shin-1さんの日記

○美しい夢

 先日株式会社S・Yワークスというコンサルタント会社からの依頼で、福岡博多へ講演に行きました。その折代表取締役の佐藤芳直社長さんから「船井幸雄の60の言葉」と「ものづくりへの情熱」という社長さんの自著本2冊をプレゼントされました。前著書には「美しい夢」、後著書には「感謝」という社長さんの座右の銘ともいうべき言葉が墨字達筆に書かれていました。日本列島を縦断するような福岡博多から秋田能代までの道すがら、引き込まれるような気持ちでまず前著書読んでしまいました。社長さんが私に贈ってくれた「美しい夢」とは一体何なのかを考えながら・・・・・・。

 「美しい夢」の意味を考えるためあえて反対語を探すとすれば「汚い夢」でしょう。私流に考えれば「汚い夢」とは相手や地域を省みない自分中心の夢だと思うのです。人間は誰しも幸せになりたいしお金持ちにだってなりたいのです。また成功したいし、健康で長生きもしたいのです。これを私は人間四つの願望と思っていて、それを手に入れるために私自身様々な努力を重ねてきました。結果的にはまだまだ満足がいかなくてもそこそこ幸せに暮らしているし、お金だって自称貧乏人といいながら食うには困らないのです。また成功といわないまでもそれなりの業績を上げ、病気を繰り返しながらも63歳の今日まで生き長らえてきたのです。友人から「お前は幸せ者だ」と羨ましがられるほどに今も楽しい日々を暮らしているのです。しかしその陰には妻をはじめ家族の深い理解と後押し、それに職場や地域の存在があるのです。

 若い頃は自分の力を過信し、業績の全ては自分の実力や努力だと傲慢な振る舞いをしていました。自分の夢をかなえるためには平気で人を土台にしたような言動もあったと深く反省するのです。この時代の私の夢はまさに「美しい夢」の反対語である「汚い夢」でした。

 人間は一人では生きてゆくことはできません。常に他人とともに生きるものなのですが、他人の存在や地域を意識し始めるにはそれ相応の時間と機会が必要なことはいうまでもないのです。今の世の中を見渡すと、「自分自分」と自分中心で世界が回るような錯覚さえ覚える世相に、自分の若い時代を重ね苦笑するこのごろです。前総理の阿部さんが「美しい国」を提唱し話題になりました。それは相反する「汚い国」になりつつある姿に心を痛めた総理の止むに止まれる決意だったのかも知れないのです。

 さて「美しい夢」とは一体どんな夢なのでしょう。それは反対語の「汚い夢」で述べたとおり、相手のことや地域の事を思いやる共感・共鳴・共有・共生の世界が醸すものなのです。

 例えば私の夢であり実現した「人間牧場」について考えてみた場合、これをありきたりの裕福な人間が造るセカンドハウスのようなものにしたら、それこそ見せびらかしの道具にしか過ぎないのです。週末にごっそり食べ物を持ち込んで親しい仲間と大騒ぎをして帰るだけでは、何の意味も持たず、むしろ地域からは煙たい存在として見られることでしょう。

 私はこの施設を利用して更なる「美しい夢」再生産の場所にしようと考えています。子どもたちを集めて「少年少女おもしろ教室」を開いて様々な活動を始めたのもまさに夢の再生産なのです。また様々な心に悩みを持った人に門戸を開いているのも同じような思いがあるからです。

 コンサルタントを悪評して、「人が来ん、人が去るからコンサルという」などと悪評を叩く人もいますが、私にとって「美しい夢」というキーワードを与えてくれた佐藤社長さんは、今年一番の嬉しい出会いだったと思っています。

  「美しい 夢を見ろよと 為書きに 納得しつつ 思いめぐらす」

  「昨日見た 夢も夢だが 俺の夢 見果てぬ夢と 妻は呆れて」

  「ささやかな 夢を抱いて 生きてきた ゲットしたもの 沢山ありて」

  「夢のない 人に会うほど つまらない ことはないなと 夢人探す」

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shin-1さんの日記

○凛として木枯しに立つ寒椿

 昨晩は7時から、地元上灘中学校の学校評議委員会が開かれ出かけました。この時期になると高校受験も終り、あとは結果を待つだけで学校もすっかり落ち着いた様子でした。校長先生もいつになく顔色がよく、校長室へ入るなり一枚の保護者宛の文章を見せていただきました。今日の私のブログのテーマである「凛として木枯しに立つ寒椿」という名句が書いてありました。内容は二人の生徒の絵画の話が紹介されていました。男子生徒の作品が愛媛県代表として全国教育美術展に出品され、見事入選したそうです。また女子生徒の作品は来年度のクロッキー帳にお手本として掲載されることになったようです。

 上灘中学校は小規模校で美術専任の先生がいません。同じような学校を掛け持ちしている先生が時折指導に見えられるのですが、それにしてもそんな片手間でこれだけの快挙ですから凄い指導力だと思いました。

 かつて私は子どもの数が10数人という大洲市柳沢田処小学校を訪問したことがあります。そこで見た絵はこれまで見たどの絵よりも視点が上から下からとまったく違っていて、生き生きと輝いて見えました。それもそのはずその学校の絵は県下の美術展で賞を総なめにするほどの活躍ぶりだったのです。その原因が美術の先生の指導によることは容易に想像できましたが、小規模校などものともしない快挙に、「教育は人なり」と思ったものでした。

 ひととおり先生の説明を聞いてから、評議員の私に発言を求められましたが、私は以上のような事例を紹介しながら、その席にいない美術の先生を褒め讃え、少し意見を述べさせてもらいました。美術以外この学校には小規模校ながら学科ごとに専任の先生がいます。いわばプロの先生がいる訳ですから、美術の先生以上の働きが出来ても可笑しくはないのです。「教師が変わらなければ子どもは変らない」。これは私の持論ですが、今の教師はやれ「小規模校だから積極性がない」とか、「この学校の子どものレベルは低い」とか、現状を否定していつも文句をいいます。「積極性がなくレベルが低いのはあなたです」といいたい気持ちです。

(多分咲いても私以外誰一人気付かないであろう道端の崖っぷちに咲くやぶ椿の花は、まさに世界にひとつだけの花なのです。)

 まさに二人の生徒の快挙は「凛として木枯しに立つ寒椿」そのものと感じましたが、この寒椿を開かせた一番の功労者は美術の先生である事を私たちは見抜かなければならないと思うのです。

 昨日人間牧場へ行きました。人間牧場に至る狭い山道のあちこちにはやぶ椿の花が今を盛りと咲いていました。山奥の道ゆえ見る人もなくただひっそりと咲き誇り、道には椿の花が印象的に赤く散っていました。寒椿の花の一句を思い出しながらデジカメで写した写真を取り出して、校長先生と私の偶然にして一致した椿の花への思いに思わず苦笑してしまいました。

 校長先生は寒椿でしたが、私は雑草の如きやぶ椿であり余命いくばくもない春椿です。でも凛としてがけっぷちに逞しく生きて咲くやぶ椿にもそれなりの意味はあると思うのです。私たちは名花の椿を美しいと思うことに馴れてきました。学校でいえばよく出来る子どもです。子どもの頃から脚光を浴びてきた子どもを愛でるのは簡単ですが、人知れず頑張る子どもに思いを寄せて生きる希望を見出してやることも大切な教師の仕事なのです。やぶ椿の花を愛でてやる、これこそ生きる力を育むことでしょう。

(細い一本の道には赤いやぶ椿の花が印象的に散り落ちていました。これも美しいものです。

 校長先生の嬉しそうな顔の原因はもう一つありました。登校できなかった登校拒否の生徒が今年になって登校し始め、県立高校受験にまでこぎつけたというのです。間もなくその結果は合格発表という形になって現れるでしょうが、やぶ椿のように咲けば褒め、道端に落ちてもなお美しさを保つ続けているやぶ椿の花を褒めてやり、新たな旅立ちへ送ってやって欲しいと願っています。

 たった3年しかこの学校に思いを寄せることが出来なかった私ですが、この三年間先生も生徒も、勿論学校も確実に力を付けていい学校に成長させてくれました。その成果に大きな拍手を送りたいと思います。

  「年三回 通っただけの 中学校 椿開いて ほのぼの嬉し」

  「この椿 開いた訳は 先生が 厳し優しい 陰徳結果」

  「教育は 自律自立の ためにある 手助けできぬ 教師は要らぬ」

  「学校に 来れない子ども 根気よく 指導お陰で 始動の気配」

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