shin-1さんの日記

○クワガタに歓声

 一年前には「キャー虫だー」と泣き叫んでいた孫が何処でどうなったのか、最近は虫好きになってトンボやチョウチョを追い回すようになりました。多分孫と二人で行った100円ショップのダイソーで買った虫かごと、虫取り網が気に入ってからだろうと思うのですが、団子虫も平気で捕まえれるようになってえらい進歩です。

 3日ほど前親父が畑で小さなクワガタを見つけ、小さなナイロンの容器にビワの実と一緒に入れて持ってきてくれました。孫は恐竜やムシキングに心酔しており、「ウワー凄い」と気に入ったのは良いのですが、寝ても枕元に置き、風呂に入るときも窓辺にクワガタの入った虫かごを置くほどの熱の入れようで少々困っているところです。最初は恐る恐る外から眺める程度でしたが、鋭い角を持っているため背中から握るコツを教えてやったところ、虫かごの中に手を突っ込み手で平気で触れるようになって益々エスカレートするのです。

 親父に御礼に隠居へ連れて行ったところ、親父は孫にクワガタやカブトムシの捕り方まで話すものですから、やれクヌギの木だとか、やれハチミツだとか完全に捕獲作戦まで頭に描くようになってもう大変です。一昨日は幼稚園から帰ると早速パンに塗る小袋入りのハチミツを持って捕獲に出かけました。出かけたといってもクヌギの木があるわけではなく、裏庭に近くにあるビワの木の小さな穴にハチミツを少し垂らすだけなのですが、孫はワクワクして一緒にやりました。孫にとっては他愛のない夢なのでしょうか、目を輝かせてクワガタやカブトムシの来訪を待っているのです。

(10のポケットが減り、王子様の座を奪われた孫朋樹君ですが、それでも弟の誕生は嬉しく、時々抱かせてくれとせがみます。弟の名前は尚樹に決定しました。)

 私たちにとって初孫である朋樹君は少子化そのままにこの4年余り7つのポケットを持った王子様に君臨し、甘やかされて育ってきました。親父は大じいいちゃん、私たち夫婦はおじいちゃんとおばあちゃん、大阪のおばあちゃん、お父さんとお母さん、長男夫婦はおばちゃんとおじちゃん、次男と三男はおじちゃんと加えると何と10個ものポケットになって、誕生日、こどもの日、お年玉、お土産を全て自分のものにしてきました。ようね気に夢中になった飛行機も、今夢中の恐竜もまるでデパートの売り場のように揃っています。こうした作られた遊び道具にそろそろ飽きて、カードとか生きた虫に興味を示すのは成長している証拠でしょうが、甘やかしの構図に少し変化が出始めています。それというのもつい最近第二子の孫が誕生したため、王子様の座を弟に奪われてしまったのです。母親もおばあちゃんも何かにつけて幼稚語で赤ちゃんにすり寄り、自分はかまってくれない不満から「男同士」などといって盛んにおじいちゃんである私にすり寄ってくるのです。私もそんな寂しさを紛らわせてやるため努めて朋樹君の面倒w見てやります。でも何かあると必ず「お兄ちゃんになったのだから」と自覚を促す言葉が無造作に飛び出す度に満悦と不満の狭間で葛藤が起こるのです。

 クワガタへの関心はそうした不満の現われかもしれないと、クワガタに果物をやったりしながら孫と一緒に熱中しているのが私なのです。さて昨日早起きした孫がハチミツをビワの木に塗ったことを思い出し「おじいちゃんカブトムシを捕りに行こう」と誘いました。行きましたが何ら進展もなくハチミツのみがビワの木に残っていました。「まだカブトムシは幼虫から孵っていないのかも知れない」などといって納得させましたが、今年の夏は早起きしてクヌギ林へカブトムシを朋樹君と捕りに行きたいと約束をしました。


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shin-1さんの日記

○ヤッホー、私のメールが初めて外国へ届きました

 私のパソコンにはやたらと訳の分らぬ英文のメールが何処からともなく送られてきます。最初はエッと思って開いてはみたものの、それは迷惑メールと知ってからは無造作に迷惑メールとして処理しているのですが、それでも毎日届いて出張で2、3日家を空けようものなら100通に余ってその処理にうんざりするのです。

 そんな英文に混じって外国から一通のメールが届きました。オーストリアウィーンの日本人学校にこの春赴任したわがふるさと双海町出身の中尾先生からです。先生とは教育長時代の2年間同僚として仕事をした間柄です。中尾先生は小学校の先生ながら派遣社会教育主事として教育委員会で仕事をしました。優秀な方で2年間の仕事ぶりは目を見張るような活躍でした。特にマニフェストよろしく私が公表して望んだ双海町誌編さんの仕事や双海の子育て10の約束などをことごとく完成させてくれました。圧巻は就任そうそう町の入口に設置された有害図書自動販売機の撤去をめぐり、住民運動にまで発展させ撤去にこぎつけた仕事で、彼のひたむきな努力の成果でした。彼は2年間の2回も外国に行く幸運にも恵まれましたが、それは実力で勝ち取った大きな成果だろうとしみじみ思いました。

 そんな2年間を経て地元の小学校に赴任していましたが、思うところあって日本人学校で勤務する決意をして見事その切符を手にしてこの春家族とともにオーストリア日本人学校へ赴任して行きました。

 赴任先から春先一通の絵葉書が届きましたが、この春中尾先生と同じようにえひめ地域政策研究センターに伊予市役所から出向している松本君に中尾先生のメールアドレスを聞きだし、無謀にも外国へメールを送ったのです。

 haruji@・・・・・・・jp 」、これが私が初めて外国へ送ったメールアドレスです。多分届かないだろうと思って半信半疑送ったメールでしたが、昨晩中尾先生から、「メールが届きました」と返事が帰って来ました。「ヤッホー、私のメールが初めてオーストリアウィーンという海の向こうの外国へ届きました」。嬉しいことです。しかし驚きました。これが現代の情報化社会と分っていても瞬時に私のメッセージが届くなんて・・・・・。私がわが家の書斎を基地にパソコンでインターネットを始めてもう二年近くになりますが、昨日という日くらい嬉しい日はありませんでした。昨日は私にとっていわゆる小さな記念日です。これからも中尾先生とのメールのやり取りを通して新しい可能性にチャレンジしたいと思っています。

 「おい松本君、中尾先生が赴任している3年間の間に、何とかお金を貯めてオーストリアの中尾先生に会いに行こうや」と話したところ、彼も同感なようでした。アメリカ・メキシコ・ハワイ・韓国・オーストラリア・ニュージーランド・香港・マカオなどには行ったことがありますが、ヨーロッパの国々へはまだ私は行ったことがありません。夢を膨らませるのもいいもんだと思っています。

 それにしても若いっていいねえ。ウィーンで3年間も家族で暮らそうという意欲があるのですから。私など言葉の壁に阻まれて・・・・。でも英語が話せない私だって30歳でアメリカへ行こうと決意し青年の船でアメリカやメキシコへ行ったのですから・・・。

 奥さんと二人の子どもさんの外国での暮しが無事で楽しいものになりますようかげながら心より祈っています。

  「初めてだ 海の向こうに 住む人へ 半信半疑の メールを送る」

  「届いたと メールが届く 嬉しい日 小さな記念日 六月五日」

  「時差ありて 今頃どうして いるのやら 思い巡らす 友の姿を」

  「外国が 人の想いで 近くなる メール届いて もっと近くに」

 

 

 

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