shin-1さんの日記

○熊本県あさぎり町へ行きました

 「弁当を忘れても傘を忘れるな」とは、島根県や鳥取県へ行った時よく言われた言葉です。山陰ほどではないにしても九州地方は入梅しているので、傘を忘れたら偉いことになるとそればかりが頭にあって、駐車場に止めた車から降りて九州への旅に出る時傘は忘れず持ちましたが、何と商売道具のデジカメを車の中に置いたまま出かけ、九州に着いた汽車の中で「しまった」と思い出しましたが後の祭りだったのです。ましてや普通持っても行かぬ資料用のDVDをカバンに入れたものの、現地では動かすことが出来ず、今回の九州の旅は私の思考回路が最初から狂いっぱなしでした。ましてや思ったより2時間も早く待ち合わせの場所に到着したものの、担当者の携帯をメモしていたのを家の机に置き忘れて、結局は時間通りの待ち合わせ送迎となりました。それでも遅れた訳ではないので、近くを流れる球磨川を見に行ったり、駅の近くの阿蘇神社を散策したりと成果は多かったようです。

 何はともあれ博多・熊本・八代経由で人吉まで行き、車窓に見える球磨川沿いの風景を堪能しながら人吉駅であさぎり町教育委員会の森さんと落ち合い車上の人となりました。「合併してひらがなのあさぎり町となったこと、町長さんが民間人でまだ選ばれて間がないがまちづくりに対する意欲が高いこと、今日はそこそこ集まる」などと、アップダウの激しい農面道路を進みながら森さんと雑談し約30分で須恵文化ホールに到着しました。500人収容の文化ホールは多分、合併前のどこかの町の施設を引き継いだであろうことが、私設名から容易に感じ取ることができました。

 面識はないのですが、昨年10月27日、熊本県城南町で開かれた熊本県社会教育研究大会が縁での今回の講演会招致だと思われるので、その際出席していた那須社会教育委員長さんや婦人会長さんとも控え室で楽しく面談しました。

(500人収容の立派な文化会館の緞帳も見事でした)

 緞帳が上がり町長さんのあいさつで講演会は始まりました。考えていた出だしのパソコンが使えないため急遽話の組み立てを変えて約1時間半の予定でお話しましたが、会場のマイクの通りもよく参加者の反応がよかったため約10分も延長してしまいました。多分それは控え室で町長さんと話をしたからこちらもその気になったような気がするのです。

 町長さんは就任後まだ2ヶ月ほどしか経っていないそうですが、松下系の会社に勤めていたそうで、「パソコンを持ち歩いています」といわれるだけあって、今流デジタル人間のようです。町長さんのパソコンには毎日のように町民からメールが入るそうで、その対応を動きながらやっているとのことでした。このやる気こそが町を変えてゆくのだとも感じ心の底で感心したのです。

 私はふと自分の知ってる何人かの首長さんの顔を思い浮かべました。その中に昨年関東のある市で青年会議所主催のまちづくりシンポが行われました。パネラーで招かれたよそ者の私と市長さんと会議所理事長、それにコーディネーターが議論を戦わせました。その時市長さんは「私は毎日パソコンに届く市民の意見に耳を傾け、開かれた行政をやっています」と話されました。私は議論を吹っかけ「私は古い人間でパソコンを学校で習っていません。多分市民有権者の年齢の高い人は殆どの人がパソコンを使えないものと思われます。私はブログを書き、メールをやっていますが、幾ら私が立派な事をブログに書いてもパソコンを操作できない人にとってはタダの電子ゴミなのです。確かにデジタルの効果は認めますがそれがあたかも全ての意見であるかのような錯覚は止めた方がいい。4年間意見を聞き続けるのも大事だが、自分が首長になるとき自分と有権者に約束した公約をマニフェストとしてやるべきである。声は庭先や職場で直接聞けばいい。」といい、会場からやんやの喝采を受けました。市長はむっとして「何をたわけたことを、お前のようなよそ者に何が分る」と声を荒げましたが、後日お便りが届き私の話を分ってくれたようで、先日東京でお会いをして握手をして雪解けとなりました。
 私は町長さんのようなデジタル人間ではなくアナログ人間なので、毎日3通のハガキを20年も書いております。あえて今日町長さんに下手糞なハガキを出しました。同じ松下系の松下幸之助さんから「掃除も出来ないような人間はまちづくりを語る資格がない」といわれ、12年間朝5時から朝8時まで役場に出勤するまでの3時間の掃除をやってみました。言われるとおりまちづくりの何であるかがやっと分りました。今私の所へ松下系の松下政経塾から兼頭さんという若い青年が人間牧場に足繁く通っています。東大
経済学部を出たような彼が、高校しか出てない私の元へ何故来るのかは定かではありません。でも二宮尊徳の「遠くをはかるものは富み、近くをはかるものは貧す」のことわざそのままに、年輪の哲学をお互いが語り合っています。

 私の今回の旅は私の話よりも、町長さんとの出会いの方がはるかに沢山の学びをさせてもらったような旅でした。残念ながら私は町長になるような器でもなく、町長に立候補して選挙を戦った苦労経験などもないのです。合併したとはいえ1万8千人の小さな町をどう変えるのか、町長さんには多くの試練が待ち受けていることでしょう。ご活躍ください。陰ながら祈ります。

 私は双海町の町長さんと同じ3つの気持ちでまちづくりをやりました。「町を愛する」「町のためにやる」「町をよりよい方向に導く」でした。私が職員としてやった3つのこと。「知恵を出す」「汗を出す」「責任逃れをしない」でした。

 結局町長さんは「金を出す」「口を出さない」「責任を取る」の気概で私たちに仕事を任せたから、5期20年を「責任を取る」こともなく職務を全うしました。


(この結び目を作るのが町長さんの仕事かな)
  「傘持って カメラ忘れた 慌て者 それでも何とか 様なる話」

  「よくもまあ あんな激務の 首長に 好んでなるとは 俺は嫌だな」

  「デジタルな 世の中ですね カバンには パソコン入り お金じゃないよ」

  「俺にゃない 地盤看板 カバンさえ だからなれぬと 妻の一言」 

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shin-1さんの日記

○素晴らしいアイディアのハガキと名刺

 今朝旅先の熊本県から帰郷すると郵便物に混じって沢山のハガキが届いていました。その中にキラリ光る一個のハガキを見つけました。ハガキを一枚といわず一個といったのは下の写真のように白樺の木をスライスしたハガキだからです。80円と50円の切手を合計130円分貼った特製ハガキは真ん中をくり抜いて駿馬がこれまた程よく彫刻されていて、全体の美しさもさることながらボールペンで書いた文字がまたとても美しく、嬉しくなりました。差出人は木曽町大目富美雄とあります。実はこの方、先日高知県馬路村行われた全国まちづくり交流会で知り合った方なのです。私の手元に残っている名刺を繰ると木曽町役場企画調整課に勤める課長補佐と書いています。ハガキの裏には「若松さんの実践的な話ハーモニカの音色、まちづくりは自分が楽しくなければ駄目、子どもたちが自分の町を語れるように・・・・」など、私が講演で語ったことが短くまとめられ、「ハガキ3枚のハガキを毎日書く事を20年間続けているという貴重な話」で結んでいるのです。

(長野県木曽町の大目さんから送られてきた木になるハガキ(左)と、高知県馬路村で開かれた全国まちづくり交流会で大目さんからいただいた名刺)

 馬路村で150枚も名刺交換したのに何故大目さんの事を覚えていたかというと、それは名刺のアイディアが凄かったからです。大目さんの名刺は上の写真のように本物の免許証と見間違えるほどの精巧さで作られていているのですが、よくよく見るとアイディアが一杯なのです。氏名・生年月日はかわらないものの、職場は役場企画調整課(課長補佐)、電話・FAX・E-mall、平成19年の異動まで有効、免許条件 眼鏡等、免許の種類はこれまで歩いて来た職場に1、異動したことのない部署には1がつけられているのです。私も色々な名刺を見てきましたが、このアイディアはダントツで、正直手渡されたときは間違って運転免許証を手渡されたような勘違いをしてしまうほど実に精巧に出来ています。ひょっとしたら偽札と同じで悪用されるのではないかと心配したほどです。そんなご縁がたった一枚の名刺で出来ていたものですから、今日木で出来たハガキをもらった時、一事に秀でたものは万事に秀でると直感したのです。大目さんの話によるとこの名刺は名刺コンテストでグランプリを獲得したそうですが、私にとってこの名刺は一生忘れない思い出の一枚となることでしょう。

 私たちは20年間無人島キャンプなどを実践してきましたが、その都度無人島で拾った小石や流木板切れなどに宛名や手紙を書いて家族や友人宛に送りました。その都度家族や友人はとてつもない変った便りに驚いたようでしたが、大目さんからいただいた木のハガキは、数多い私へのハガキの中で今年最高のグランプリに輝くのは間違いないと思いましたし、名刺と共に人間牧場へ持って行って大切に飾り、来訪者に自慢してやりたいと思っています。それにしても世の中は面白いアイディアを持った人がいるものだし、それを行動に移した大目さんは偉いと思いました。「大目玉」という言葉があります。悪い事をして叱られることのようですが、私にとって大目さんからのハガキと名刺は「大目玉を開けよ」と教えてくれたショックでした。

 毎日色々な人に会い、名刺を交換する光景を何度も見てきたし、私自身もそんな行動を今も取っています。また出会いの感動や感想をハガキに託して相手に送ることもしてきたし相手から貰いもしました。たった一枚の名刺が、たった一枚のハガキが心を揺さぶり、覚えていてもらえるならこれほど凄いことはありません。今一度名刺やハガキについて考えてみたいものです。

 先日馬路村でこのことが話題になりましたが、馬路村の木下産業建設課長さんも面白い名刺を持っています。同じものを私に数枚作って送ってくれましたが、名刺入れから差し出した名刺は「あれ裏側かな」と思うほど自分の名前が小さくて右手の親指で丁度隠れるようになっていました。名刺を貰った瞬間の「あれっ」が人を引きつけるのです。ただしその一矢の次にどういう言葉の二の矢三の矢を出させるか、これがないと、折角のショックが台無しになるという話をして盛り上がりました。

 私の漫画チックな名刺と人間牧場主という肩書きはその点大目三の名刺には適いませんが中々の秀作だと思っています。名刺一枚にも知恵を出す、ハガキ一枚で相手への思いを伝える、こんな市役所の職員は残念ながらもう少なくなりました。

  「免許証? いやいやこれは 名刺です いやはや参った 一本取られ」

  「おっ来たか 名刺で驚き 次ハガキ 次は何かと 大きな期待」

  「裏返し? いやいや裏では ありません 表向きです 私の顔は」

  「ちょっと待て 思わせぶりな 人ありて 何処か気になる だからおもろい」



 

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