shin-1さんの日記

○友遠方より来るありまた楽しからずや

 これまで62年間生きてきて、その内約半分の35年間を役場に勤めた私ですが、人生においても役場生活においてもこれまで様々な出会いがありました。しかし人生はさて置き役場という所は何故か辞めると緊張の糸が切れるのと同じように人間関係の縁の糸まで切れてしまうようで、肝胆愛照らした仲間でさえ交流がはかばかしくないのは私だけなのでしょうか。そんな寂しさを紛らわせるように、町内市役所に勤めている人ではない遠隔の友人4人(私を含めると5人)が昨晩人間牧場に集まりました。私を除けば全て現役で数日前に夏のボーナスをがっちり貰った人たちですが、松野町の教育長をしている芝さんを除けば伊方町の塩崎さん、西予市の原田さん、大分市の渡邊さんら3人は奇しくも同級生で来年の春に退職を迎える窓際族なのです。既に覚悟を決めているのか、あるいは合併という社会の流れに翻弄されながらも、不完全燃焼気味のわが身を振り返りながら人生の機微を多いに語り合いました。私にとってこの4人は多分役場同類とでもいうべき世界では、最後の友人と呼ぶに相応しい人たちなのです。

(芝さんが仕事の都合で深夜に奥さんの運転で帰りましたので、4人での記念写真となりました。これらの写真は渡邊さんがEメールで送ってくれたものです)

 塩崎さんは旧三崎町役場職員(現伊方町)ですが私の最も古い旧友です。私が愛媛県青年団連合会の会長をしていた頃、西宇和郡連合青年団長をしていて、議論や舌戦をやりました。その後少しの空白はありましたがえひめ地域づくり研究会議の代表として今も一緒に活動をしています。渡邊さんは関アジ関サバで有名な旧佐賀関町役場職員(現大分市)で、塩崎さんを通じて知り合いました。そんなに長い付き合いではないのですが馬が合い、心を許す友人となりました。原田さんは旧明浜町役場職員(現西予市)ですが、まちづくりの仕事で知り合いました。塩崎さんと同じく夢工房のメンバーとして今も活動をしています。芝さんは合併問題で話題の松野町の教育長さんをしていますが、若い頃から企画や観光の仕事で松野町をハイレベルな町に変身させた方です。やはり夢工房のメンバーとしていっしょにかつどうしています。私は同属同行が傷をなめあうような仲間は余り好きではありませんが、これらの友人はそれぞれが確固たる信念を持って生きている人たちなので、お互いの生き方に刺激を受けながらこれからも進化を続けて行くことでしょう。

(魚梁瀬杉のテーブルを外に持ち出し、持ち寄った食材や妻の作ったささやかな料理に舌鼓を打ちながら、ウッドデッキで洒落た食談となりました)

 塩崎さんと私は体調を崩したのを機会に酒を止めましたが芝さんも原田さんも渡邊さんもかつての私と同じ酒豪で、呑むほどに酔うほどにボルテージを高くして議論しあいその話は深夜にまで及びました。ほろ酔い雑魚寝で快いいびきの大合唱を経て早朝にロケ風呂を楽しんだのは原田さんと渡邊さんです。私が沸かしたお湯に浸かって多趣な原田さんや渡邊さんは一体何を思ったのでしょう)

(原田さんの入浴シーンです。あいにく霧が出て遠望は利きませんでしたが梅雨の晴れ間のひと時を楽しみました)

(綺麗に掃除した後の水平線の家で記念写真を撮りました。芝さんがいないのが残念です)


 教育長の芝さんは別として、塩崎、渡邊、原田さんは後9ヶ月の現役生活です。気を抜くことなくしっかりと最後のご奉公をするよう堅い契りを交わして山を下りました。早速渡邊さんからはその日のうちにメールに写真が添付されて送られてきました。原田さんからは人間牧場の草刈りに仲間を連れて行くという有り難い申し出の電話をいただきました。忙しい日々の中で束の間の時間を割いた仲間との交流は自由人若松進一にとってまた新しい活力になりました。「友遠方より来るありまた楽しからずや」でした。

  「それぞれに 生きた社会は違うけど 何処か似ている 影引くうしろ」

  「これからだ 一足早く 退職を した俺先輩 ゲキを飛ばして」

  「遠心を 外れた感の 友四人 在野身を置き 清く生きてる」

  「味噌汁を 作りてすする 朝飯に 関アジ入り 何と贅沢」



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shin-1さんの日記

○鯉のいなくなった池

 わが家の池で鯉を飼い始めたのは私がまだ中学生の頃でした。何にでも興味を示す親父は骨董品収集、船の模型製作、庭木の手入れなど様々な趣味の分野に手を広げて90歳の今日まで人生を楽しんで生きてきました。お陰で骨董品収集も船の模型製作もその道のセミプロのようで、「好きこそものの上手なれ」という言葉そのままに、目利きと腕のよさは私も感心するほどの上達ぶりでした。鯉の飼育も同様で一匹何十万円もするような鯉を10匹余り飼っていたのです。ところがつい最近になって自慢の鯉が一匹二匹と死んで、その落胆ぶりはペットに死なれた人のようで、傍から見ても気の毒な感じさえするほどでした。「こんな辛い目をするのだったら自分が死んだほうがましだ」ともいうのです。死んだ鯉を畑の隅に埋めて懇ろに弔ったりしましたが、思い切って鯉を飼うのを止める事にしました。出入りの鯉養殖業者さんに無料で差し上げたり、高い金を出して設置していた自動浄化施設も全て処分してしまったのです。親父の人生にとって最後の決断だったかも知れないと、息子ながらその決断を見守ったのです。

 鯉のいなくなった池は哀れなもので、水を抜いて干し上げた池はまるで親父の心のようにポッカリと空間が出来て、毎日の日課だった餌やりや観察する姿が見えなくなりました。今日の昼に親父の隠居へ行くと「あの池を土で埋めたい」というのです。私は「好きにしたら」といいながら、この池に土を入れるとなると狭くてダンプカーも入らないし、業者に頼まなければならず困ったことだと思いました。

 私の考えでは折角掘った池だから高さも十分あるので地下室にでもしたらどうかと提案したのですが、親子の意見が真っ向から対立してしまいました。

 わが家には私設公民館煙会所と海の資料館海舟館、夕日を見る夕観所に加えて池の鯉が自慢でしたので、残念ながらその自慢が一つ消えた事になってしまいました。幸い親父の手づくりによる小さな池が昨年庭の隅に作られたので、親父の気慰みにはなるようです。

 老いや死が確実にやって来る人間にとって、生きてる証のようなものを求めるのは当然のことかも知れません。30年後には私も確実に今の親父と同じような境遇になる事を思うと、自分の人生の将来に不安も見え隠れし始めました。今は忙しくてそれどころではないのですがそろそろ身辺の整理もしなければなりません。同じような年代の人が新聞のお目出度やお悔やみ欄に名を連ねるのを見る度に、人生を考えるようにもなりました。

 まあ色々いいながら結局は今をどう生きるか、何をしたいのか考えながら今に生きたいと思います。

 鯉の死は親父と私にそれなりのショックを与えたようです。

  「鯉が死に 落胆親父 おろおろと 後なき人生 重ね合わせて」

  「あれ程に 好きな鯉飼い 止めるとは 余程の決意 俺には出来ぬわ」

  「母の死後 心和ませ くれた鯉 今は空しく 空池残る」

  「何処となく 元気の失せた 親父には 忘れかけてた 母が幻」

 

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