shin-1さんの日記

○花の色

 この季節になると春の花が姿を消して、初夏の花に衣替えをしているようです。わが家の庭もツツジが満開近くになって連日近所の人が花見にやって来ます。花見客の殆どは豪華に咲いた約100メートルのツツジの生垣に目を奪われるのですが、私は庭の隅にひっそりと咲く2つのツツジが大好きです。

  その一つは赤い霧島ツツジです。私が鉢植えしていて枯らしそうになったのを親父が路地に植え替え、何とか余命を保っているのです。太かった元株は完全に枯れて往時を偲ぶことは出来ませんが、それでもあでやかな真赤な花が今年も咲きました。このツツジは友人から貰ったものです。その友人は事業に失敗し日々の暮しにも事欠く有様でした。私の元へ金の無心に訪ねて来たのですが、私もそんなに手持ちの金がなく、お心任せのような形で3万円を渡しました。私は私の妻と結婚する時妻の母から「お金を貸すときは返らないと思って貸すように」とか、「金の貸し借りは結果的には人間関係を壊してしまう」など、商家として幾度も判かずきで難儀をした経験を聞かされていましたので、その程度にしたのでした。彼は急場しのぎの3万円の御礼にと丹精込めて育ていた霧島ツツジの鉢植えを私にくれて去って行きました。結果的に彼から3万円のお金は返らなかったのですが、この花が咲く度に彼のことを思い出すのです。家族にこの話をすると「縁起でもない」とたしなめられるので、今まで話していませんでしたが、まあ亡くなった妻の母が言うように「金を貸すときは返らないと思え」はどうやら当たっていたようだし、もしあの時情にほだされて彼の言いなりのそれ相応のお金を貸していたら二人の間柄は壊れていただろうと思うのです。

 もう一つの花は川ツツジです。別名岸ツツジとも言われていますが、大きな川のほとりに咲く薄紫の上品な色合いがとても綺麗で気に入った色なのです。この花にも色々な思い出があります。私は若い頃200鉢に余って盆栽を育てていました。家の周りにはその痕跡を示すように盆栽棚や盆栽の鉢がありますが、役場生活の特に後期二十年はまちづくりにうつつを抜かし盆栽に水をやる暇すらないほどの忙しさだったのです。教育委員会在任中の若い頃も忙しかったのですが、それでも趣味を広げて盆栽の世話だけはしていました。その頃南予津島町から山を越えて宿毛市に抜ける松田川沿線に川ツツジがあるというので、地元の人の了解案内を得て採集しに行ったのでした。その時は3株も持って帰り大切に育てていましたが、これも枯死寸前となり親父の手によって路地に植えられ余命を全うしているのです。

 花は思い出があると実にいとおしく、自分だけしか知らない物語であっても、花にまつわる様々な出来事が甦ってきます。赤い霧島ツツジが咲く度に事業に失敗し社会の雑踏に消えていった友人を思い出します。多分何処かの町の片隅でひっそりと生きているのでしょうが、貸したお金なんかどうでもよいから、せめてこの花の咲く頃に愛でにきて欲しいと願っています。また松田川のほとりには今もこんな綺麗な川ツツジが咲いている頃だろうと尋ねて行きたい気分になるのです。

 水仙や菜の花、芙蓉、アジサイ、桜など、まちづくりで沢山の花とかかわり、多くの花を咲かせてきました。わが家にも自分で育て植えた花がいっぱい咲いています。花は植えることも大事ですが、花を愛でながら楽しむことも大事です。花の色を見ながらしみじみ思いました。

  「あの花や この花見ても 思いだす 過ぎ越し時と 去りし人々」

  「借金の 方に置き去り 霧島が 今年も咲いた 花見を利子に」

  「まあ綺麗 知らざる妻の 独り言 花は言わぬが 俺は知ってる」

  「霧島は 小さき花を 寄せ集め 大輪如く あでやか咲きて」

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shin-1さんの日記

○私の常識が非常識になる

 私は2年前まで35年間役場に勤めていました。合併前の役場という古い時代のことなのでそう思うのかも知れませんが、退職して外から合併した市役所を冷静に見てみると、常識と思っていたことが意外と非常識だったことに気がつきます。市役所というのは少なくともその地域の情報が沢山集まる場所であることには変わりはありません。しかし変わった見方をすると市役所に都合のよい情報だけが流れて、都合の悪い情報は流れてこず、地域住民から「えっそれも知らないの?」といわれることがよくあるのです。また市役所の中で考えて常識だと思っていたことが非常識だったことも意外と多いのです。何時だったか市役所の職員が外の喫煙場所で仕事中たむろしながらタバコを吸ってる話をしましたが、その後も同じような光景を何度も見ました。これは市役所の常識が住民から見ると非常識だし、相変わらずお茶を女性が入れるという常識も非常識なのです。これらの非常識は気付いて直せば簡単に常識の世界へ返すことが出来るのですが、非常識のままこれからも続くことでしょう。

 数日前、友人から2冊の本が届きました。「この本は面白いから」といわれて注文をしていた健康に関する本です。まだ全てを詳しく読んでいないので何ともいえませんが、走り読みをした限りではその2冊の本で、私のこれまでの健康に関する常識が非常識になってしまいました。勿論これは著者の私見ですからその全てを信じることは出来ませんが、思い当たる節が幾つかあるのです。

 まず「牛乳」に関することです。日本人の殆どの人が「牛乳はカルシウムが多く骨粗しょう症によい」と思って毎朝飲んでいるのですが、この考えが根本的に間違っているというのです。妊婦にさえ勧める牛乳が飲めば飲むほど骨粗しょう症になるというのです。骨粗しょう症発症率ワースト3の国はアメリカ・フィンランド・スウェーデンといった酪農・乳業王国であり、牛乳を飲まない国だからといって骨粗しょう症に悩まされている国はないというのです。牛乳は子牛を育てるには最高の飲み物なのですが、その子牛でさえ人間と同じように一定期間が過ぎると乳離れするのに、人間は他の動物の乳を飲んで死ぬまで乳離れをしない唯一の動物である話もうなずけます。更に驚くのは牛乳に含まれるカゼインという物質は発ガン物質であり牛乳を止めればスギ花粉症などにはならないそうです。「牛乳が身体によい」というのは牛乳に関わる人たちの都合のよいコマーシャルであるとまで言い切る根拠も面白く、確かめてみたいものです。

 もう一つは「朝飯」に関することです。このところ朝飯を食べないで学校へ行く子どもが増えていることが様々な場所で警鐘として紹介されています。私も「朝飯ぐらいはしっかり食べないといけない」と思っています。人間の身体には「摂取と消化」「吸収と利用」「排泄」という3つのサイクルがあることは論を待ちません。そのサイクルを時間を追って考えれば午前4時から正午までは排泄の時間だそうです。その排泄の時間(体内の老廃物と食物カスを排出する時間帯)をにご飯をいっぱい食べることは理に適っていないというのです。その空腹時に果物を取ることを勧めるところまで読んで、「朝フル会」の人々のことを思い出しました。朝の空腹時に思い切ってフルーツを食べると痩せて健康体になると聞いています。フルーツは糖分だから食べると太るという常識もこの本では非常識な話として紹介されています。

 健康が気になり始めた私の常識を非常識にし始めたこの本をもう少し詳しく読んで、もう少し勉強し、そしてもう少し健康になりたいと思いました。ちなみに今は午前4時、そろそろ私の体は排泄の時間です。

  「常識は 見方変えれば 非常識 知らぬこと知り まともな人に」

  「牛乳が 身体によいと 思ってた 今日からどうする 半信半疑」

  「とりあえず リンキャベクリアー わが食事 健康考え 少し変えねば」

  「知らないと 知っているとは 大違い 今まで俺は 何を信じて」

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