shin-1さんの日記

○小さな小屋の横に小さな小屋完成

 人間牧場の小さな小屋の横に更に小さな小屋が完成しました。今年の春、人間牧場に物置小屋が欲しくなり、息子と図って作戦を開始しました。畳3畳敷きの小さな小屋ですが急峻な地形でこれといった場所もなく苦心しましたが、水平線の家とツリーハウスの中間地点にコンクリートで造成して場所を確保しました。元々の発想は大洲の亀本さんから貰った耕耘機が半年以上も経った今もシートを被せて野ざらし状態なので何とかしたいと思っていましたし、人間牧場も道具類が増えて置き場に困っていたので思いついたのです。ところが小さな小屋が出来てしまうと、倉庫にしておくのは何となく勿体ないような気がして、思い切ってその横におだれをつけて耕運機や薪用の倉庫を作ろうと計画は大きくなり、予算の都合でそんなに資金がないことから、何かと器用な親父に相談し、手伝ってくれるよう頼んだのです。木材は義兄からトラックを借りて西村ジョイまで特売品を買いに行き、コンクリート工事は仕方がないので地元の土木業者に頼みました。親父は90歳になるのに何かと元気で早速仕事に取り掛かり、3日ほどで資材や道具類を調達し、土木工事の遅れを「まだかまだか」とせかすのです。一昨日コンクリートの練り込みも終り、昨日はいよいよ建て前です。人間牧場も最初は自分の力でと軽い気持ちで始めた計画でしたが、結局は設計士の息子の指図に従って地元の大工さんに頼んだものですから、自分で汗をかいたのは小さな小屋の横の小さな小屋のみとなりました。


 昨日は私の弟も手伝いにやって来て、3人で工事をしました。何せ耳が遠く足もよたよたの親父ですが気分はだけは昔のまま元気で、もどかしい限りです。柱を立てて屋根に長さ1間の波型スレートを乗せるのは重いため一苦労で、よくぞ弟が助っ人に来てくれたものと二人で感謝しました。私たちの仕事は行き当たりばったりで、釘がないため買いに町まで下り、柱がゆがんでも一向構わず仕事をしました。焼き杉材親類の製材所で買い求めたものも不足がちで、結局は4時過ぎに一日目の仕事を断念しました。

 二日目の今日は朝ご飯もそこそこに親父と二人、義兄から借りたトラックで人間牧場へ7時半に到着して仕事に掛りました。昨日やり残した外壁張りなどを順調よくこなしていましたが、途中耕運機が入るかどうか耕耘機の巾を計ってびっくり仰天、いり口が狭いということが判明しました。それから折角閑静に近づいた入り口付近の柱を切って移動させとんでもない工事となってしまいました。

 このことで親子の関係が少し険悪になりそうになりましたが、そこは親子、しっかりと手助けしながら昼食を抜いた作業で午後2時頃無事完成したのです。今はヤッホーといった充実感でいっぱいだし、親父に感謝しています。


 

 親父はこれまでその腕前の器用さから家の中でも倉庫を建てたり倉庫を改造して海の資料館海舟館や煙会所などを自作してきました。90歳という年齢から考えるとこれが最後の建て前だと思われます。その意味を込めて「俺は写真は嫌だ」と渋るけど座った写真と立った写真2枚を撮ってやりました。もし私だけだったらこんな立派な仕事は出来ていないし、改めて親の偉大さに感心するのです。私も62歳、もう少し早く親父に弟子入りして技術を教えてもらっていたらとつくづく後悔するのですが、今からでは遅すぎるようです。

 この家の扉は親父がこれから作るのだそうです。耕耘機が入り道具類が入るのもそんなに遠くないことでしょう。

 空っぽになった小さな小屋は人間牧場の諸活動に使うつもりです。乞うご期待。

  「九十の 親父に使われ 小屋建てる 幾つになっても 甲斐性ないこと」

  「目も遠く 足もよろよろ しているが 頭はさえて 親父元気だ」

  「写真など 撮るなといって 背伸びする 大分縮んだ 親父の背丈」

  「大工より 技術は上と 大工褒め 親父の顔が 満面笑みに」  


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shin-1さんの日記

○妻の操縦法10ヶ条・その④

 第8条 妻の楽しみを認めるべし(心のうさの捨て所)

 妻にとって家庭は日常、海底の外は非日常な社会です。わが妻にとって非日常は職場、ボランティア活動、仲間との活動などがありますが、性場、ボランティア、仲間それぞれに楽しい出会いや活動があるようです。職場は近所の歯医者さんでパート勤務をしていますが、準日常的な仕事場も患者さんとの出会いや同僚との交流などとても楽しそうです。ボランティア活動は主に民生児童委員という大役を15年間も仰せつかって活動していますが、合併によって広くなった仲間づきあいは行ったり来たりで、先日も気心の知れた方々を煙会所に招くなど、これまで町内しか広がらなかった交流が少し広くなっているようです。また妻は2つの仲間グループに所属しています。いずれも4人ほどの小さなグループですが、旅行目の的貯蓄をして毎年あちらこちらへ小さな旅行をしているのです。多分何のわだかまりもないこの友人グループでの世間話や小旅行が一番命の洗濯をしているのかもしれません。これといって楽しみのない妻、高齢化した親父の世話や家族の世話をする妻、仕事も頑張る妻にとって心のうさの捨て所は必要なのでしょう。そんなにお金を使うわけでもない妻の楽しみを認めてやるべきです。

 第9条 妻と生活設計を語るべし

 家庭は夫婦の合作ですが、シナリオである生活設計を語り合いその実現に向けて努力するプロセスこそ大切です。30歳で家を建てたいという願望を二人が語り合い、その実現に向けて努力した結果今の家が建ちました。勿論親と折半といいながら私たちには何の財産も資金もありませんでした。でも綿密な資金返済計画を立て15年の計画を繰上げ償還し10年で完済しました。また子どもの自立に向けた子育てや人間牧場のような夢の実現も何とか出来ました。幸い私は金融広報委員会の金融広報アドバイザーをしており、健康の貯蓄、人間関係の貯蓄、知識の貯蓄、金銭の貯蓄、感動の貯蓄をベースにした生活設計の必要性を人々に話してきました。自分が実践できないことを人に幾ら話してもそれは絵に書いた餅にしか過ぎないのです。自ら夫婦で生活設計を語り合いながら実践してきた30数年の実績は妻にとって大きな心の支えだったに違いありません。

 第10条 妻は顔でなく心たるべし

 若い頃は誰でもよき伴侶の条件に顔の美しさを挙げます。確かにブスより美人に越したことはありません。でも顔が幾らよくても心の貧しい人はいい妻とは言えません。私の友人に奥さんもそれなりに美人、夫もそれなりに男前、しかも家付きカーつき、ババア抜きなどというかつての流行語そのままな理想の夫婦がいます。若い頃は何の苦労もなく休みには二人でよく出かけておりました。羨ましいなあと思ったこともありましたが、さて今はどうでしょう。長男嫁と姑の人間関係が上手く行かず、ご主人も病気がちで憂うつそうなお二人を見るたびに、人間には早咲きと遅咲きがあるのかも知れないと思ったりします。私は妻を顔で選びませんでした。私の顔で言えた柄ではありませんが、私の妻は心だけは(いえ少しだけ顔も・・・)100点満点なのです。

 先日二人で老後のことについて話し合いました。私のご近所、私の親類も高齢化が目立ち、私たちもいよいよ好む好まざるとにかかわらず高齢者の仲間入りです。せめて「ニコニコ・ピンピン・コロリンシャン」と生きたいものです。老後とは老いた後と書きますので、老後は死んだ後です。死ぬまでは現役、百歳現役の気概を持って二人で元気に生きたいと思います。

  「お父さん この服どうと 訪ねるが 似合ういわねば 甲斐性がないと」

  「顔よりも 心で選んだ 僕の妻 今も変わらず 心晴れ晴れ」

  「腹が出て 胸引っこんで 妻実年 ズボンゴム入り 何とか入る」

  「今がある 妻がいるから 俺がある 苦労かけたが これから先は」 


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