shin-1さんの日記

○真庭市落合への旅

 鳥取県へ旅する時や津山に行く旅のつれづれに立ち寄ったことのある落合町が、合併して真庭市になってから初めて、「おちあい老人大学」の講師としてお邪魔する機会を得ました。真庭郡の9つの町村が合併した5万人余りの真庭市は、郡の中心付近にある勝山町に市役所本庁が置かれ、市内に高校が4つ、インターチェンジが5つ、道の駅が5つと、5万人の街としてはかなり贅沢な街に変貌を遂げていました。岡山側から行くと落合は岡山県最大の河川旭川中流域にあり、落合インターチェンジから降りれば直ぐの所に会場となる公民館はありました。近頃はカーナビのお陰で会場を探して右往左往することもなく、すんなり一発で開会1時間前の9時に会場へ到着してしまいました。会場入口には自主運営を心がけているのか役員の方々が早くも受け準備をしていました。学長の辻騏一郎さんは合併直前まで落合町長を5期も務められた立派な方で、控え室での雑談から高潔なお方とお見受けしました。

 会場は予定されている250人をはるかにしのぐ満席の状態で、賑やかな話し声でまるで蜂の巣をつついたようでした。副学長さんや学長さんのあいさつが終わると私が紹介されいよいよステージに上がりました。この日の演題は、担当の尾崎ひろみさんが「ニコピンコロの人生設計」という私のホームページ講演ジャンル一覧表から引用した素敵なタイトルを与えてくれましたので、少し砕けた話をしてしまいました。それにしても講師依頼のお手紙やメールをいただいて「尾崎ひろみ」という名前は何処かで聞いたような名前だと思っていましたが、このブログを書きながら私の弟嫁の旧姓が「尾崎弘美」であることを今思い出しました。「ひろみ」と「弘美」の文字こそ違え同姓同名の「おざきひろみ」なのです。世の中にはこんな不思議なご縁もあるのです。

 それにしても今日の演題「ニコピンコロの人生設計」は今更ながらいいタイトルでした。私はいつも高齢者に「ニコニコ・ピンピン・コロリンシャ」運動を提唱しているのです。控え室で担当の尾崎さんと話していたら、尾崎さんはニコを二個、つまり夫婦でと思ったらしく、私はそんな事を思っても見なかったのでまた新しい発見のなりました。

 それにしても「おちあい老人大学」の元気は凄いものです。控え室で雑談していると友人から携帯電話がかかりました。友人「今何処」、私「うん今大学に来ていて女子大生と話よる」、友人「何処の大学」、私「おちあい大学」、友人「その大学何処にあるの」、私「岡山県」、友人「そんな大学あったっけ」、私「あるあるおちあい老人大学」、友人「女子大生ってお幾つの人たち?」、私「うん7・80歳の女子大生」、友人「エッ、それも女子大生かな・・・・(大笑い)」、私「・・・・・(大笑い)」でした。

 私はこの日マイクを持ってステージから降りて、大学生に「何歳まで生きるご予定ですか?」とインタビューしたり、「お金持ちになりたい人、幸せになりたい人、健康で長生きしたい人、成功したい人」などについて手を挙げてもらうなど、極力分りやすい話をゆっくりと大きな声で話すよう心がけました。2時間という高齢者には少々長丁場でしたが、眠る人もなく入れ歯ガクガクの楽しいい話に会場は騒然大爆笑の連続でした。帰り際多くの人に見送ってもらい、何人かの高齢者は握手までしてくれ、見えなくなるまで手を振って送ってくれました。ほのぼのとしたおちあい老人大学は昼食を挟んで午後からはクラブ活動をするそうでした。

  「落合の 老人大学 招かれて ニコピンコロの 人生語る」

  「爆笑の 渦に包まれ 講演会 握手してねと 女子大生?が」

  「なんぼまで 生きるとマイク 向けたなら 死ぬまで生きる 元気に答え」

  「わが仕事 元気と笑いの セールスマン 全国行脚 いつまで続くか」 



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shin-1さんの日記

○黎明の瀬戸大橋を渡って

 昨日は疲れてしまってブログを書く暇も気力もなく、帰宅すると風呂に入り遅い夕食を済ませて、珍しくバタンキューでした。この歳になると何時に寝ようが朝4時起床の癖はいかんともし難く、今朝も昨日の宿題を取り戻すべく4時前に起床して机に向かってブログを書いているのです。

 昨日は朝急な思いつきで、折角岡山へ行くのなら黎明の瀬戸大橋を渡ろうと6時の日の出を想定して朝4時ちょっと前に自宅を出ました。暗闇の高速道路をひた走りに走って、坂出ジャンクションから瀬戸中央自動車道コースを選ぶ準備をし始めた丸亀辺りから空が明るくなり、美しい讃岐富士をシルエットに見しながら走るとやがて瀬戸大橋です。

 世紀の一大プロジェクトといわれるだけあって瀬戸大橋はいつ通ってもやはり素晴らしいの一言です。瀬戸内海には三橋時代と言われるようにしまなみ海道、瀬戸大橋、明石鳴門大橋など、様々な橋が架かっていますが、今治~尾道間の来島海峡にかかる来島大橋、坂出~岡山間の瀬戸内海にかかる瀬戸大橋、徳島~明石の鳴門海峡にかかる大鳴門橋、明石海峡にかかる明石海峡大橋は、やはり日本が世界に誇る名橋だと、いつ通っても、眠ることなく見とれてしまうのです。



 昨日の朝は風もなく穏やかな初秋の朝でした。構想道路ですから橋の途中で止ることは許されず、先を急いで高速で走る他の車に先を譲りながら時速80キロで朝日を横目で見ながら、用意したデジカメを危なくない程度に向けて、車内から2~3枚写真を撮りました。目論見どおり番の州工業地帯の横の山から輝く朝日が顔を出しました。そしてその朝日が瀬戸大橋をまるでスポットライトのように照らすのです。思わず見とれながら児島~坂出間をあっという間に駆け抜けました。自分の車の下を白波を立てて通る船の姿も、音を立てて走る列車も、日本の朝日が美しく照らしていました。やはり早起きは三文の得だと思いつつ、今度は夕日の沈む頃を選んで走ろうと密かに心に決めました。

 橋は目的を持って通るためにあるのですが、瀬戸大橋も開通以来20年を迎えるとすっかり様変わりしてきました。最初は物珍しくて途中の与島パーキングに立ち寄って見上げたり、フィッシャーマンズワーフなどで買い物や観光を楽しんでいましたが、今は与島やフィシャーマンズワーフに立ち寄る人も殆どなく、坂出のゴールドタワーさえ散閑として営業が立ちいっていかなくなっていると聞きます。日本人の初物食いや飽き易い性格はここでも大きな誤算となって現れているのです。橋の通行量が高いことも再三話題になりますが、これだけの便利さを与えてくれるのですから、私は決して高いとは思わないのです。

 橋の見方をこうして工夫して見てみると、かなり新しい発見がありました。直ぐ下の坂出製油所などは鉄の塊のような殺風景だといつも思っていましたが、まるで聖火のように鉄塔の上で赤々と燃える火も見えましたし、山の頂上にある巨大な鷲羽山の遊具群も遠望できるのです。また橋それぞれに吊橋の工法が違っていて、幾何学模様が朝日に輝いて美しく見えました。いつもは車道の下を走る列車から車窓の光景として見る風景とは違う楽しみがありました。

 昨日は日帰りでしたので、午後の早い時間に再び瀬戸大橋を渡って帰りました。

  「早起きし 朝日輝く 橋を見る 目論見通り 心洗わる」

  「デジカメで 写す一瞬 車内から 忘れフラッシュ 鈍く光りて」

  「助手席に 木になるカバン 座らせて 相棒私? 橋を渡りぬ」

  「日本一 いや世界一と 自慢する 幾何学模様の 端を見上げて」

 

 

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