shin-1さんの日記

○今日は久しぶりに朝から雨

 水不足が心配されている愛媛県地方では、一昨日の雨と今日の雨は少しホッとした心境のようで、朝のあいさつも「ええおおるいで」(雨が降ること)と弾んだ言葉が交わされています。私たちの町は農山漁村地域なので、この「ええおおるい」という言葉には二つの意味が込められているようです。まず一つは飲料水や生活水としての水への感謝です。?上水道のないわが町では集落ごとに水を確保する簡易水道が普及しています。山あいや谷あいに水源を求め、それぞれが水道タンクを作って水を引いているのです。最近はその簡易水道施設もすっかり衛生的になりましたが、最近までは雨が降ると出る水も風呂の水も濁るような水でした。それぞれの地域では水道を守るために月当番などを決めて管理をしていたし、年に一度はタンクの清掃などを地区総出でやったものです。それでも祖母の時代には水道がなく水瓶に水場から汲んだ水で生活していたのですからえらい進歩だとなくなった祖母はいつも言っていました。こんな有り難い水に感謝するため家々では水神様と称する神様を祭っていました。子どもの頃祖母が水神様に何やら分らぬ呪文のような言葉をいいながら祈っていた姿が目に焼きついているのです。

 もう一つの意味は農業水としての水への感謝です。雨水は時々降って適当に田畑を潤し食物を育てるのですが、その降る量が多いと災害になり、少ないと干害になるのです。四国の中でも山を背にして瀬戸内海に面している私たちの地域は台風銀座といわれる九州や四国の太平洋に面している地域とは違って台風災害を免れてきましたが、逆に瀬戸内海気候という少雨地帯なのです。年間降雨量が1200ミリから1500ミリ程度なので、夏の渇水期は飲料水を最優先するため農業水にも事欠く有り様です。少雨の年は田んぼやみかんが干害で大きな被害を受けても仕方のない出来事として片付けられてきました。篤農家といわれる財力のある農家は自家用の貯水タンクや灌漑用池を持っていますが、零細農民はそれ程の余裕はなくいつもお天道様頼みで、雨乞い踊りや雨乞い念仏もその名残として残っているのです。「金が降る」なんて言葉を農家の古老から聞く度に、雨が降ることはお金が降ると同じだと思う農民の切ない思いが感じられ胸を打つのです。

 今日は久しぶりに朝から雨の一日となりました。書斎の窓越しに見える庭木や畑の作物も、雑草までもが雨を喜んでいるように生き生き青々としているように感じられのです。私は久しぶりの休日で夕方には遠出をするためのんびり過ごそうと決め込みブログを書いたり一か月分のプリントをして閉じこんだり、また読書をして過ごしましたが、親父からお墓のシキビが古くなったので畑から取ってくるよう頼まれたため、雨の中を人間牧場へ向かいました。普通農家や漁家はまるでハメハメ大王のの歌のように雨が降ったらお休みなのですが、最近は雨模様の日が続くので偉いものです。漁船は出漁し、農家の方は合羽を着て草刈り作業をしていました。ハメハメ大王のようなズボラな私は恥かしい感じがしましたが、親父の頼み事なので雨に濡れたシキビの枝を10本ばかり切り取り束ねて持ち帰りました。ついでに水平線の家の掃除をして早々に雨の人間牧場を退散しました。

 雨が少し大降りになってきました。足らずで恋しい雨、余りて憎い雨、いつの時代も人間は自分本位で雨のことなど余り考えませんが、雨の日などは雨に感謝の一日でありたいものです。

  「足らずんば 雨が恋しい 夏雨も 長く続くと 空が恨めし」

  「雨さえも 不足になると ニュースです 昨日今日など 雨でもちきり」

  「雑草が 親父の仕事 増やしてる ブツブツ言いつつ これも生きがい」

  「水不足 僅か二日で 解決す 自然はやはり 偉いものです」

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shin-1さんの日記

○夕日のメッカ嫁ヶ島辺り・そしてたたら

 前夜は島根の仲間と落ち合い旧交を温めましたが、朝早く起きて身支度を整え迎えに来てくれた松嶋さんの車で昨日は講演会場となる雲南市吉田町の生涯学習交流館へ向かいました。宿舎を出てから途中で宍道湖南東岸にある嫁ヶ島付近を通ってもらいました。というのも嫁ヶ島辺りは私の町と同じように全国に名だたる夕日の名所なのです。松江警察署の前辺りに位置する嫁ヶ島周辺は地下通路や夕日スポットが立派に整備されていていました。

(宍道湖夕日スポット「とるぱ」の存在を示す道路標識)

(道路も夕日カラーに舗装していました。向こうに見えるのが地下道の入口で、地下道を通ると宍道湖湖畔に出ます)

(地下道内の壁展示)

(小雨に煙る嫁ヶ島、小泉八雲もこの島あたりに沈む夕日を見たことでしょう)

(階段式護岸が整備されていました。若いカップルが身も心も夕日に染めて愛や恋を語ることでしょう)

(夕日スポットを示す看板表示、私の町は定点から夕日の沈む位置を書いていますが、こちらは夕日と嫁ヶ島を中心に定点を移動させています。つまり嫁ヶ島と夕日が主役なのです)

(春夏秋冬の夕日の写真が焼き付けてありました)

(国道9号線沿いは黒松の並木が見事でした)

 いつもの癖でしょうか、私の町の夕日スポットであるシーサイド公園と比較をしてみましたが、小さな町のことゆえ歴史と風光明媚に彩られた宍道湖湖畔とでは比較にはならないと思いますが、どうしてどうしてわが町の夕日スポットもオンリーワンが貫かれ負けず劣らずといったところのようでした。

 駐車スポットは10時からとかで開いていなかったので車を路側帯に止め松嶋さんに待機してもらっての急ぎ足だったため詳しく観察することが出来ませんでしたが、何時の日かまた嫁ヶ島に落ちる夕日を見たいものです。

 私たちの車は9時半到着の予定で一路吉田町を目指しました。旧吉田村は鉄の歴史村と言われるようにかつては日本独特のたたら製鉄で栄えた町だし、そのテーマで村づくりが行われてきました。合併して村という名前が消えて雲南市吉田町になりましたが、村を歩くとそこここに鉄の歴史が息づいています。途中山道を走り菅谷たたらの里を通りました。何度も吉田村には来ているのに何故か立ち寄っていないスポットなのです。この場所は宮崎駿監督の映画もののけ姫に出てくるたたら場のモデルになったことでも広く知られています。

(たたら場とは今でいう製鉄所です。歴史の重み感じさせてくれる重厚な作りで威風堂々と立っていました)

(象徴的に立つ神木桂の木です。人間が小さく見えるほどの巨木で、桜が咲く頃に3日間だけ真赤に芽吹き、夕日に映える姿は絵になる光景だと教えてくれました。私の心に残る忘れられない巨木の一本となりそうです)

(どこか懐かしい菅谷の家並み)

(まるで時代劇にでも出てきそうな風景です)

 私たちは時間通り10時の30分前に到着しました。控え室ではテーブル上に活けた野の花が美しく季節感を演出してくれていました。その花を愛でながら美味しい抹茶を2杯もいただき準備万全です。あいさつが長引き15分ほど押し気味の時間に私の講演はスタートしました。

(気配りの行き届いた野の花は美しいです)

 「女性が輝けばまちが輝く」というタイトルでしたが、参加者の反応は上々で15分延長してお約束の2時間たっぷり話させてもらいました。丸く囲んだテーブル形式の会場は雰囲気も申し分なく、私のいい加減な話にもかかわらず笑いの渦がいくつもできました。

  「魂を 揺さぶられつつ あれこれと 思うことあり 更に進化を」

  「野の花を 愛でつつ抹茶 いただきぬ 心ほのぼの 余韻残して」

  「山道を 越えていきなり 桂の木 木霊われに 何か問いかけ」

  「ああ今日も 生きているなと 実感す 山奥深い 里を訪ねし」



(講演が終わった瞬間の写真を壇上から撮影させてもらいました)
 一泊二日の長い旅でしたが、久しぶりに魂や感性を揺り動かされるようないい旅でした。私を呼んでいただいた商工会や私を紹介し案内してくれた旧友松嶋さんにお礼を言わなければなりません。有難うございました。

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