shin-1さんの日記

○タマネギの収穫

 こんなに長い間畑にある野菜も珍しいといつも思うのがタマネギです。タマネギの苗は昨年の文化の日頃に売られています。したがって植え付けもここ四国地方では11月の上・中旬なのですが、それから秋・冬・春と季節を越えて7ヶ月間も畑でじっとその収穫の時期を待つのですから、忍耐の作物としか表現できないのです。

 わが家では無農薬でタマネギを栽培して1年中の食料として保存するのです。昨年保存し使われず残ったタマネギが一束軒先に吊るしていますが、もう芽が出て食料としてはつかえないようです。それでもタマネギの生命力は大したもので、親タマネギを栄養分として子どものタマネギが緑の葉っぱを空中で出しているのですから大したもので、まるで宇宙で実験をしている作物のようです。

 このところ天気が安定してむしろ松山市などでは水不足が心配で、6月のこの季節だというのにもう取水制限実施などという苦しい水事情が報道されています。でも天気がよいと農作業ははかどって梅の収穫も無事終り、今度はタマネギの収穫とばかり、90歳の親父は毎日私にタマネギを地中から引き抜いてくれとそれとはなしに私にアプローチを掛けてくるのですが、このところ忙しく中々時間が取れないのが実情です。それでも一昨日朝早く起きてとりあえず引き抜き畑に転がして仕事に出かけました(仕事といっても講演と会合程度です)。ところが一昨日家へ帰って畑を見ると雑然と雑草の中にあったタマネギがお行儀よく畑に枕を並べるように並べているではありませんか。親父に聞くと「お前の仕事は雑でいけん。あのままだと天気がよくても乾かないから草を削って並べ替えといた」というのです。驚きです。ご覧下さい。これが90歳の親父のこだわりタマネギ地上絵アートなのです。

 何かにつけて几帳面な親父ですが、ここまでとはただただ驚くほかありませんでした。そして昨日の夕方「明日の天気は晴れ時々曇り、所によってにわか雨」というものですから早速収穫する話がまとまり、夕方5時から包丁で茎を切り落としタマネギの球根を集めてキャリーに入れ、夕観所の軒先に一輪車で運びこみました。今年の作柄は親父も「つい最近で一番の豊作」と喜ぶように玉部鳥もよく、毎年見られる生育不良の外品は殆どなく収穫することが出来ました。

 親父はこのタマネギの一部を近所に住む息子や娘、それに日ごろ何かと気遣ってくれる兄弟のところへ送ってやるのも楽しみの一つです。早速明日はこのタマネギの古い皮を剥いで手づくり愛用のタマネギネットに入れ保存のために私設公民館煙会所の軒先に吊るす準備をするのでしょう。

 親父の几帳面さはこれだけではありません。切取ったタマネギの茎は、こちら辺では「ぜつめ」という草切りの道具で細かく切って畑に還元するのです。夕暮れ迫っているので「明日にしないか」と諭しましたが、「今日しか出来ない仕事を明日に伸ばすな」と言って作業を行いました。ただただ感服です。

 私は父のこうした教えを毎日見聞きしているのですが一向に上達した生き方が出来ません。口でも物を書いてもある種スピードある行動も負けませんが、まるで尺取虫のように日々の行動を積み重ねる生き方はまだまだ駆け出し、フンドシ担ぎといったところでしょうか。親父の少しずつ衰える姿を見ながら、親父のような地道な役立ち感のある人生をこれからも真似て生きて行きたいと思いました。

 昨晩は取れたてのタマネギをオニオンスライスとしていただきました。少し辛くて少し甘い雪のように白いオニオンはドレッシングでいただくととても美味しい旬の味でした。この食べ物の欠点は臭い屁がよく出ること、まあいいか。

  「オニオンを 食って屁をひる わが家かな 父さん臭いと 妻も同じ屁」

  「タマネギを 並べ地上絵 アートです 既に消え行く デジカメ証人」

  「手作業で タマネギ畑 跡形も ないよう元の 綺麗畑に」

  「明日がある そういう息子 諭しつつ 今日しかできない 態度で示す」 


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shin-1さんの日記

○本を買うのは容易いが本を売るのは難しい

 一昨日の地元新聞朝刊に私が代表を務めるえひめ地域づくり研究会議の記事が掲載されました。私の講演要旨が出た翌々日だったので関心も高く、あちらこちらでその話が出ています。今回の記事はえひめ地域づくり研究会議創立20周年記念誌の出版を知らせるもので、わが双海町出身でえひめ地域政策研究センターに伊予市役所から出向して会議の事務局を担当している松本君が記念誌を持って恥かしそうに写真に写っていました。あらかじめ松本君からその話を聞いていたので納得しながら読ませてもらいました。

 3日前私はセンターに出向き立派に出来上がった記念誌を50冊松本君から受け取りました。というのも前回の運営委員会で私の提案で記念誌をそれぞれの運営委員が20冊以上販売する目標を渋々?ながら認めさせました。多分異論もあったのだろうと思いますが、資金難にあえぐ小さな団体なので60万円をかけた記念誌を少しでも多く売らなければ事業をすることが出来ないからです。言いだしっぺの私を含めた代表運営委員をしている3人は最低50冊は販売するとみんなの前で公言したのです。

 さて本は買うもので売ったことなどない人にとっては、これくらい厄介なものはありません。ましてや自分の本でもない記念誌ですから説明や想いがないと相手には無用の長物だし、売ることは困難なのです。幸い私は自著本「昇る夕日でまちづくり」を6千部、ボランティアグループの「今やれる青春」を3千部販売した実績があるのです。ですから50冊のノルマは何のことはありません。まず買ってくれそうな人を頭に描き手始めに人間牧場を見学に来た人にアタックしてみました。小学校の玉井校長ご一行様4冊お買い上げ、東京都奥多摩町視察者ご一行5冊お買い上げ、そして今日はえひめ生協の松本専務さんにご無理をいって3冊お買い上げ、漁協女性部の皆さんに10冊お買い上げと私の業績はうなぎ上りです。それもこれも日ごろの出会いやまちづくりのネットワーク、フットワークがものをいうのです。

 それでも時々「本を買ってください」といっても、「それ何なん」とか、「私はそんな難しい本は要りません」とか幾ら説明しても拒否する人も中にはいるのです。多分そんな人は私たちと価値観や生きてる世界が違うのだとあきらめて引き下がるのですが、私のブログさえ見たことも見る方法さえも知らない人に幾ら必要性を説いても「馬の耳に念仏」なのです。

 本を読まない人たちは一体何で知識を得ているのでしょう。多分察するにテレビやラジオ、新聞や人の話が殆どなのではないでしょうか。まあそれでも生きていけるし本を読んだからといって幸せになるとも限らないのです。でも私の知識の殆どは活字媒体からですし、その事によって随分豊かに暮らしてきました。これからもできる限り本を読みたいと思っています。

 今回の記念誌はワンコイン、つまり500円です。ポケットマネーとして簡単に出し易い金額として五百円硬貨一枚の値段を設定しました。ガソリンだと2リットル強、ペットボトルのお茶だと3本で50円のお釣り、そこら辺の温泉だと1回の入浴料金、子どものちょっとした小遣い銭、勿論双海町から松山までのJR運賃にもなります。こうして価値を比較してみると記念誌は500円といえどかなりグレードの高い情報誌だと私は思いますが、さてさて猫に小判の人も多くいるはずです。

 今回の記念誌販売はややもすると経済を無視する風潮のあるまちづくり人が、本を売るという手法で資金を稼ぐ始めての試みなのです。多分個人差もあるので余り期待は出来ませんが、もし原価である60万円を稼ぐのであれば、えひめ地域づくり研究会議の未来は明るいと、ふと捕らぬ狸の皮算用をしております。

  「買うもので 売るなどできる はずがない そこを越えねば 未来あるまい」

  「ワンコイン 出すのを渋る 人々を 騙して出さす これも裏技」

  「役場さえ 買わぬ記念誌 誰が買う 少しは勉強 しろと言いたい」

  「セールスも 出来ぬ人など まちづくり 出来る訳なし 経済観念」  

 

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