shin-1さんの日記

○西条からのお客様

 今日は雨が降ったりやんだりと梅雨特有の天気で、視察研修の受入日なのに濃霧まで出て、やきもき、もやもやの一日となりました。最近はシーサイド公園見学と私の話をセットにした視察依頼に加え、人間牧場の見学までも加わって大忙しの日々です。視察を希望する皆さんはこちらの都合や人間牧場がどんな場所にあるか余り考えず簡単に視察メニューに加えられますが、人間牧場への案内はそれ相当の覚悟がないとこれないのです。

安直な人は私のそんな電話やメールの説明に、「若松さんが都合が悪いのであれば勝手に自分たちだけで伺いますので場所を説明してください」と開き直ります。私が「口では説明できません」というと、「じゃあ地図を送って下さい」と食い下がられます。「詳細な地図がないので地図でも説明が出来ません。たとえ地図があっても山道が縦横無尽にあって迷われますので止めた方が賢明です」などと付け加え、やっと諦めるという有様なのです。

 今日も西条からお客様がやって来ました。事前に電話とメールのやり取りでそのことを伝えましたが、どうしてもということでマイクロバスに乗ってやってこられました。マイクロバスの20人乗りだと、私が日ごろ通る近道はまず駄目で、県道を迂回しなければなりません。さらに市道を走って人間牧場の近くまで来れるものの、そこからは農道と私道を歩かなければならないのです。特に今日のような雨の日だと坂道を歩くのはこちらも心配で、「何で私たちが歩かなければ・・・」とか、「もっと道を広げたら良いのに・・・・」とかいう言葉が返ってきそうで、こちらのモヤモヤが募るのです。こちらが頼んで来てもらうのではないのですが中にはそんな人もいるようです。

 でも今日の方々は青少年の指導者らしく、そんな考えや行動は微塵もなく整然と、それでいて終始熱心に付き合っていただきました。それでも雨模様や下草が濡れているためツリーハウスへは案内できませんでした。私が魚梁瀬杉の切り株高座に上がって少しお話をした後質問形式でやり取りをしました。みんな熱心でさすがにいい指導者だと感じました。残念ながら濃霧のため視界が利かず人間牧場自慢の眺望は見えず終いで水平線の家を後にしました。

 7月5日には旧友寺戸一朗さん率いる島根県益田市真砂公民館の面々が視察研修に来られましたが、私は残念ながら佐賀県へ出張中で、漁協女性部の方々との交流をして人間牧場見学のリクエストに応えることが出来ませんでした。寺戸さんからはお礼の電話が入りましたが、済まない気持ちでいっぱいです。

 人間牧場も相変わらず草の成長は旺盛で、一昨日やって来た明浜の原田さんからは仲間を集めて草刈り十字軍の手助けをしたいと申し出がありました。その日はあいにく予定が入っているようなので有り難くも断らざるを得ないようです。

 まあ人間牧場もこうして人々の注目を集め、私の目標である「心の解き放ち」を求めてやって来る人たちにいささかなりともお役に立てれば幸いです。

 昨日人間牧場のある地元の人に会いました。「ご苦労様です。ほんの少しですが食べてください」と出始めで高価なハウスみかんを袋にいっぱいいただきました。また自分で絞ったというハウスみかんジュースまで・・・・。

ありがたいことです。

  「牧場に 来る人あるも 五里霧中 見えぬ視界は 心に似たり」

  「雨の中 坂道歩く 人たちに 雑談しつつ 私マジック」

  「初鳴きに 気がつき辺り 見渡しぬ いつの間にやら 夏風そよぐ」

  「人もなし ただ黙々と 時刻む 山家の時計 止りもせずに」


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shin-1さんの日記

○万華鏡と手づくりおもちゃ

 子どもの頃学校の工作で万華鏡を作った経験があります。当時はそんなもの売っている店もなく、キットなどなかったものですから、ガラスを売っている金物店へ行って、おじさんにガラスの端切れを寸法を計って切ってもらいました。定規を置いて先端にダイヤモンドのついたガラス切りで切る姿にまるで魔法のようなものを感じたものです。このガラスを3枚合わせて三角形の筒を作り、底と上蓋を貼り合わせ中に色紙の切ったのを入れると不思議や不思議、様々な幾何学模様が筒を回す度に出てきて何ともいいようのない世界が広がるのです。友だちのと変る変る見せ合うのですが、一つとして同じものはなくうっとりして見とれたものでした。

 今は土産物屋へ行けば千代紙を張った民芸調の万華鏡がお手ごろ価格で売られているものの、そんな時代遅れな遊び道具より、子どもたちの目は原色に近い色調のお土産に行って見向きもされないようです。

 先日私の書斎の書棚の奥にある古ぼけた万華鏡を目敏い孫が見つけました。私もすっかり忘れてしまっていた万華鏡なのですが、これは友人の快気祝に貰ったものだと思い出し、孫と一緒に穴から中を覗いてみました。

この万華鏡は木製の中にレンズが組み込まれている特殊なもので、市販されている民芸調のものとは少し違って見えるのです。万華鏡の穴から手の指を見たり人間の顔を見たりすると、これまた手の指や顔が幾つも幾何学的に写って飽きないように出来ているのです。

(まるでドングリのような万華鏡)
(蓋を取ると中にはレンズが入っています)

 孫は「おじいちゃんの顔が沢山ある」とか、穴からテレビを見てキャーキャー言って遊んでいました。その内万華鏡にも飽きて菓子箱で何やら工作を始めました。私も負けじと箱をハサミで切り取り遊び道具を作ってやりました。私の作った空飛ぶ円盤はメンコのような丸い画用紙の隅に切り目を入れ、そこへ輪ゴムを引っ掛けると面白いように飛ぶのです。円盤には孫が絵を書き、私が孫の名前をもじり「朋樹号」と書いてやりました。何個も作って外へ出て孫と飛ばせ競争をしましたが、孫は既製品のおもちゃに慣れているせいかこのおもちゃがとても新鮮に感じたのでしょう、汗をいっぱいかいてくたくたになるまで遊んでいました。

 私たちはいつの間にか子どもに物を与える場合、裕福になったせいもあるでしょうが、作られた物を与えるようになってしまいました。私たちが子どもの頃のような貧しいが故に万華鏡さえ自分の力で作った頃の事を思い出し、子どもたちと一緒になって何かを作りあげる方がよっぽど子どもたちは喜ぶことを思い出すべきだと思いました。恐竜の模型や飛行機の模型よりおじいちゃんと一緒になって作った空飛ぶ円盤の方が生き生きと輝いて遊ぶ孫の顔を見たのです。

 さて今度は孫とどんな遊びをしようか楽しみがまた増えてきました。

  「書棚から 目敏く見つけた 万華鏡 孫はキャーキャー 言いつつ眺め」

  「じいちゃんの 空飛ぶ円盤 気に入って 汗をかきつつ 孫は追いかけ」

  「何もない だから何でも 工夫して 作った昔 懐かし遊び」

  「買ったもの 与えて喜ぶ 顔よりも 一緒に作る 孫は生き生き」


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