shin-1さんの日記

○隠岐の島を散策しました

 往復600キロのマイカーの旅を充実したものにするためには人に会い人と話し、自分の足で歩く以外にないと、昨夜の交流会を早く切り上げたのでぐっする休み、早朝4時に早起きして島内をひとり散策しました。まず目に映ったのが島にかかった真赤な橋でした。橋の向こうに行ってみたい心境で橋を目標に歩き始めました。ホテルの前の岸壁には橋をバックに集魚灯を沢山つけたイカ釣り船が停泊していました。船の近くまで行って船内の様子をうかがいましたが船内には人影もなくひっそりとしていました。

 足元に面白い絵を見つけました。最初は何だろうか良くわかりませんでしたが、どうもイカをデザインしているように見えるのです。イカの町イカの特産品を強調したかったのでしょうが、面白い遊び心に思わずパチリです。

橋は段々近くなるにつれて水面に映えてその美しさに思わず見とれてしまいました。海はベタ凪なのでこのような光景が見えたのでしょう。早起きは三文の得と一人納得しました。

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 やがて急な坂道に差し掛かり、一人の車椅子のおいちゃんに出会いました。「押しましょうか」と声を掛けると、「朝のトレーニングなので」と首を振り、少しの間お話をしました。25年前に脊髄を損傷して車椅子生活になったこと、この島はのんびりし過ぎて発展が期待できないことなどなど、四方山話に花を咲かせて橋を渡りました。西郷大橋、ローゼ橋、L=310mと書かれた看板を左に曲がり端の袂に出ました。先程の遠望ではまるで女性的な橋だったのに、渡ってみるとど迫力で、鉄の塊といった感じでした。

橋からの眺めは絶景で、下上がフェリー乗り場周辺の向こうに朝日が差し、下下は湾の奥の逆さ富士といった感じでしょうか。

 前回は斉藤課長さんに車に乗せてもらい橋を渡りましたが、自分の足で渡るのもまた格別な面持ちです。

橋からは隠岐の島町の中心部やフェリー乗り場が一望でき、ホテルから見る光景とはまったく違った美しさで、島の静かな佇まいが手に取るように見えました。旅はやはり自分の足で歩くに限ります。その後橋の向こうの山の周りを一回りして何と朝だけで1万歩も歩いたと携帯電話の万歩計が示しているのを見てびっくりしながら、ホテルで美味しい朝食を召し上がりました。

 やがて思い出集めと仕事も無事終わり憧れのレインボーという双胴高速船の人となって七類に到着、センターの方々と別れて、6時間後にふるさと双海へ帰って来ました。良い旅でした。

  「島魅力 歩かなければ 分らない 旅の思い出 少しブログに」

  「あの人は どうしているか 顔浮かべ メールにちょっと 洒落た文句を」

  「レインボー 誰がつけたか 知らないが 一度は乗って みたいと思いつ」

  「また来たい そんな夢ある 島でした 人情豊で 酒も肴も」

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shin-1さんの日記

○隠岐の島で話す

 隠岐の島町は島後といわれる一島に四つの町村がありましたが、平成の大合併で一つの町になりました。何処へ行っても漏れ聞く合併の弊害や不満は対等合併といいながら支所化されたこの町の小さな町村にも多く聞かれました。でももう元へは戻らないのですからしっかりと合併という事実に向き合って生きていかないといけません。

 研修会場となったのは隠岐島文化会館でした。周辺には移転した隠岐高校の体育館や図書館もあり、陶芸館もあるなど周辺は文教エリアを形成していました。ちょっと時間があったので陶芸館を覗いてみたら3人の女性が熱心に創作活動をしていました。中に入って話し込みお茶を入れてお菓子まで接待してもらったものですから、野イチゴ取りに行ってブトに食われて私は嫌と渋る女性を強引に立たせ写真を一枚記念に撮りました。

 さて本題です。

 学校と地域が一体となってこれからのふるさと教育を推進していくことの意義やその考え方を学ぶ今回の研修はそういう意味においてタイムリーな研修だと思いました。集まった人は半数が学校の先生だと聞いていましたので、私の講義はその先生たちへのメッセージを中心に話をさせてもらいました。学校の先生は役場の職員と同じように公務員であるがゆえなのか、以外と社会にうといように思います。先生たちが常識だと思っていることが以外と非常識なことが多いのです。昔は時代の流れが緩やかでそれでも教育は成り立っていました。しかし現代はテンポの速い、そして技術革新の早い時代です。それは10年前の社会と今の社会を比較すれば一目瞭然なのです。人に教える人は時代の流れを敏感に読み取らなければなりません。過去も大切ですが今の現状把握と未来予測は特に必要です。そのためには異文化と触れたり時には異文化ギャップの場所に身を投じなければそのことは分らないのです。まず「変えなければならない物差し」と「変えてはならない物差し」の「二つの物差し」を持つことを話しました。

 次に子どもたちの置かれている立場を理解しなけばなりません。創作の遊びを知らない子どもたち、本当の仲間がいない子どもたち、巣篭もり傾向の子どもたち、勉強優先で人間優先でない子どもたち、ふるさとを知らないし語れない子どもたち、社会に迷惑をかけても平気なこどもたち、親と教師に不信感を持つ子どもたち、夢や目標がない子どもたち、間道経験や失敗経験の少ない子どもたち、価値判断が好きか嫌いか損か得かで善悪でない子どもたちなどなど子どもは見ようによってはかなりいびつな育ち方をしているのです。でもその子どもを育てたのは親であり教師なのですから、地域の教育力を高めるための学社融合というネットワークとフットワークが必要であると結論付けました。

 じゃあどうするか、その話は21世紀えひめニューフロンティアグループがこれまで20年間に渡ってやってきた無人島キャンプや夕日によるまちづくり、そしてこれからやろうとしている人間牧場教育にヒントがあると話したのです。私の経験は浅いものです。でもその活動の中で自分の子どもも多くの子どもも普通の子でありながら逞しく育ちました。

 子どもというかけがえのない地域の宝が少子化で生まれなくなったし、生まれた子どもも最近の社会では目を覆うような事件に巻き込まれています。子どもを育てる運動はまちづくりの大きな仕事であることを今一度原点に帰って考えたいものです。

  「どうしてか 田舎に増えるの カラスだけ 子どもの顔が 段々少なく」

  「よく出来る 子などつくれば 将来は 私一人が 田舎のゴミに」

  「あれ程の いい子が何故に 悪くなる あんたのせいだ 夫婦はねかけ」

  「寝ていても 起き(隠岐)の島です 目を覚ませ 島は宝で 埋まっているよ」  


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shin-1さんの日記

○隠岐の島へ

 境港と松江市は運河というか港というか分らない入り江に架かった橋で結ばれ、「えっ?、境港は鳥取県?」と思わせる奇妙な県境なのです。最近まで橋を渡った向こうは島根県美保関町でしたが、合併で松江市と鳴ったようで、そこそこに美保関町の名残の看板が残っていました。橋を渡って山道のトンネルを抜けると七類港という
フェリー乗り場です。岸壁には島へ行くには大き過ぎるような「おき」と「くにが」というフェリーが接岸していました。日本海の海の尋常でない荒さは訪ねた人間でないと分らないのですが、一昨年11月は季節風が吹き荒れ同行した妻は船酔い気味でした。

 私の乗った船は「おき」でした。他の島や港に寄らない直行便なのですがそれでも9時にドラの音とともに出航しても2時間20分もかかるのです。船着場で偶然にも生涯学習センターの山本さんと待ち合わせたように出会いましたが、はや立ちの疲れか船内では1時間半もぐっすり寝込んでしまいました。

 船着場には教育委員会の吉田さんが出迎えに来ていてくれて、昼飯前の島内散歩を楽しみました。前回島を訪ねたときは斉藤課長さんのご案内であちらこちらを見せていただきましたが、妻と二人連れだったこと、斉藤さんが大の闘牛マニアなので、宇和島が闘牛の地であることもあって牛談義に花が咲き、肝心な八尾杉のことを詳しく覚えていないこともあって、まずそこへ案内してもらいました。

 どうですこの杉の木、樹齢2千年といわれている杉の大木がこうして人里近くの神社に凛として立っているのです。根周りは優に15メートルを越す杉の大木に思わず圧倒されました。屋久島の古代杉も凄いと思ったけれど、日々の暮らしの中でこうした大木と共存できることは島人の誇りでしょう。2千年を生きて、島の歴史や暮らしを2千の年輪に刻んできた杉は私に何をメッセージとして伝えたいのか、神木に失礼とは思いましたが手を伸ばし、そっと杉の木の肌に手を押し当てて見ました。2千年という途方もなく長い歴史の重みで体が震えるような感触でした。

 数年前に台風で枝が折れたり樹勢が衰えたりしたそうですが、樹木医の適切な処置もあって古い杉にしては何となく若々しく感じました。

 次に訪れたのは国分寺です。後醍醐天皇が隠岐に流された時、御在所となった跡地が国の指定を受けて大切に保存されていました。

 このように隠岐の島には至る所に史跡がゴロゴロしていて、朽ち果てることもなく物語が伝えられているのです。国分寺という格式の高いお寺さんだけあって受付をされていた住職さんも何となく気高く、養育委員会の吉田さんの顔パスで物語のマイク放送を聞きながら歴史に触れることが出来ました。

 「せっかく島に来るのだったら一便早く来て講演をお願いします」と、今は総務課長にご昇進された斉藤さんの口利きで、花の会の講演を午後2時からすることになって、会長さんはじめ3人の役員さんとお食事に参加させてもらいました。「昼からこんな豪華な食事を食べていいの」と言わんばかりの島ならではの海の幸に舌鼓を打ちました。貝汁にはフジツボやカメノテなどの珍味が入り、ウミウシという、私のように海に詳しい人間ならそのグロテスクな姿を知ってるので余り食べないこれぞ珍味というべき食材にもう満足でした。

 料理屋さんの入り口に紫のほたる袋の花がf斑入りのツワブキの葉っぱをバックに可憐に咲いていました。花の会の招きなのでデジカメを向けてパチリ撮ったら、店のおばちゃんが裏の花も見て欲しいと狭い畑に連れて行きました。まあ花好きのおばちゃんで所狭しとあれやこれやと植えていました。せがまれて一枚パチリです。

 花を作る人の心境はこんなもんで、人に褒めてもらうことが一番の妙薬なのです。おばちゃんは私の乗った車が見えなくなるまでずっと手を振る続けていました。ほっとする、それでいて温かい島のもてなしの心にあったような気持ちでした。

 講演会は参加者50人くらいと聞いていましたし、花の会の主催で女性の会だから「女性が輝くときまちが輝く」というタイトルにもかかわらず何人もの男性も顔を見せ、80人を越える勢いで嬉しい集会でした。わが町の花も花の会はじめ多くの人たちが参加して、毎年きれいな花を咲かせてくれていますし、先日も愛媛新聞の一面で潮風ふれあい公園のアジサイの花が季節の花として紹介されていました。花づくりは奥が深く息の長い運動です。でも花のある暮らしは歌のある暮らしと同じように彩を添えてくれるのです。

 フェリーおきの船内に花の会が作成した隠岐の島町の花暦が張られていました。花は咲かない時期に来たらそれこそ失望です。こうして花の見ごろの場所や季節が情報として流れることは、島のイメージアップに役立ちます。これまでの観光はどちらかというと自然や歴史のようなものが中心に紹介されていましたが、このパンフレットが隠岐の島の新しい観光資源になることは疑いのないことです。花の会の皆さんの活動に大きな拍手を送りたいものです。

  「隠岐シャクの 咲く島一度は 訪ねたい 新婚旅行で 買いし花なく」

  「見てください いきなりおばちゃん われ誘い 畑のアオイを 自慢したげに」

  「花便り 観光資源に 活かすべき 島の魅力が うんと増えます」

  「もの言わず 二千年もの 年輪の 衣まといて いまだ矍鑠」

 

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shin-1さんの日記

○島根県隠岐の島へ行くはずが・・・・

 一昨日25日の午前2時に早起きして出発し、早朝鳥取県境港へ着きました。心配された雨も中国山脈を越えると殆どなく、白々とした山間の夏の夜明けを楽しみながらひた走りに走ったのです。今回の旅は島根県立生涯学習センターが開く地域課題研修での講演のための隠岐の島行きで、境港はその中継港なのです。隠岐の島へは一昨年11月隠岐の島町、昨年3月西ノ島町へ相次いで訪問しているので随分手馴れた馴れた旅に感じられました。事前連絡では境港からレインボーという高速船に乗って島へ渡るようにしじがありましたが、境港駅に着くとまだ時間があるので島根県七類港出航のフェリーに乗る方が、明くる日の帰りの便の都合がいいので急ぎそちらに向かいました。

 何度も来ている境港ですが、写真に撮ることもなく素通りしていましたので、顔を洗って身支度を整える少しの時間、妖怪によるまちづくりの一端をカメラに収めました。

 境港といえば全国屈指の水揚げを誇る漁港で有名ですが、この街を有名にしたのは一人の市役所職員のアイディアでした。ご存知ゲゲゲの鬼太郎で有名な漫画家水木しげるの作品をモチーフにまちづくりを始めたのです。最初は何とも奇妙な妖怪でまちづくりなんてけしからんと、殆どの人が大反対したそうですがものの見事に成功し全国屈指の観光地にしてしまったのです。海沿いの街中にはこれでもかと言わんばかりに妖怪のブロンズ像が置かれ、特に若者の間に人気を博しています。勿論観光バスもやってきて、ちょっとした妖怪ブームなのです。

 この写真など、境港駅の前に設置している妖怪のブロンズ像ですが、完全にパロディの世界で、思わずプッと吹き出してしまいそうな、それでいて懐かしい漫画の世界に誘ってくれるのです。自分を基点にぐるっと見渡すと、10や15の作品はカメラにすぐに収まる程の量なので、観光客も早朝だと言うのに思い思いのポーズで盛んに妖怪と記念撮影をしていました。

 これは名前を忘れましたがご存知目玉男の妖怪です。

 これは郵便ポストの上に遊び心で設置された誰もが知っている主人公の「ゲゲゲの鬼太郎」です。「カラーンコローン、カランコロコロ」というテーマ音楽が聞こえてきそうです。私は急いで車に戻り、3枚のハガキを木になるカバンの上でしたため。、ゲゲゲの鬼太郎のポストから投函しましたと書いてポストに入れました。私が帰る頃には三人の方から思わぬ反応があるものと思われます。でもひょっとしたらこのハガキは妖怪の世界に届いて相手にはト届かないのでは?と思ったほどの不思議さです。

 まあ色々なまちおこしのネタはありますが、どこにでもある夕日を自分のものにして日本一の夕日だと情報発信した私などはまだまだ現実的で、まともな方だと自分で納得したりしました。境港は一度くらい訪れてもいいかもしれないですね。島根県隠岐の島へ行くはずがとんだ道草となりました。

  「妖怪で まちを起すか 面白い 遊び半分 だから成功」

  「書いた文 妖怪ポストに 入れました 果たして届くか 頼む鬼太郎」

  「考えた 市役所職員 出世して 今では議員 褒美のバッチ」

  「これを見て 日本も平和 長閑なり 境港は えっ?鳥取か」


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