shin-1さんの日記

○椎葉村の苦悩

 「おばちゃんちょっとお尋ねしたいのですが、高齢者センターは何処かご存知でしょか」。「ああ高齢者センターならそこですよ」と教えてくれたのは、降り出した雨の中で立ち寄った金物屋のおばちゃんでした。金物屋の店内はども町の金物屋さんも一緒で、何時売れるか当てもない商品が所狭しと並べられ、店は片付いてはいますが少し古い物が値札と一緒に吊り下げられていました。聞くでもなく相手のおばちゃんは椎葉村の現状を聞いてくれと言わんばかりに一気に話し始めたのです。急ぐこともないので立ち話のような形で話に相槌を打ちながら聞いたのですが、椎葉村は一昨年と昨年の二年続きの台風災害で、ちょっとした好景気のような錯覚にとらわれているそうです。椎葉村の台風災害は村が孤立するなどその爪あとは大きく、激甚災害に指定されたのです。激甚災害に指定されると国費が投入され公共土木工事が増えるのですが村内の業者はランクが低くて大きな工事はゼネコンが殆どの工事をするのだそうです。仕方がないので下請けや孫受けといった儲けの少ない場所でしか受注できないのです。しかも最近の公共工事は事業費見直しによって利が少なく、中には赤字覚悟の工事もあるやに聞いているのだそうです。

 村の中心部の対岸にこんな光景を見ました。土砂が崩壊し道をふさぎ、その土石流は川まで達しています。多分人命や交通に支障のないものは後回しにされるので、着工は早くても2年後ではないかと聞きました。ぐるっと見渡してもこんな土砂崩壊の爪痕はいくつも視界の中に入ってくるのです。

 おばちゃんの話は延々と続きました。これでは講演をしに来たのではなく、まるで金物屋のおばちゃんの講演を聞きに来たようでした。いい話を聞いたので何か買わないと、ブリキで出来たお茶の収納に使う道具を買いました。名前は忘れましたが椎葉村独特の見たこともないような道具でした。

 私が今回の旅で八幡浜~臼杵~日向・延岡~椎葉を選ばず三崎~佐賀関~竹田~一宮~蘇陽~椎葉のルートを選んだのは台風災害や通行時間制限が少ないルートだと思ったからです。それでも何ヶ所か無人の片側通行信号や、ガードマンに何度も止められました。その都度急ぐ旅でもあるのでイライラは募るばかりでした。大人気ないなと思いながらもガードマンに「あとどのくらいかかるの」と聞く始末です。

 昨年の台風はわが家の裏山も崩れ他人事ではないと同情しましたが、おばちゃんの話によると、山奥には想像もつかないような土砂崩壊の場所があるそうです。

 高齢化や過疎、それに長引く不況と田舎を巡る不安材料は幾つもあります。テレビではセレブなどという言葉が流行し、何か違う国の話を聞いているような錯覚さえ覚えます。また田舎の長男が故に嫁のない苦悩もまた、芸能人の離婚や結婚の話に打ち消されています。格差が問題になっているこの国の形は一体どうなっているのでしょう。

 この台風で3人の人が犠牲になった現場を見ました。旅館だった三階建ての家は壊されず無残にも台風の爪痕を残したままの姿でした。壊すのに8百万円要るのだそうです。椎葉村の苦悩は中山間地域の苦悩でもあるので心を痛めながら4回目に訪れた椎葉村に別れを憂げました。

  「若松さん 見知らぬ人が 声掛ける こんな田舎で 俺の名知るとは」

  「落ち込んだ 話を聞いて 落ち込んだ 深い悩みの 悲しい現実」

  「このルート 選んでみたが 結局は カーナビ案内 お前は偉い」

  「四百も 工事あるとは 驚いた 民宿おばちゃん 自慢顰蹙」

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shin-1さんの日記

○二人の旧友

 私には友人や先輩、仲間など数えれば家族全員の足と手の指を借りてもまだ足らないほどの数の人たちがいます。頻繁に交流している人も沢山いますが、もう何年も音信が途絶えている人もいます。歳を経てきたからなのでしょうか最近そんな懐かしい友人の顔が時々思い出され、パソコンを打ちながら「あの人は元気なのだろうか」などと思い出し、電話をかけたりするのです。

 数日前も宮崎県椎葉村へ講演に行くため調べ物をしていてふと「河口吉弘」さんのことを思い出しました。彼は椎葉村の役場に勤めていましたが、知的な行動派で椎葉村へ講演に行った縁で青年たちをわが町へ連れてきたこともあるのです。電話番号が分らず結局は役場に電話を入れました。電話に出た総務課の方の話によると彼は今春退職したとのことでした。詳しいことも聞けず早速彼に電話を入れましたがあいにく留守だったので夜に再びかけると、懐かしい彼の声が聞こえてきたのです。何でもまだ60の定年には2年間もあるのに「っくりしたくて」退職したとのこと、宮崎県を代表する彼を現場から失うことは寂しい気もしましたが「ゆっくりしたい」と言う彼の言葉の重みをかみ締めました。

 昨日の朝椎葉村を歩いていると見知らぬ役場の職員風の方から「若松さんではありませんか」と、思わず声を掛けられました。青天の霹靂、驚いたの何のって、言葉では言い表せませんでした。その方は村の文化郷土館の学芸員をしているそうで、何でも昔河口さんが縁で私の講演を聞き青年団で聞き双海町視察ツアーの一員としてわが町にも来られたとのこと、それでももう10数年の昔のことだし、私の風貌も13キロも痩せていてすっかり様変わりしているのに覚えてくれていたのです。嬉しさでついウルウルになりました。

 折から降り出した雨で会場の準備が遅れ会場へ着いたのは開会30分前でした。会場へ着くなり河口さんからの伝言とかで、「今日は所用で会えない。お土産を」と焼酎を託けてくれたのです。

 九州北部地四国地方が入梅というニュースを、谷間を縫うように走るためラジオ電波の状態が悪い中で聞きました。折から接近する低気圧の影響で雨は本降り、しかも風を伴った横殴りの雨、各地に暴風波浪警報が出される中、やっとの思いでフェリー乗り場のある佐賀関までたどり着きました。今回の椎葉村行きをブログで紹介していたので、愛読者の渡辺又計さんが読んでくれていて、「フェリーが欠航になでもなったらわが家へでも」とわざわざ風雨の中船着場まで訪ねてきました。彼とは旧三崎町の塩崎君を介して知り合ったのですが、漁師町の育ちで気心が合うのか、先日もわざわざ来県(来県といっても三崎とは目と鼻の先でフェリー代だと600円程度で、遠い県内よりよっぽど近い)し交遊を深めました。手土産にと関アジを持ってきてくれました。

 渡辺さんのことを私は「関のダンディーボーイ」と呼んでいます。こざっぱりした容姿は田舎臭さがまったくなく言う事なすことがしっかりと将来を見据えています。その姿はまるで俊敏に泳ぐ関アジ・関サバのようで好感が持てます。春の人事で課長級になったそうです。まずは昇進を喜びたい。大分市と合併し佐賀関という自治体はなくなりましたが、これからも佐賀関というブランドにこだわった地域づくりに努力して欲しいものです。

 人の出会いは不思議なもので、河口さんにしても渡辺さんにしても遠い土地に住んで空気のような存在でありながら、それでいてお互いが気にする存在にいます。私もそんな存在になりたいものだと二人を見て思いました。今回も小さな旅の中で二人の旧友の存在を確認することが出来ました。お二人さんお元気でご活躍ください。

  「旅先で 受けた恩の 有難さ 気配りできる あの人達人」

  「走らせる 車の中で  人思う 看板見る度 あの人元気」

  「味なこと するわいあいつ アジを持ち 味わえ言って 雨に消えゆく」

  「ふるさとを しょって生きてる 人に会う 風の便りに 昇進・退職」

  


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