shin-1さんの日記

○借景に値する本尊山

 わが家の直ぐ目の前に本尊山という標高180mの山が聳えています。この山は峰が海岸まで突き出しているため東側の一部分を除いて表、横、裏と3方から見ることが出来る大変珍しい山で、双海町のシンボルとなっていますが、車道がなく急な山道だけ、しかも踏み切りもない予讃線の鉄道線路をまたがなければならないので、上る人も殆どなく、荒れた山となっています。中世時代には頂上付近に城郭があって、今でも郭と思しき平地が幾重にもあって、往時を偲ぶことが出来ますが、矢竹が生えているため、クモの巣に行く手を阻まれ、それ程高くない山なのに町民には比較的縁遠い存在なのです。でも双海町民は雑木林に覆われたこの山の優美な姿にどこか惹かれているのです。

 この山の姿が一番美しく見えるのはやはり西側からで、唐崎辺りから見るとまるで中国の水墨画に出てくるような美しい景色をしており、菜の花の咲くこの頃には、「菜の花や月は東に日は西に」の言葉そのままの姿を見ることが出来るのです。勿論夕日のメッカふたみシーサイド公園からの眺めも素晴らしく、来園した人から「あの山は変わった形をしていますが何という名前の山ですか?」と尋ねられることがよくあります。

 私がまだ若く、まちづくりを始めた頃、その頂上へ中世の城郭を再現しようと試みたことがありました。一週間をもかけて、草刈機で矢竹を刈り、日本城郭協会の井上会長を招聘して踏破調査を行い、城郭公園の概略まで書き、県の補助金まで取り付けたのです。でも性急な行動に疑問があるし、自然破壊になると反対が起こり、断念せざるを得ませんでした。枕木千本をJRに寄付してくれるよう頼んで、町民のボランティアで日本一長い階段を作ってやろうと、そこまで計画は具体的になっていましたが、残念ながら頓挫をしたのです。今でもその当時のやる気と図面が脳裏に焼きついていて、宝くじでも当たったら自費でもなんて馬鹿な事を考えて歯向かっていました。

 この山の魅力は切り立った険しさです。何十年か前までは「山見小屋」と称する漁業基地がありました。イワシの魚群を発見する最前基地です。目利きの良い漁師さんが毎日登り、海の色を見て白い大ウチワのようなザイを振り、「ツォーイ、ツォーイ」と大声を張り上げて漁船や漁民に魚群の位置を知らせていました。魚群探知機の普及でその役割を終え、晩年は無線の中継基地となっていましたが、今はもうその姿を見ることは出来ません。

 ここは天一稲荷神社の奥の院となっていて、鳥居が立っています。昔小網青年団が建てたそうですが、風雨で崩れていました。最近になって有志が建立し、シーサイド公園からは眺めることができます。また中腹には私たちの家も加入しているテレビの強調アンテナが立って、私たちにいい電波を受信させているのです。またここには時を告げるサイレンが設置されていて、朝5時、12時、夕方5時に時を告げ、火事などの緊急荷物会われていましたが、それも有線放送の普及によって姿を消しました。

 わが家からは、直ぐ手の届くような位置に見えますが、その姿は西から見る優雅さとは似ても似つかぬ荒々しい姿をさらけ出しています。自然林のため、春の芽吹き、そうもうそろそろですが山桜が松の緑に映えそれは美しい景色です。初夏の霧のたなびき、盛夏の残照、秋のハゼ紅葉の鮮やかさ、冬の雪景色など、どれをとっても素敵な、わが家にとってはまさに借景なのです。

 年に一度は登りたいと思っていますが、今日当たり転機が良いので孫を連れて登ってみようと、今朝の本尊山を見て思いました。

  「あの山に 夢を描いた 若き日が 今は遠のき 加齢ひしひし」

  「分け入りを 拒み続ける 神の山 遥か中世 同じな人が」

  「ウグイスの 馴れた鳴き声 遠くから おいでおいでと 呼んでるようだ」

  「朝な夕 この山見つつ 暮らしてる 借景俺の 築山じゃけん」

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