shin-1さんの日記

○船で海に飛び出そう

 毎日海を見て育っているように見える双海の子どもたちも、実は意外と海の事を知らないし海に触れる機会が少ないのです。そんな子どもたちに郷学の一貫として毎年地元の漁船に乗せて海を体感する催しが今年も開かれました。子どもたちにとっては期待も大きいが、船酔いなどの不安もあってドキドキするような体験に違いありません。でも海はロマンのふるさとといわれるように何処かワクワクするのです。

 支所の前へ早朝7時30分に集合し人数の確認や注意事項を説舞した後、歩いて漁港まで行きました。

 

ここで救命胴着を着用し出発式をしました。私は委員長なので海の上なので事故が起こらないよう細心の注意を払うことや、何時も見ている青島に上陸し、青島から自分のふるさとを見ることの意味などについて簡単なあいさつをしました。あゆみ板を使って4隻の底引き網漁船に分乗し、さあいよいよ出航です。

 港の桟橋ではありませんが、漁港の岸壁から一人の素敵な女性が手を振って見送ってくれました。翠小学校の和田校長先生です。先生は今年の4月、鹿島校長先生に代わって赴任してこられましたが、実行委員ということもあっておもしろ教室のその都度に顔を出されていますが、今回は所用で残る事になり見送るだけでもと参加されました。

 この日は台風5号の接近で海のざわめきが心配されましたが、取り越し苦労のようで海は穏やかでした。でも霞がかかって遠望が利かず、港の赤い灯台の向こうに見える双海のシンボル本尊山も何処となくかすんで見えました。

 子どもたちも最初は元気で舳先によじ登ったり、まるでネズミのように船内をチョロチョロしていました。このツアーには保健士の大谷香代子さんも医療スタッフとして参加してくれました。旧姓井上香代子さん時代は無人島に行ったりフロンティア塾に参加したり、一緒に色々な活動に参加した懐かしい顔なので、「まるで無人島へ行った頃みたいじゃねえ」と思い出を話し合いました。

 針路を西に進んでいた漁船が約40分で漁場に到着し、いよいよ底引き網の操業開始です。危険なため船尾には立ち入れませんが、網入れや網上げは何時も緊張が走り、漁師さんの顔も真剣そのものです。今は魚群探知機やGPSなどの電子機器が普及して、この漁船も海底にある漁礁が映し出され、その側を縫うように網を引っ張るのです。

 風も無風になって船の速力も網を引っ張っているためノロノロで、波任せといったところでしょうか、案の定子どもたちは無口になって船酔いが始まったようです。船内のあちこちでグロッキーのためか、ゴロゴロ寝込んでしまいました。一人は船酔いがひどく吐いていたようです。

 1時間余りのえい航の後網上げが始まりました。子どもたちも興奮気味で先程の船酔いは何処へやら、魚がぴちぴち跳ねる姿に大きな歓声が上がりました。今日の漁場はカマス狙いだそうですが、その狙い通りカマスが沢山網にかかっていましたし鯛や小魚も沢山漁獲され大漁でした。私と同行した西岡さんが手伝いに加わり魚の選別作業をしました。トロ箱に魚の種類ごとにより分けましたが、太長な発泡スチロールのトロ箱に5個も獲れました。

 網を洗浄しながら青島へ向かいましたが、美しい弁天岬が見えてきました。私たちの町から見える弁天岬は地球が丸いせいか何時も途切れて島のように見えますが実際はくっついているのです。

 いよいよ目的地である青島の港に到着しました。この港へ上陸するのは何年ぶりだろうと思うほど長い間来ていません。島通いの連絡船が発着する桟橋に特別許可をもらって接岸係留し、子どもたちは島への第一歩を記しました。するとどうでしょう。何処からともなくたくさんの猫が現れ、子ども対の身の回りは騒然とし始めました。この島は食糧難な時代に芋や麦が栽培されていました。特にサツマイモは野ネズミの被害に手を焼いていました。この野ネズミを駆除するため猫が放たれましたが、野ネズミは駆除されたものの今度は猫が増え続け、今では人間の数より猫の数が多いほど繁殖したのです。

 スタッフが海鮮バーベキューの昼食準備をしている間、子どもたちは私の案内で島内探検に出かけました。普通は元小学校の校舎見学なのですが、この日は弁天岬までの細い畑の中の道を進みました。一列に並んでの進軍です。途中殉難の碑の前を通りました。海の上に浮かぶ孤島ゆえに悲しい海難事故の歴史が秘められた記念碑です。この記念碑はわが町の上灘青年団も建立に協力しており、海につながる運命共同体として価値ある歴史なので詳しく説明をしておきました。

 この日はあいにく霞んだ天気で地かたの双海町辺りは弁天岬から見えませんでしたので、34人の子どもたちは畑中の道に一列に並んで、一斉に双海町に向かって大きな声を張り上げました。人の声など絶対に聞こえるはずがない遠さですが、思いを伝えるためのパフォーマンスをさせてしまいました。

 島内探検から帰ってみると既に海鮮バーベキューが出来ており、先程漁獲したアジやカマスが炭火で程よく焼かれ、香りを漂わせていました。早速持ってきたご飯だけの弁当を広げにわか設えの木陰に陣取り昼食を楽しました。飛び切り新鮮なアジやカマスは飛び切り極上な味に子どもたちは何匹もお代わりをしていました。匂いに吊られた猫も沢山集まり、賑やかな昼食です。

 やがて満腹、思い思いに自由時間を過ごし、船着場の前で記念撮影をしました。

 さっきまでの船酔い姿が嘘のような張り切りようで青島の思い出を心に焼き付けました。やがて出航時間の2時となり地元の方の見送りを受けて島を後にしました。双海町上灘漁港までは約1時間弱の道程です。双海町が近くなるにつれて遠望が利き始め、牛の峰やシーサイド公園が綺麗に見えました。子どもたちは舳先で心地よい時間を過ごしながらふるさとの姿を沖合いから見学していました。


 港に着いて簡単な閉会式を行い、漁獲した魚をおすそ分けしてもらい、氷を入れて迎えにきた家族とそれぞれ帰って行きました。久しぶりに童心に返ったいいプログラムに参加して、意義ある一日を終えました。

  「沖を見る 今度は沖から ふるさとを 同じ目線で まったく違って」

  「いい町と しみじみ思う 海からの 眺め楽しみ 住める悦び」

  「人よりも 猫数多い 青島に 住む人絶えし 人家目に付く」

  「何年か ぶりに訪ねし 青島も 過疎と高齢 更に厳しく」 

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shin-1さんの日記

○忙しかった7月

 スケジュールに追われない自由な暮しに憧れて自由人になったはずの私ですが、何故かスケジュール表がいっぱい詰まって、気がついてみると現職の時以上に忙しくなってスケジュールの追われて暮らしています。これではいけないと思ってはいますが、「スケジュールが空いてない」などと電話やメールに嘘の反応をすることもできず、ついつい請われるままにスケジュールを入れて悲鳴を上げているのです。でも妻が言うように「声がかかる間が華」と考えて適当に対応しています。

 今月は台風で3ヶ所のスケジュールがキャンセルとなったものの、島根県、佐賀県、高知県、香川県、広島県、徳島県と6回も県外へ出ました。その都度深い人間関係のご縁をいただく訳ですから、ハガキやメールでのやり取りも大変なもので、忙しいスケジュールをより一層忙しくしていて、21年間続けている一日三枚のハガキももうそろそろ限界かなとも思いつつ、こだわり続けて実践しているのです。

 今月の忙しかった理由は三つあります。県外出張は往復の道中が長く宿泊を伴うのですが、島根を除けば全て日帰りの旅になりました。新幹線や高速道路は有り難い移動手段です。二つ目は愛大のフィールドワークの授業が二日間現地研修となったことです。今月は伊予市と西予市にお邪魔しました。伊予市は米湊さん、西予市は三好さんを窓口に旧友親友に随分ご迷惑をかけてしまいました。それでも学生たちにとっては大きな成果のある小旅行となりました。もう一つは県内での仕事が遠隔地が多く県境近くへの移動が多かったようです。私の車のメーターは悲鳴を上げるほど走りました。カーナビのご厄介になりながら文句もいわず走ってくれている訳ですから、少しご褒美にオイル交換でもしなければと思っています。不幸な事に追突されて愛車は無残な姿になってしまいました。この際タイヤも全て交換しリニュアールして再びの移動に備えたいと思っています。

 何はともあれ忙しかった7月も今日で終り明日からはいよいよ8月です。8月も山口県、高知県、東京都、和歌山県、広島県と5回も県外出張が予定されています。お盆月なので先祖の供養もしなければなりませんし、人間牧場も気になるところです。更に夏休みなので孫の来訪も頻繁になることでしょう。更に更に少年少女おもしろ教室のキャンプや夏祭りも加わり7月にも増して8月も忙しそうですが健康に留意して、暑い夏を乗り切りたいものです。

  「1ヵ月 くくりて動く スケジュール 何でこんなに 忙しいのか」

  「忙しい 思えば多忙 超多忙 忙中閑は 心のゆとりか」

  「考えも つかないほどに 走ってる 車のメーター 車が悲鳴」

  「ああ俺も こうして歳を とって行く 寿命の日々を 一つまた消し」

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shin-1さんの日記

○夏の学力向上トライアル

 小・中・高校では既に長い夏休みに入り、会社でも1週間くらいの夏休みが与えられているようですが、サンデー毎日の私などに夏休みと名の付くものはなく、暇が出来れば夏休みといった感じで、夏休みのあった昔が懐かしく思い出されます。大学に講義に行ってる関係上明後日から学生が2ヶ月の夏休みに入るので一応は私も講義が休講で夏休みなのです。こうして夏休みのある人がいると思えば、この夏休みを飛躍発展に使わなければならない人だって結構いるのです。

 受験が間近に迫っている中学や高校の受験生は夏休みなど上の空で補修などに頑張らなければならないのです。

 学年は2年生で受験はまだ先のことですが、そんな高校のサマーチャレンジに講師として招かれました。私の町からだと往復200キロを越すほど遠い鬼北町にある北宇和高校です。この学校へはこの時期相手こそ違え毎年行っており、一昨年8月4日・昨年8月1日、今年7月30日と日時こそ違え多分三年連続ではないかと思うのです。

 会場は冷房の効いた北辰館という講堂のようなこじんまりした会場でした。担当の三好先生が私を紹介して1時間の授業が始まりました。一昨日の小学生に話すのとはスピードが違い、まるで機関銃のような速さで話しました。多分普通だと1時間半の番組でしょうが早送りして1時間にしたようなものです。それでも高校生は随分乗って聞いてくれました。

 私の話の演題は「青春へのメッセージ」でした。高校生にはこんなタイトルでよく話をするのですが、私が高校生だった頃は長閑な時代でありそれでいて社会悪もそんなになく、殆どの人が大学や専門学校に行く現代のような時代ではありませんでしたから青春を謳歌して過ごしました。そんな時代でも夢だけは持っていました。「夢なき民は滅びる」という言葉の通り、特に若い人たちには将来の夢をきちんと持って欲しいと思うのです。若いときの夢は他愛のないもので、格好がいいとか楽をして儲けたいというな夢に一度は憧れるものです。でもその夢が実現できず失敗したり挫折してもその事に意味があるのだと思うのです。

 私も4人の子どもを育てました。今はそれぞれ別の道を歩んでいますが、次男は転職して5年間も看護学校へ行って看護士となりましたし、三男も転職して警察官となりました。夢に挫折し夢に再チャレンジすることも人生なのです。学業の成績や学歴が巾を利かせた時代は去って、むしろ挫折や失敗を経験した回り道の方がいい人生になることだってあるのです。

 私自身も病で漁師を断念し、そこから身を起こして今日まで生きてきました。多分夢を持っていたから頑張れたような気がします。ただし「夢はドリームではなくターゲットである」ということのために努力したから、ささやかながら夢をつかめることが出来ました。

 凪ぎようで身近い夏休みにもうひと踏ん張りして、夢を見つけてみては如何でしょう。今日も高校生から清新なパワーをいただきました。北宇和高校の2年生の皆さんありがとう。

  「若者に 接する度に 若くなる 俺の心は 衰え知らず」

  「歳だけが 若くて若いと 言えません 歳をとっても 若い人有り」

  「夢つかむ それ相応の 努力要る 後は天運 しっかり励め」

  「楽をして 金や幸せ 来るものか お天道様は しっかり見てる」

  

 

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shin-1さんの日記

○住吉祭り

 私たちが子どもの頃は、隣町であった上灘町や郡中町へ行くのには、舗装もしていない細い砂利道と国鉄しかなく、隣町は遠い遠い存在でした。車など殆どなかった戦後のことですから隣町へ行った記憶などそんなにないのです。それでも夏になると新造船が船降ろしと称する進水式を挙げた船は、香川の金毘羅さんや広島の宮島さんへお参りに行くものですからわが家の船や身内の満艦飾船に乗って、まるで修学旅行にでも出かけるような雰囲気でお参りに行ったものです。途中幾つかの島に立ち寄りながら島伝いに航海しながら目的地に着いた時の嬉しさは淡い少年の頃の夢として今でもはっきりと心の中に焼きついているのです。

 夏の29日は郡中の住吉祭りです。この時も陸路でなく漁師さんたちは漁船を仕立てて近所や親戚の人を乗せて海路のお参りに出かけました。漁船のエンジンもスローな時代でしたから目と鼻の先なのに1時間以上もかかったような感じがしました。西に夕日が傾いた頃、五色浜の松林の沖を通り郡中港の内港に係留して上陸、少しばかりの小遣い銭を握り締め、人でごった返す山門を通ってお参りしましたが、お参りなどそっちのけで屋台の店が並ぶ中に入り、お目当ての屋台の前で長い時間過ごしました。花火が上がりやがて10時頃になると再び船に乗って帰路に着くのですが、船の上では大人たちがこの日のために漁獲した鯛を料理して刺身を作り酒盛りをして楽しんでいました。
(中庭の蔵前で開かれたコンサート、いい雰囲気でした)
(真剣にコンサートに聞き入る孫朋樹)
(孫と松本さんのツーショット)

 今日は住吉さんの縁日です。まちづくり人で親友の門田さんに声を掛けてもらっていたので、宮内家町家コンサートに出かけました。私はコンサートを楽しもうと思っていたのですが、二日前からわが家に逗留している孫がどうしても一緒に行きたいというので、同行する事にしました。孫と車の中でだまってコンサートを聴くよう約束したのですが、4歳の孫には30分が限度で、やれオシッコだのお祭りが終わってしまうなどと耳打ちするものですから、他のお客さんに迷惑を掛けては失礼とそそくさ引き上げました。それにしてもあれほどの人通りなのに宮内家の中庭は喧騒を忘れさせる静寂で、黒竹林や土蔵、飛び石などほの暗い雰囲気は満点でクラリネットなどの五重奏に夏の暑さを忘れさせてしまうほどでした。それにしても文化への関心は意外と薄いと感じました。あれ程の人通りなのに会場に足を運ぶ人はまばらで、まあその分静に音楽が聞けたと思えば納得するのですが、伊予市のような大きな街でさえも文化に対する意識を上げて行くのは容易でないと、あらためて文化協会の会長を務める門田さんの苦労を思いました。会場にはえひめ地域政策研究センターの松本さんご夫妻やわが長男の姿、市長さん始め巡視団一行の姿も見えました。

(息子の出品した組み写真による人間牧場紹介)
(息子の展示写真を説明する本田さん)

 わが長男は建築士会伊予支部の皆さんと町家の一角を借りて展示会を開いていました。息子の出品作品は人間牧場で、孫と私のロケ風呂入浴シーンも恥ずかしながら組み写真で紹介され、心ある通行人が足を止め、「あっ、この人間牧場テレビで見た」などと話したり、「人間牧場の見学はどうすれば出来るのですか」と問い合わせている姿もちらほらでした。

 肩がすれ違うほどの混雑に身をゆだね孫の手を引いて街の中を歩きましたが、孫のお目当ては露天です。かき氷を買い求め、約束どおり自分のお目当ての店で300円のくじを抜きました。8等を引き当て、店の主人が「このグループの中から好きなものを選んでください」といわれ、孫は即座に拳銃と手錠のセットを選びました。やはりテレビの影響でしょうか。私は好ましい物ではないと思いつつ、孫の思いも大事にしたいと思い選びました。

 やがて空模様が怪しくなり、雷や稲光に加え雨が降り始めました。花火を打ち上げる矢先の出来事なので戸惑う人が小走りに立ち去っていました。私たちも急いで駐車場まで引き返し、上がる花火を家の谷間から見ながら家路につきました。



(車の中から孫と一緒に見た花火、綺麗でした)

 孫も喧騒の興奮、花火の興奮、稲光の興奮が重なりショックを受けたのかその夜は疲れているのに中々寝付けませんでした。それでも午前3時ころでしたか、夢心地でアンサンブルコンサートで聞いた童謡を歌いだしたのです。僅か30分のコンサートでしたが、孫の心の潜在能力に音楽は確実にインプットされていました。

  「突然に 夢で童謡 歌いだす 孫の寝顔に 頬ずりしてやり」

  「文化では 飯が食えぬと 思うのか 来て欲しい人 顔も見えぬわ」

  「孫私 恥ずかしながら 展示され 息子説明 どうすりゃいいの」

  「八等を 引き当て孫は ご満悦 屋台のおじさん ぶっきらぼうに」

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shin-1さんの日記

○クロマグロの完全養殖

 宇和島水産高校の先輩である玉井さんから昨日電話があり、「スケジュールが空いていれば近畿大学の公開講座が松山であるので聞きに来ないか」と誘いを受けました。この日はあいにく午前と午後と夜、ちょっとした集会や出会いがあるのでと?マークでお茶を濁していましたが、何となく気になるテーマなので思いきって他の用件を削って参加する事にしました。

 全日空ホテルの4階で開かれた講座は100人の定員でしたが満席で、講師である近畿大学水産研究所所長熊井さんの知名度か、あるいは近畿大学の関係者か、はたまた主催者の動員か分りませんが、満員御礼とは嬉しいことと自分自身もこの講座に参加してよかったと思いました。

 私はこの番組を見ていませんが、今日の講師の熊井さんはかつてNHKの人気番組であったプロジェクトXで紹介された名うての方なのです。誰も手掛けたことのない黒マグロのの完全養殖、つまり飼育母体魚から産卵受精させ、人工ふ化仔魚⇒人工稚魚⇒人工幼魚⇒人工親魚⇒再び受精卵となるサイクルを人間の手で、平成14年に世界で始めて成功させた方なのです。

 マグロといえば寿司のネタとして私たち日本人には何かと馴染みの深い魚です。その漁獲量は年々減り続け、資源枯渇を心配した国際会議によって漁獲量の制限が打ち出されるなどのニュースが最近、新聞紙上を賑わせているようです。

 熊井先生の話は学者らしく研究データーやマグロをめぐる国内外情勢をパワーポイントで説明していく、どちらかというと面白さに欠ける語り口ですが、さすが世界の頂点を極めただけのことはあると納得して聞き入りました。

 私もかつて宇和島水産高校漁業科に学び、実習船愛媛丸で珊瑚海までマグロを追った経験があるだけにとても興味のある話しでした。特にマグロが時速90キロで泳ぐという事実や、マグロが生まれてから死ぬまで泳ぎ続けるのは体温を一定に保つためという話しなど、今まで聴いたことのない話しが随所に出てきました。

 かつて数年前交流をしている奄美大島瀬戸内町へ講演に行った折、マグロの養殖場を見学する機会に恵まれ、感動した思い出があるだけに、スライドに出てくる奄美の海の思い出がつい昨日のことのように思い出されました。

 四国でも旧内海村や先日訪ねた大月町でクロマグロの養殖が始まっており、養殖もののマグロが店頭や寿司屋に並ぶのもそんなに遠くはないようです。

 人のやらない事をやることは勇気のいることだし、失敗といういくつものハードルを越えた話は、夕日を地域資源にまちづくりに取り組んだ私の話とどこかよく似た話でした。

 会場には10数人、知人友人の顔もちらほら、さすが前向きな人たちは日曜日でもこうして絶えず学ぶ心を忘れない動きをしていると、感心させられました。

  「クロマグロ 今では養殖 するという 何もそこまで いやいや価値が」

  「日曜と いうにあの人 顔を出し 学ぶ姿に 頭下がりて」

  「話し聞き マグロの寿司を 食べなくて 土用丑の日 ウナギ食うとは」

  「ああ俺も 南の海に マグロ追い 今は懐かし 少年の頃」

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shin-1さんの日記

○緑の少年団活動発表大会

 昨日は東温市で開かれた緑の少年団発表大会の記念講演に招かれ出かけました。会場へ着くまでの道中で追突事故に遭い少なからず心の動揺を隠せないままの会場入りとなりましたが、私の到着が予定より少し遅れたため担当の吉田さんは炎天下の駐車場で待っていてもらい恐縮しました。

 私の話はいつもながらのアドリブなのですが、演題は「緑と縁で心豊かに生きる」と付けさせていただいていたので、まあ大きな流れはそんな話に終始しました。私は子どもの頃緑と縁という文字がよく似ていることから、国語漢字の書き取りでは緑と縁をよく間違った苦い経験があります。同じ糸偏であることも間違った原因ですが、人間の暮しは緑と深い縁がある事をまず最初にお話しました。私の話は概ね次の5つぐらいだったように思います。

 ①人生と年輪

 高知県馬路村魚梁瀬千本山の魚梁瀬杉の森を見て感動したことや、人間牧場に置いてある樹齢150年生の魚梁瀬杉の切り株に刻まれた年輪を見る度に、人間の寿命のはかなさを感じます。一年365日がこの一つの年輪にしか過ぎないと思うと、年輪を刻むことの意味が分るのです。また先日訪ねた徳島県上勝町では木の葉っぱを売っていますが、自然が豊でないと葉っぱも売れないし、自然とともに共生することの意味を話しました。

 ②生命のパズル・環境のパズル

 私の先祖を二人四人と辿ってゆくと十代前には1024人の先祖がいます。つまり私というジグゾーパズルの絵を仕上げるのには1024個のピースが必要なのです。一個でもピースが欠けると自分の存在はありえないのです。

ですからかけがえのない命を大切にしなければなりません。自然環境もまた多くのピースが集まって一枚の絵を作ってるのです。人間は便利さや経済のために必要なピースを取り除いてきました。これからは取り除いたピースを元に戻す作業をしなければなりません。

 ③森は海の恋人

 宮城県唐桑の漁師さんたちが山に木を植える運動を始めました。海で育つ牡蠣は森から流れ出た栄養によって美味しい牡蠣になることが分ったからです。森と海は運命共同体なのです。私の町の人たちも山に木を植え、EM菌などで海を守る運動を一生懸命やっています。

 ④最近気になる限界集落

 高齢化率50パーセントを越えているところを限界集落といいます。簡易水道や集落道などのライフラインを自治組織だけで守ることが出来なくなっているばかりか、近年の台風によっておびただしい数の風倒木被害が放置されたままになって、二次災害が心配です。

 ⑤潜在能力と健在能力

 氷の実験だと浮いた部分と沈んだ部分の不文律は、氷が小さくても大きくても1対6、人間は1対6で生まれても知識を知恵にする努力さえすれば2対5や3対4、時には4対3にもなる、そのためには読んだら書く、聞いたら喋る、見たら実践することが大切です。

 ⑥常識と非常識

 世界地図の真ん中に日本のない世界地図があることを考えると人間の考えは自分の位置を変化させる事によって幾らでも考えが変るものです。自分では常識だと思っていることが案外非常識なことが多いようです。

 ⑦スロ-ライフとロハスを目指す人間牧場

 私の暮しはスローライフとロハスを目指しています。人間牧場はその場よとして作りました。今では多くの人が日本全国からやって来て楽しい活動を続けています。

 ⑧今私たちに出来る身近な実践とは

 私はマイ箸運動をやっています。また買い物袋を持って買い物に出かけます。またハガキを3枚毎日21年間書いたり、海岸の清掃を早朝5時から3時間毎朝12年間続けました。まるで尺取虫のような小さなことですが、続ける事によって人に感化します。

 おおよそ以上のような事を話しました。15項目も用意したのに夕日の話や花の話などには触れずじまいでした。参加者が小学生中心だったこともあって、噛み砕いて話したつもりでも少し難しかったかも知れません。ましてや40分授業に慣れている子どもたちに1時間は少々きつかったかもしれません。ステージの上への反応は上々のようで自己満足といわれるかも知れませんが一応役目を終わりました。

  「子ども語で 話してみたが 子どもには 難し過ぎて チンプンカンプン」

  「大人何故 簡単話 難しく するのと子ども 疑問符付けて」

  「森・林 見過ぎる故に 木が見えぬ 木だけ見てると 森林見えぬ」

  「追突の 事故の後遺と 茶を濁す 俺の実力 たかがしれてる」

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shin-1さんの日記

○追突事故

 それは一瞬の出来事でした。今日は東温市で開かれる緑の少年団の研修会に招かれ、会場を目指して県道伊予ー川内線を走り砥部町交差点に差し掛かった時です。いきなり後からRV車が私の車の後にドスーンと追突してきたのです。交差点近くの渋滞地帯なのでそんなにスピードを上げていない場所であるため、不幸中の幸いというべきか、車の後は大破しましたが外傷もなく直ちに眼鏡屋さんの駐車場近くに私の車と加害者の車を寄せて、ひとまず加害者が110番して事故の報告と事故処理を依頼しました。相手は砥部町の女性でしたが、訪問介護のヘルパーの仕事をしているらしく、急いでいたしわき見をしていたと私に平身低頭で謝りました。ことの重大さに動転して興奮気味でしたので、落ち着いて話すよう諭しました。私は講演が迫っていたし後が痛んだ車では会場へも行けず、妻の職場に電話してつい目と鼻の先にある車ハウス砥部という自動車屋に電話をしてもらいました。私の携帯電話中に救急車が前を通りかかったため、「事故に遭った」と告げると携帯に救急車のけたたましいサイレンが鳴ったため、妻の動転も大変なものでしたが、落ち着くように告げて電話を切りました。

 やがてパトカーと事故処理者が相次いで到着し、聞き取りと現場検証が始まりました。聞くところによるとこの方は最近離婚し車の任意保険もかけてないないようで、気丈に「全ての責任は私にあるのですから」といいつつも、お金のことが気になるようで、おっつけ来た修理やさんに「幾らぐらいいるのでしょうか」と陰で聞いていたようです。私は被害者なので警察の聞き取りも簡単でしたが、私の首筋が少し重たいようなのでとりあえず病院へ行くよう勧められました。病院へ行くと加害者は被害者に障害を与えた事になるので刑事罰は免れないと担当の警察官は厳しくいいました。こんな場合加害者が被害者になる事例は何処にでもあることなので、いっそ何処も悪くないと言いたかったのですが、もしムチ打ちにでもなっていたらそれこそ大変なので、ここはグッとこらえて病院へ行く事を相手に告げました。相手の方も是非そうして欲しいといわれたのですが、私はこれから講演をしなければならないし、加えて今日は週末の土曜日で講演が終わってからだと病院は何処も休診で、病院は月曜日も火曜日も予定が入っているので、2~3日後となってしまいそうなのです。まあ様子を見てみようと思っています。

 代車を借りて講演会場へ向かいましたが、警察官が到着する間と現場検証の間は炎天下で30分もの長い時間となって、汗でシャツもびっしょり汗をかいてしまいました。どうしようかと思いましたが、着替えも持たず、ましてや今日に限って財布も忘れてまさに女時の一日となってしまいました。

 近くのスーパーに飛び込みシャツとパンツを買って近くの温泉に飛び込んでさっとひと風呂、お陰様で汗臭い姿はさっぱりして会場入りしましたが、とんだハプニングでした。

 交通事故は他人事だといつも思っていました。ところが被害者ながら当事者になった気分は最悪です。現場検証を他人事として横目で見ながら通りすがる車の視線の何と冷たいことか、また知り人は私が加害者として事故を起こしたものと勘違いし、節目がちで気の毒そうに走り去って行きました。多分今晩あたりは「若松の進ちゃんは砥部の入り口付近で今朝事故を起こしていたようだ」と酒の肴になっていることでしょう。

 まあ何はともあれ加害者には悪いのですが私としては驚きの一日となりました。皆さんくれぐれも交通事故にはご用心。

  「知らぬ間に いきなりドーンと オカマされ 車痛んで 首筋ちょっと」

  「事故などは 他人事だと 思ってた 後ろに目がない どうにもならぬ」

  「加害者も 今頃被害者 なりにけり 自分言い分 言いたいけれど」

  「都合よく 修理屋近く 来てくれて 代車サービス お陰で間に合い」 

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shin-1さんの日記

○ここだけの話しだけど

 「ねえねえ、ここだけの話しだけど、人には絶対に言わないようにしてね」という言葉を耳にしながら相手から、内緒話を聞くことが時々あります。喋った本人も話を聞いた方も内緒話なので「絶対言ったら駄目」、「絶対言わない」と密約を交わすのですが、これが中々の曲者で言う方も「ここだけの話」には終わらず、言われる方は「言わないように」と言われたら言いたいのが人間の心情のようで、またたくまにそこら辺に広がって、震源地を調べてみると最初の二人だったりして唖然とすることがあるのです。

 先日もある人から「ここどけの話しだけど、あの人どうもガンらしい」という話を耳にしました。その話は近所では周知の事実で私も知っていた情報でした。健康診断でガンが見つかり病院に入院して胃の殆ど全てを除去しましたそうです。「ここだけの話」として聞いたその後、一時退院したものの思わしくなく再度入院したのですが別の場所に転移しているようなのです。普通こんな場合田舎の隣近所組内などは長年のコミュニティ付き合いから、相談して一緒に病院へ見舞いに行くのが慣わしで、うちそろって出かけました。あれ程太っていた体は痩せ細り、頭髪もコバルト治療の後遺症でしょうが全て抜け落ち毛糸の帽子が印象的でした。付き添っている奥さんの悲しみはいかばかりかと察しましたが、私たちはどうすることも出来ず「早く元気になってまた酒でも飲もうや」と話しかけました。ホスピスという言葉は知っていますが、この方も既にガンであることは本人に告知されていて、「もう帰れないかも知れない」と弱気な発言が目立ちました。お見舞いを渡し病院を後にしましたが、「ここどけの話」をした同行の人は、それ以来「ここだけの話」を盛んに吹聴しているようで、私は「余り人には言わない方がいいのでは」と釘を刺したほどです。

 実は8年前この人の「ここだけの話」によって私もガンにさせられてしまった苦い経験があるのです。「ねえねえ、ここだけの話しだけど若松の進ちゃんはどうもガンじゃとなあ」という話がまたたく間に町内に広がったのです。無理もありません。胆嚢の手術で入院し退院してから68キロあった体重が急激に55キロまで減って、痩せこけた風貌はガンと言われても不思議はないような体になっていました。私の耳には入らないのに何故か親類の人や友人が度々やって来て、それとはなしに病状やガンの進行状況を聞いたりするのです。「知らぬは本人ばかりなり」でした。

 一年後お喋りな人が私に「あんたガンじゃとなあ」と明けら様にいうのです。「誰がそんな事を言いよるの」と聞くと、「私はあの人から聞いたけど町民はみんな知っている」というのです。あの人とは、今回の言いふらし張本人のようでした。

 人の不幸は悲しいはずなのに、「言うたらいかん」という言葉から始まると尾ひれがついて面白おかしい噂話に変身します。「言うたらいかんと言われたのだが絶対言わないように」と広がる話は半分ぐらいにしておかないと、私のようにとんでもない方向に向かう危険性があります。くれぐれもご用心を・・・・・・・。

  「ここだけの 話と釘を さすけれど ここだけどんどん 広がる噂」

  「俺だって ガンだと噂 立てられて 余命いくばく ないと告げられ」

  「人の口 戸は立てられぬ 気をつけて あっという間に まるでマスコミ」

  「いるんだよ 人の不幸を 楽しんで 噂を流す 震源地人」

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shin-1さんの日記

○ロハスって何?

 最近は横文字が多くて私のような古い人間は一度聞いてもその意味すら分らず戸惑うことが多いようです。この歳になって「えっ、若松さんそれも知らないの」なんて言葉が聞かれそうなので聞くことも出来ず、メモして帰ってこっそりイミダスや広辞苑で調べるのですが、その調べた意味を忘れるなんてことはしょっちゅうなのです。

 先日まちづくり研修会に参加した帰りの車の中で「ロハス」という言葉を聞きました。聞いたことはあるし健康とか環境に関する言葉だとは分っていても、その正式な意味は分らず終いで、恥をかいてしまいました。その後調べるのを忘れていたのですが、今日偶然にもその言葉が読んでいる本の文中にあって早速読んでみました。

 ロハス(LOHAS)とは「健康と持続可能性」を大切にするアメリカ生まれのライフスタイル。ちなみに「持続可能性とは、「人間の行う様々な活動が将来にわたって健全に維持できるかどうか」という意味だそうです。最近に日本でもロハスへの関心が高まり、効率や便利さの追求よりも、健康的で地球環境に優しい「スローライフ」を重視する人が増えているそうです。時間に追われずマイペースでゆったりと自然と共生する暮しを楽しむことが出来たらこの上ない楽しみでしょう。

 ちなみにスローライフとは「伝統的な食材や食品などを守るために、1980年代にイタリアで始まったスルーフード運動がルーツで、このスローという言葉が後に「ゆったりと自然と共生する暮しという意味でも使われ始めたようです。

 私の暮しは2年前にリタイアし自由人になったのを機にスローライフになったりロハスになったような気がします。特に人間牧場の目指す精神はロハスそのものなのです。最近エコツーリズムという言葉も頻繁に耳にするようになってきました。エコツーリズムとは「旅行者が自然体験活動への参加を通じて地域の自然や文化を理解し、同時に環境保護や地域経済にも貢献するという旅行スタイルです。

 私の暮しはむしろエコツーリズムという旅行スタイルではなく暮らしそのものをロハスに近づけようとするものです。既にその拠点となる人間牧場には水平線の家やロケ風呂、ツリーハウス、農場も出来て日々の暮しに彩を添えているのです。

 団塊の世代の人がよく人間牧場にやって来ますが、その殆どの人が定年後はあなたのようなスローライフやロハスを楽しみたいと羨望の眼差しで私の話を聞いて帰って行きます。私の人生を21歳で4分割すると、21歳までは冒険の時代でした。次の21年、つまり42歳までは仕事の時代でした。そして次の21年、つまり63歳までは仕上げの時代だったように思います。さて今年63歳になる私のこれからの21年間、つまり概ね84歳まではロハスの時代と命名し迷うか。急激に変化する現代ですが、そんな時代だからこそスローな、そしてロハスな人生を楽しんで人生を終わりたいと思っています。

  「これまでは いい人生と 思います これから先は ロハスでありたい」

  「羨まし 誰もが俺に 言うセリフ 目標持った そんな生き方」

  「ナスとまと 消毒なしに 実ってる 安心安全 自分で作る」

  「健康は 日々の精進 積み重ね 金で買えない だから自分で」

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shin-1さんの日記

○カマキリとカエルの戦い

夏休みになったので孫がわが家にやって来ました。3日前に足が痛いといって病院に連れて行った時はどうなるかと思いました。明日病院へ連れて行って要観察の結果がよければよいのですが、当の本人はいたって元気でピョンピョン飛び跳ねています。

 来るなり虫かごと虫取り網を持って「おじいちゃん、虫取りに行こう」と誘うのです。午後2時頃の最も暑い頃だったので躊躇しましたが、孫は暑さもなんのその、麦藁帽子を被って庭のそこら辺を走り回って塀にしがみついているアマガエルを目敏く2匹見つけました。そして虫かごの中に入れてわが者顔で家の中へ持って入りました。

 その内私の書斎の大きな網戸にアオカマキリが飛んできて留まっているのが見つかり、私は孫にいわれてそっと手で捕まえカエルと同じ虫かごに入れたのです。するとどうでしょう。さっきまで静に虫かごに入っていたカエルが急にバタバタと動き始めたではありませんか。孫も虫かごの外から異様な雰囲気を察してか、「おじいちゃん、カエルとカマキリの戦いが始まる」と少し興奮気味に話すのです。

 カマキリは背中から尻尾に至る胴体を反らせて臨戦態勢にも見えましたし、右に左に動くカエルはカマキリの獲物のようにも見えました。

 やがてカマキリが逃げ惑うカエルを一匹、前足の鎌で捕まえたのです。それからは無残にもカエルは鎌で切り刻まれ血だらけになりました。「おじいちゃん、カエルが可哀想」と悲痛な声を上げた孫は顔を背けて別の部屋にいるお母さんのところへ泣きべそで助けを求めに行きました。私が気がついたときには時既に遅しで、カエルの体をカマキリは食べていました。私は無残にも食べられたカエルをカマキリの手から離すと同時に脅えているもう一匹のカエルを外に出して逃がしてやりました。カエルはそそくさと草むらに姿を消しましたが、カマキリは餌を食べた口と鎌に多少の血のりを付けて悠然としていました。

 孫に、「このカマキリも逃がしてやろうか」といったら孫は「いかん」といって言う事を聞きませんでした。私は孫に分るような優しい言葉でカマキリとカエルの模様を話してやりました。食べられたカエルが可哀想だったこと、カマキリはカエルのような小さい動物を食べて暮らしていることなどをしっかりフォローしてやりました。4歳の孫には理解し難い出来事でしょうし、食べられたカエルと食べたカマキリの勝者と負け者の関係は分らないようでした。これから孫は大きくなるにしたがってこうした出来事が目の前に現実のこととして見え隠れすることでしょうが、弱者の気持ちを大切にしながら確かな成長をして欲しいものです。

  「カマキリが カエルを食べる 姿見て 孫目をそむけ 悲し顔する」

  「初めての リアル体験 私さえ 驚き虫かご カエル外出す」

  「弱肉の カエル強食 カマキリに 食べられ家中 何時なく興奮」

  「さっきまで 賑やかだった 虫かごも カマキリ一匹 寂しく残り」 

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