shin-1さんの日記

○同類なのか

 人間牧場を始めてから、アウトドアー志向の人の生き方や考え方が妙に気になり始めました。世の中に面白いもので、その目で見ると楽しい生き方をしている人が沢山います。そんな中に小野田自然塾理事長の小野田寛郎さんがいます。先日テレビの番組に出演されている姿を見ました。小野田さんといえば30年間もルバング島のジャングルで生活し昭和49年帰還された最後の日本兵として余りにも有名な方です。当時は「恥ずかしながら」で始まる第一声でグアム島から帰還した横井庄一さんとよく比較されたものですが、横井さんが普通の兵隊さんだったのに対し小野田さんは陸軍中野学校で教育を受けた小野田少尉として帰還の雄姿は今も私たちの目に焼きついているのです。帰国の翌年ブラジルに渡り牧場を経営、昭和59年から福島県で財団法人小野田自然塾を開いています。毎年春から秋にかけて帰国し日本に滞在、全国で講演活動を続けておられます。

 小野田さんの生き方については文章なども出ているようですが、私が共鳴するするのは生きること老いることへの考え方です。

小野田さんは現在84歳なのですが年齢のことは余り考えないようにしているのだそうです。「今何歳かは問題ではなく、また今までどれだけの事をやって来たかではなく今から死ぬまでに何が出来るかが問題だといいます。そういう目的がないと人間は怠慢な動物だから寝転んだしまって努力をしないものです。老いたら子どもに見てもらうという考えが日本人にはありますが、動物の世界では一匹一匹が餌を取って死ぬまで生きなければならないのです。人間は助け合って生きる動物ですから人のためにないができるかという生き方をするのが理想的ですね」と話されていました。同感です。

 健康についての質問には「命は天にあり、身は我にあり」と即答していました。「生命というのは自分ではどうにもならないもの、何時死ぬかを分っている人はいないのです。でも自分の健康を守るのは自分なのです。ルバング島では無意識のうちに満腹は避けていました。敵と遭遇したとき満腹だと走れないんです。自分が食べて一番美味しいと思ったものが一番自分の身体に良いのじゃないでしょうか」とも話されていました。

 小野田さんの生き方にはルバング島で常に死と向かい合って生きていたと思われるのですが市の恐怖について、「毎日毎日力いっぱい考えて実行して、それで死ぬなら仕方がないと思っていました。人事を尽くして天命を待つという一種の開き直りでした」と話されました。

 最後にアナウンサーが「団塊の世代の方がリタイアしますが何かメッセージは」の質問に、「もう一度生まれ変わったつもりで」と言われました。過去を引きずることなく不撓不屈の精神で挑戦すると、何をすればいいのか自ずと見えてくるものです」とくくられました。私は小野田さんの話を聞きながら「生まれ変わったつもり」という言葉に日本人に対する強いメッセージを感じたのです。

これからでも遅くはないし、社会への貢献も出来るのです。私も生まれ変わったつもりで生きていこうと思いました。

  「ジャングルで 生きた少尉の 言葉ゆえ 重みひしひし わが身に染みる」

  「あと少し 一花ふた花 咲かせたい 小さな花で いいのですから」

  「人間は 誰も必ず 老いてゆく そんな幻影 怖るに足らず」

  「生き方は 百人百様 違うもの 己が行く道 自分で探せ」


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shin-1さんの日記

○shin-1さんの日記全部プリントアウト完了

 私のような学校でパソコンを習っていない年齢の人間にとって電子文字の文章は、「ひょっとしたら何かの拍子で文字が消えるかもしれない」という不安がいつも頭をよぎっています。多分それは基本も何も分らぬままうろ覚えでパソコンをどうにか使えるようになり、その途中で苦労して書いたはずの文章が登録もせず消えたり、バックアップも出来ない苦い経験をしているからだと思うのです。電子文字はパソコンやディスクにコンパクトに収まるから意味があるのであり、それをプリントアウトすると膨大な資料となって置き場所に困るのは当たり前なのですが、それでもペーパー化しないと気がすまないのがアナログ人間のやることだとしみじみ情けなくなることがあるのです。先日上京した折プリンターのインクを高いなあと思いつつ大量に購入してきたため、父の日の子どもからの贈り物である最新のプリンターに変える前にこのインクを無駄には出来ないと、急遽ペーパーにプリントする事を思いつきました。

 2005年9月8日から書き始めたブログの記録によるとその年の9月は29本の記事でしたが、10月51本、11月58本、12月83本、2006年1月64本、2月54本、3月91本、4月81本、5月64本、6月56本、7月50本、8月54本、9月52本、10月32本、11月34本、12月49本、2007年1月31本、2月35本、3月38本、4月45本、5月43本、6月28本と、驚くなかれ昨日まででその合計1122本という驚異的な数字が出てきました。一番多い月は昨年の3月に91本、12月に83本、4月に81本と書いて書いて書きまくっているのです。

 最初は気楽に考えてプリントを始めたものの途中で嫌になり止めたいような心境にもなりましたし、インクやペーパー切れの度に挫折しそうにもなりましたが、今朝方まで頑張って何とかプリントアウトを完了しました。百円ショップのダイソーで安物のバインダーを購入していましたので、パンチで穴を開け1ヵ月ごとに閉じこむ作業を行った結果、今月はまだ途中なのでプリントしていないものの21冊の読み物が完成したのです。少し苦労はしましたが今は「やったー」という心境です。

 さてこの本の活用ですが、もう少し時間が取れたら一冊ごとに目次を起こし人間牧場の備品にして、このエッセーを素材にして「若松進一ブログ夜話」というお話会でもしようかと考え始めています。拙文や誤字脱字はまだ校正していないので人間牧場からは門外不出にしなければなりませんし、知人友人の名前もかなり実名で出ているのでそのような取り扱いをしたいと思っています。それにしても塵も積もれば山となるもので毎日の積み重ねは平凡ながら続けると非凡になることもよく分りました。多分これからも続く限り頭の鍛錬のつもりで書こうと思っていますが、とりあえず目標にしていた2年間が9月の8日に満了となるので、グレードアップの方法をこれから3ヶ月足らずで考えてみようと思っています。

 ブログを始めて幾つかの事に気がつきました。私は拙文ながら文章を書くことは苦にならないのですが、ブログのように毎日書いていると、案外書くスピードが上がるのです。私の一日の日課は朝1本、寝る前一本てな調子で書いていますが、残念ながら長期で旅に出るとその日は否応なしに休止に追い込まれます。携帯用のパソコンを買い求めて旅先でブログを書くことも考えましたが、セミリタイアした私がまるで会社の営業マンのようにそこまでパソコンに身体を沈めてしまう必要はなく、まあ出張中はお休みくらいでいいのではないかと割り切っています。

 「書くの裏側に読むがある」、これもブログを書き始めて感じたことです。話題は身近なものほど面白いのですが、そうそうブログに書くような話題も落ちているものではありません。でも飛行機や列車の中で読んだ面白い本や新聞は格好の素材となるようです。これからもどんどん進化していいブログを書き続け、せめて10年くらいは書いてみたいなあと手の届きうるささやかな淡い夢を見ているのです。

  「これでよし 落雷なんか 怖くない プリントペーパー 高く積まれて」

  「使わずば 積読悪評 叩かれる 生かすも殺すも 知恵次第です」

  「読み返し あの日あの時 あんなこと こんなに書いて ウンウンウンと」

  「ブログ書き 少しは進化 したようだ 自分に納得 人はどうだか」

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