舎のオープンカーに乗ってシーサイド公園まで帰り、出発まで時間があったのでその車を自宅まで持って帰り、自宅からシーサイド公園までの1キロ余りを急ぎ足で歩き、妻と合流しました。

 今日の予定は9時から受付、9時半から開会式、10時出発だそうですが、9時になって受付が終わると、3人で早めに歩き始めたのです。海は凪、空は真っ青、周りには少し遅めの水仙と今が盛りの菜の花を見ながら快調に歩きました。日頃見慣れた車で走る景色も、歩いて自分の目線で見ると随分違って見え、日頃の世間話に花を咲かせながらのんびりゆったりです。頻繁に通る車には顔見知りもいて、手を振ったりクラクションを鳴らしたりして合図をしてくれました。

 私の計算だと私たちの歩数で大体一時間で5キロ余りを歩きます。1時間で閏住の菜の花畑へ到着しました。予想通りの時間と距離にびっくるしました。閏住地区では毎年恒例の菜の花祭りが開かれ、地区民総出で準備が行われ、餅をついたり商品を販売したり、気の早い人は缶ビールを飲んで雰囲気を盛り上げていました。

 直ぐ側のくじらという妹のお店でも弟や姉夫婦、それに妹婿の兄弟や子どもが手伝いに来ていて、一年で一番の人出を当て込んでおでんや弁当を販売していました。私たちもご相伴にあずかりおでんを食べましたが、小腹が空いていてジャガイモや厚揚げの美味しい味に舌鼓を打ちました。

 やがて日本で一番海に近い下灘駅まで着ましたが、出発時に押してもらったスタンプに次いで、ここで2つ目のスタンプを押してもらいました。驚いた事にこれらのスタンプは私が現役中にデザインして作成したものでした。

 港が一望できる浄土の坂で記念の写真を撮り、しもなだ運動公園でトイレ休憩をしました。そして街中や豊田漁港の側を通って、本村の菜の花畑へ向いました。冨貴の差し掛かったころ、直ぐ上の線路をトロッコ列車が追い越して行きました。お客さんは上灘駅で降りたため殆ど空の状態でしたが、2時半過ぎには帰りのお客を積んで長浜から上ってくることでしょう。


 私たちは12時前に一足早くラメールという馴染みの店で日替わりランチとピザを注文し昼食をとりました。海を眺めて食べる食事も格別でした。いよいよ目的の15キロ地点に差し掛かった頃には、後続のウォーカーが次々と追い抜いて行きましたが、私たちはのんびり組なので気にもせず、休憩の後私の車に乗って直ぐ側の今坊地区まで出かけました。そこは昼食時間と休憩時間が合致した地点なので、大きな鍋で猪鍋が作られ、また餅つきなどが行われていました。友人の亀田さんに猪鍋をご馳走になり、友人の津田さんに勧められて餅つきまで飛び入り参加しました。私の同級生が近くに嫁いでいて、せっせと餅を丸めていました。声をかけ懐かしい会話を交わしながら、お土産にお餅までいただきそこを後にしました。


 ゴールである長浜駅の近くで二人を降ろしゴールのスタンプをいただきました。長浜駅構内にはテントが張られお店が出ていたし、早咲きの桜をバックに嵐太鼓の面々が準備を整えてウォーカーの到着を待っていました。甘酒の接待を受け、名残惜しく私たちは大洲の風呂へ一目散に走り、軽やかな春の汗を流しました。

 折から雨が降り出し、雨に濡れることもなく終わった早目のウォーキングに満足し、又来年も歩こうと、当てのない約束をして散会しました。


 妻も妻の友人も、勿論私も予想以上に強健である事に自信を深めましたが、若者はその日、年寄りは明くる日体に堪えるそうですが、はてさて明日の朝はどうなることやら・・・・。

  「歩く前 歩ける距離を 想定し 車を運び 準備万端」

  「そこここに 春の息吹を 感じつつ 三人仲良く 歩幅合わせて」

  「カメラマン 同行しての ウォーキング まるで芸人 二人の女性」

  「中々の 健脚だよね 褒めあって 明日朝痛い 言うかも知れず」

 

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shin-1さんの日記

○5月2日までは生きれると保証

 今年は閏年で2月が一日余分にあったためではありませんが、医者の勧めで2月の最終29日、県立中央病院へ健康診断に出かけました。昨年はどういう訳か一年中ことの他忙しく、健康診断の日と重要な会議が重なり、予定していた診断日に行けなくなり、気がつけば半年程も病院の健康診断を受けていなかったのです。妻はそのことが気がかりで、病院へ行くよう再三再四勧めてくれるのですが、「忙しい」事を理由に拒み続けていました。業を煮やした妻は私の予定表の空いた日を目敏く見つけて、勝手に予約センターへ電話して申し込んでしまったのです。1月18日に健康診断に出かけた折、血液検査などを済ませ、その結果の問診もあるので2月29日にガン検診なども受けるよう主治医から勧められました。

 前日の夜9時から食事をしないようにとの触書に基づいて、空腹でまず胆のう手術をした痕跡周辺のエコー検査をしました。半身裸の腹や背中に何やら粘々したゼリーを塗られ、二人の検査技師がパソコン画面に写っている映像を見ながら動かし回るのです。検査は10分ほどで済みましたが、腹や背中を厚い蒸しタオルで拭かれたものの、何となく気持ちが悪く違和感を感じるまま、今度は胃ガン検診です。いつも思うのですが「大腸ガン検査」とか、「胃ガン検査」とか、名前が少しグロテスクなような感じがして気味悪く感じるのです。「大腸検査」「胃検査」で充分なのに何故か「ガン」という項目をつけるため不安をあおってしまうのです。

 「胃ガン検査」にはカメラを入れる方法と外からX線で透視する方法の2種類がありますが、私は胃カメラを飲んだ経験がなく、今回もバリュームを飲んで透視する方法を選びました。胃ガン検査はまるで宇宙遊泳の訓練場のようです。検査台に乗るとガラス張りの向こうから遠隔操作する検査技師がマイクを通じて「上になって」「右になって息を止めて」などと、矢継ぎ早に指示を出して検査台がくるくる回るのです。緊張の余りに左と右を間違えたりしますが、発泡剤を飲んでいるためゲップが出そうで、バリュームを飲みながらの検査はこれまた気持ちのいいものではありませんでした。

 やがて終りを告げるアナウンスがあって外へ出ましたが、口の周りは白いバリュームが一杯ついて、お歯黒ならぬお歯白で、口を何度ゆすいでもこれまた気持ちのいいものではないようです。検査室を出る時、「検査結果が出るには一時間以上かかりますのでそれまでどこかで時間を潰してから主治医の診察を受けてください」と指示がありました。病院からは一刻も早く出たい心境だったので体内のバリュームを外に出さなければならないため自動販売機で水を買い飲みながら歩いて、えひめ地域政策研究センターまで行きました。研究員の方には悪かったのですがそこで30分余り時間を過ごし、再び診察のため病院へ向いました。

 「若松様」とクラークさんが診察室へ呼び込んでくれました。先生は前回の血液検査の結果をカルテで確認しながら様々な項目について詳しく説明してくれましたが、少し数値が高いものがあるものの今のところ異常がないとの結論でした。「休息と栄養に気をつけるように」指示を受け、次回の予約は5月2日と決定しました。

 この時点で胃ガン検査の結果が主治医に届いていないため、「何かあったら電話連絡するから」と電話番号の確認をされました。

 さてあれから1週間余りが過ぎました。外出の多い私はそのことが気になりながらも殆ど忘れているのです。昨日福岡、秋田と長旅から帰った折その事を思い出し、妻に「病院の先生から何か電話はなかったか」と確認したのですが、今のところ電話で「再検査が必要」という知らせはないようなので一応安心しているところです。

 病院の健康診断で悪い結果が出ると、「もう病院へは行きたくない」といつも思い、良い結果が出ると「やはり健康診断だけは定期的に受けなければならない」などと、揺れ動く心そのままに考えてしまうのです。人間は、いや私はこのように口で大きな事を言ってはいても小心者のようです。第一病院が嫌いな最大の原因は注射が嫌いなだけなのです。「その顔で」とこれまた良く笑われますが、私は大の注射嫌いなのです。

 まあこの健康診断で主治医の先生が「とりあえず5月までは大丈夫」と2ヶ月間だけ保証してくれたのですから、有り難いと思わなければなりません。5月2日を忘れることなく次の健康診断までに体をつくりたいものです。

  「五月まで 生きると保証 してくれる 医者の言葉に 少し安心」

  「検診の 結果気になる 私でも も少し長く 生きていたいね」

  「胃の透視 結果伝える 電話なし 多分良かった 勝手に思う」

  「これからは 二ヶ月一度 病院へ 心に決めて 医者と約束」

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