shin-1さんの日記

○今日は中秋の名月

 大人を考えるフォーラム第3回目の実行委員会が今夕午後6時から国立大洲青少年交流の家でありました。ああでもないこうでもないと議論しながら一つのものを作り上げてゆく作業は、その道に秀でた人の集まりだけに中々骨が折れます。でも今年度もいいプログラムができそうで案心しています。問題はいくらいい商品を企画しても売れないのではお蔵入りに終わってしまいます。どうすれば対象となる若者に受け入れられ参加する意欲を持たせるか、これからが思案のしどころ、腕の見せどころだと思います。

 午後8時に実行委員会が終り玄関先へ来ると、そこにはススキ、団子、梨やサツマイモなど、お月見の3点セットがきちんと並べて月に向ってお供えされているのです。聞けば国立大洲青少年交流の家では、施設利用者に季節の歳時記を楽しんでもらおうと、七夕様やひな祭りなどを季節に合わせて飾っているそうです。こうした施設職員の温かい思いやりを見てすっかり嬉しくなりました。月より団子の世知辛い世の中ですが、せめてこんな風流を楽しめる心の余裕を持ちたいものです。

 所長さんや課長さん、それに担当の職員さんが毎回駐車場まで送ってくれるのも嬉しいことです。「迎えるも大事、送るはもっと大事」といつもそれを励行している私だから分るのですが、車が見えなくなるまで送ってくれる姿が車のバックミラーに余韻を残すように写る姿に、いつもほのぼのとした思いを持って帰れるのです。所長さんや課長さんの教育がここまで徹底している職場も珍しいと、先日講演先で交流の家の話をさせてもらいました。

 玄関先を出て見上げた暗い夜空に綺麗な月がポッカリと浮かんでいました。聞けば中秋の名月だとか、忙しさにかまけすっかりその存在を忘れていたお月様に申し訳なく思いながら、手を合わせ拝みながらお月様を鑑賞
しました。交流の家の高台から見る月はまさに「月々に月見る月は大けれど月見る月はこの月の月」の名句に詠まれた立派なものでした。

 「月が追いかけてくる」ような錯覚を持ちながら月とランデブーをするように、約1時間弱の夜の道をわが家へ急ぎました。昔菅原寿々子の歌に「月がとっても青いから遠回りして帰ろう・・・・・・・」なんて文句があったのを思い出しながら肱川沿いを下りました。「折角だ」と思いつき出石の駅付近で左折して橋を渡り対岸の道を走りました。長浜大橋から月を見たかったのです。少し遠回りしましたが、車の通らない赤橋の上に車を止めて一人名月鑑賞です。肱川の夜風も爽やかで2~3分至福の時を過ごしました。

 伊予灘の海に出ました。国道378号を走り下灘漁港付近まで帰ったので、「海と名月」を楽しもうと思いましたが、残念ながら黒い雲が月を覆い見えなくなりました。それでも車を止めて約500メートルの突堤を歩きました。時折雲間から差す月明かりが海に写り何ともいえない光景です。私はこの海の側で生まれ育ったので、月が海に写る姿は子どもの頃からよく見ましたが、それは西の空にある夕日でした。今日は東の空の月でした。漁船に乗って見た少年の頃の記憶が蘇えってきて、柄にもなく少しだけセンチメンタルな気持ちになりました。

 家へ帰ると妻が月見よろしく芋炊きの料理で待っていてくれました。二人で食事しながら大洲の月、長浜赤橋の月、下灘海の月について話してやりました。食事が終わって二人でわが家の月を鑑賞して、今夜は幾つもの月を見れたことを感謝し床に就きました。

  「見る場所が 違えば月も それぞれに 愛嬌振りまき 違った顔で」

  「ささやかな 思いの飾り 人知れず 月に対する 心ほのぼの」

  「少しだけ 余裕できたか 月愛でて 心に染みる 季節移ろい」

  「名月と 夜のドライブ ランデブー 月も笑って 付き合いしてくれ」


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shin-1さんの日記

○この親にしてこの子あり

 4人の子どもを育ててみて子育ては難しいとしみじみ思います。私たちが少年時代の子どもを育てたのは昭和40年代後半から昭和の終りころまでです。勿論青年になって社会人になるつい最近までを入れると平成の殆どを子どもと向かい合ったり背を向けながら育ててきたのです。

 私の基本はしっかりしていて、小学校までは母親の抱きかかえる愛情教育、中学校からは父親の突き放す理性教育と、夫婦がそれぞれ分担を決めていました。勿論子育ては母親と父親が相互補完していましたので手を抜くことはありませんでした。

 家庭教育の基本は「この親にしてこの子あり」といわれるような親になろうと努力することです。私のような生まれながらの凡人は、親としての素養を持って子どもを生んだ訳ではないので、子どもの成長に合わせていい親になろうと努力や学習を怠らないことでした。子どもの反抗期や問題が起こっても決して目をそむけず、子どもたちに正面から向かい合って育ててきました。多分子どもたちが曲がりなりにも平凡ながら反社会的や後ろ指を差されるるような人間にならなかったのは、親のそんな生き方を肌で感じてくれたからだと思うのです。

 私たちが子育てした時代と今とは時間的にそんなに経っていないのに、子供をめぐる時代背景が大きく変わってきました。子どもの数が絶対的に減り学校も家庭も子どもどうしの人間関係が難しくなってきていますし、安全だった学校さえ門を閉ざさなければならない社会環境になっています。そのことが逆に子どもの自立を阻害することにもなって、今の子どもや親は可哀想だと思わざるを得ない雰囲気なのです。

 つい最近、「この親にしてこの子あり」という言葉の裏腹な「こんな親だからこんな子になる」という親や子どもを随分見かけるようになりました。先日ブログで書いた運動会の記事の中で紹介した、校門の外でたむろしながらタバコを吸う母親や、昼食の時間に弁当屋で買った弁当を食べる親子にもそんな雰囲気を予感させるのです。「母親が三人寄れば学校や教師の悪口」といわれるように、今の母親は学校や教師の悪口を子どもの前だろうが何処でもいい放題いいます。「あの先生は宿題を出さないから駄目だ」とか、「つい最近の学校は何を考えているのか分らない」とかくらいならまだしも、「今の学校はお金の使い方も指導できない」と、子どもの金銭教育の基本が家庭にあることを棚に上げてののしるのです。「あんたの家庭では人を褒めず、人の悪口しか子どもの前で言わないの?」と聞き返したくなるような言葉が、否応なしに子どもの耳に飛び込んでいるのです。

 教師や役所に勤める公務員も政治家も、こんなに悪い事をするのかといわんばかりにマスコミは連日のように報道し、そのことが社会のイライラ感を誘発しています。我慢を知らずに育った若いお母さんにとって子育てはストレスの最たるもので、子どもが学校でちょっと注意をされると逆切れし、風評被害をばら撒くどころか、教育委員会へ「あの先生変えて下さい」と平気で直訴する有様です。

 「こんな親だったらこんな子になる」という逆の方向から子育てを考えるショック療法が必要かも知れないと、10ヶ条を考えてみました。この10ヵ条は次のPTA講演会で試してみようと思っていますので、今日のところは伏せて置く事にしました。

  「この親を 見れば子どもの 顔浮かぶ いい親ならねば 子どもに被害」

  「不登校 色々原因 あり過ぎる まず親教師 そこから改革」

  「子とともに 学んで成長 する親に なるよう努力 みんなでしよう」

  「千円を 儲けるために 子を犠牲 千円以上の 落し物する」 



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