shin-1さんの日記

○父の日の贈り物

 「お父さん、父の日の贈り物は何がいい」と、数日前産後の休養で帰っている娘と娘婿が唐突に聞くのです。この歳になると「欲しいものなどないので「何もないから心配せんでもいい」と返しました。すると娘婿が「お父さんのパソコン用のプリンターはスキャナーがついていないといっていたので、プリンターはどうですか」というのです。でも私のプリンターはまだ使えるし、「勿体ないからまだ使う」と答えましたが、娘婿は早速手持ちのパソコンでプリンターのカタログを画面に写し、「キャノンかエプソンか」などと盛んに話しかけ、結局は「任せる」で一件落着しました。私は誕生日や結婚記念日や父の日などに決まって贈り物をくれる子どもたちに恐縮しています。長女にはその事をいつも言うのですが長女は「子どもを産んで育てたのだからそれくらいのことは甘えなさい」と殊勝なことをいってくれますが、自分のお産で孫の世話をしてやった恩義を感じての話と受け止め今年も父の日のプレゼントを甘んじて受けました。子どもたちはその金額を4等分して長女の威厳を少し上乗せして今年も父の日前の金曜日に大きな箱に入ったインターネットで注文のプリンターが届きました。先日上京した折現在のプリンターのインクカートリッジを大量に購入していて無駄になるといけないので、急な思いつきで全てのブログをプリントアウトすることを決意し、朝な夕なその作業に追われているのです。昨日は九州熊本県あさぎり町からの帰りで、午前中の会議も全てこなせたため午後からは約4カ月分のプリントを終え、後4ヶ月を残すのみとなりました。

 父の日はアメリカが発祥の地と言われていますが、父の日が近づくと新聞広告もデパートの売り場も父の日目当ての商品が数多く売り出されます。人間には必ず両親がいるのですから、プレゼントにこだわるだけでなく死んでなくなったりしていてもお墓参りなどをすればその恩に報いることは出来るのですから、その意味をかみ締めることが大事だと思うのです。日ごろは口うるさく言う父親の存在はこの歳になってもついつい煙たいものです。若い頃はそのうるささが頭に来て口喧嘩もやりましたし、反感反目の抵抗もしました。しかし自分がその歳になって逆の立場に立たされている今思うと、親の言った言葉が一つ一つ胸に迫ってくるのです。幸い4人の子どもは大きな反感反目もせず、反社会的な人間になることもなくここまで成長し、父の日のプレゼントを贈ってくれるような優しい心根の人間に育ちました。世の親がしたような親らしいことは何一つしてやっていないのにです。

 私は子どもの名前全てに私の一字「一」を頭につけています。したがってわが子は全て英語のイニシャルがⅠWなのです。親の思いつきと何気なくつけた名前ですが、先日友人に指摘されて意外な事に気が付きました。長女は一子で子どもの子がついています。故なのか助産師をしています。長男は一心で心がついています。故なのか設計の仕事をして人間の心を追求しています。次男は一生で生がついています。故なのか看護師として人の命に関わる仕事をしています。三男は一公で公が着いています。故なのか警察官として公を守っています。こうして子・心・生・公毎に名前の一字らしい仕事を天職として選んでいるのですから、私の眼力も相当なものです?。

 プレゼントを貰ったから子どもを産んでよかったと思う軽薄な考えは毛頭ありませんが、それでも子どもからの贈り物に感謝したい心境に変りはないのです。

  「自分さえ 忘れていたな 父の日に 大きな箱が ドンとわが家に」

  「一年に 一度の記念日 忘れずに ちゃんと感謝の 子どもに感謝」

  「九十の 父に感謝の サロンパス 今朝も腰貼り 今日も元気で」

  「親父とは 子どもに反感 反抗され 育つもんだと しみじみ思う」 

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shin-1さんの日記

○シルバー割引となった2等の切符

 一昨日は旅の日程の都合で小倉から旅客船に乗って松山観光港へ着きました。普通だと博多から新幹線で広島まで出て宇品経由で松山観光港へ向かうのですが、夜遅くの広島からの船便がなく、広島に一泊して早朝の船便で帰っても朝からの会議に間に合わないため、仕方なくノロノロ旅となりました。しかしスピードな旅に慣れている現代社会にあって、超スローな船旅は何とも超安価で贅沢な旅だと実感しました。

 JR小倉駅から船着場までは時間もあるので人影もまばらな動く歩道を歌を歌いながら歩き、港までの一直線の道を迷うことなく到着です。早速切符購入に必要な旅客名簿に備え付けの鉛筆で所定の欄に記入し「若松進一・62歳」と書き込み、カウンター嬢に見せると、「免許証をお持ちならお見せください」というのです。「私は嘘をついてない」と不信に思いながら背広の内ポケットに手を突っ込み、免許証を差し出したのです。「はい結構です」といっていわれた3520円の金額を差し出しました。受け取った切符には「シルバー割引20%」と記されているではありませんか。生まれて初めて受ける「シルバー割引」に私の心は妙に複雑な心境でした。「ああ、私もシルバーと言われる年齢になった」と思う諦めと、「20%得した」という優越感が交錯したのです。そのうち「20%の得」を忘れて、「そもそもシルバーとは何歳からなのか」という疑問が生じ始めたのです。普通世間の常識だと高齢者などの基準は65歳だと思うし、老人クラブの入会もその年齢だと聞いていました。この日は皮肉にも近づきつつある自分の老いを切符の「シルバー20%割引」という文字で初めて確認した記念すべき日となりました。

 それにしても「2等」という言葉がまだ乗り物の世界では平気で使われていることも驚きの一つです。特等、特1、1等、2等とランクが分かれていて、ランクが高い船室は上の方にありますが、フェリーで船底に車を積載するため船底の船室はありませんが2等はとにかく一番下なのです。他の上位ランクが個室風なのに比べ2等船室は大広間風で、昔のように何処に寝てもよい早い者勝ちの場所取りはさすがになくなりましたが、人間の寝れる範囲に通し番号が打ってあって、指定された自分の場所を確かめながら下毛布と上毛布を広げ、枕に上カバーを掛けて居場所を確保するのです。

 この航路は旅行会社の募集した四国遍路の旅に参加する九州地方の人々が、団体で乗り込んで中々賑やかでした。殆どに人は私と同じ60歳がらみの定年退職もしくは初老といった風格の人ばかりで、見ず知らずの人ながら気軽に話しかけてくるのです。「どちらまで」から始まる会話は身の上話や八十八ヵ所の話まで巾が広く、結構飽きずに話が延々と続くのです。

 私はこの航路に乗ると浴室に一番乗りで出かけます。小さい風呂ながら動く船の風呂に入れるとはまるで世界一周のクルージングを楽しむような贅沢なものです。シャンプーもボディソープも用意されて中々のものです。酒を辞めたため風呂上りに一杯はさすがになくなりましたが、約1時間前の乗船ですから午後9時55分発までには十分風呂を上がることが出来るのです。11時になると消灯し、朝4時には点灯されるその間の5時間が就寝なのですが、私のように旅なれていると10時には床に就き4時半まで眠るので7時間弱は睡眠時間を確保できるのです。

 でもいつも思うのですが、年金暮らしになると見栄や無駄のない暮しに徹底した方がはるかに気楽で得策なのです。格好をつけて特等室を取ったところで高い金を払って船室という檻の中に入るだけなのです。2等だと隣のおじさんやおばさんのいびきや会話が多少気になりますが、それでも人々の暮しの息遣いが見えてくるのです。今日もこうして新幹線や高速船のスピード旅では味わえない、スローゆえのゆったりした雰囲気が味わえるのですから嬉しいことです。

 朝5時、四国・愛媛・松山の港桟橋に降り立った時初めて、昨夜海の上にいた事を実感しました。

  「シルバーの 二割割引 烙印を 押された切符 記念に持って」

  「船中で 動くお風呂は いい湯だな のんびりスロー 気分最高」

  「一万で 二日間も 乗り放題 そんな旅する 老人横に」

  「どちらまで 会話始まる 船の中 思わぬ出会い ハガキひょっこり」

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