人間牧場

〇親友の訃報そして葬儀
 親友松本宏さんから、「松本洋子さんがお亡くなりになりましたのでお知らせします」と、私の携帯電話に訃報が届いたのは、双海町子ども教室のおもしろ大作戦で今治市菊間町を訪れ、菊間町の公民館を借りて子どもたちと一緒に、昼食をしている日曜日のことでした。旅先のことでもありとりあえず親友福岡憲子さんに電話を入れ、その後の様子や通夜・葬儀の日時を聞きました。明くる日が友引ということもあって、通夜は家族のみで14日自宅、葬儀は15日伊予市街のルミエールとのことでした。

 明くる月曜日の朝6時半過ぎ、いつものようにウォーキングを終えて自宅へ帰りズボンのポケットに入れていた携帯電話のlineに、松本洋子さんの携帯からメールが入っていました。「えっ、松本洋子さんは亡くなったと聞いていたのに?」と目を疑いました。電話の主は松本洋子さんの娘さんが、お母さんの携帯電話を使い、親しかったメル友に亡くなったことや葬儀の日時などを伝えるものでしたが、病気を発症してからも時々メールのやり取りをしていたし、「毎日あなたのブログを読むのが楽しみです」と書き込みが何度も寄せられ、時々line電話で励ましの言葉をかけていました。

 明くる日曜日、私は外反母趾手術後の診察に愛大附属病院へ行きました。レントゲン検査の後診察の順番を待っていると、「松本洋子さん、若松進一さん、中待合室へお入りください」とマイク放送があり「えっ、松本洋子さん?」とわが耳を疑いました。「は~い」と私の前を通って中待合室へ入った人は確かに松本洋子さんで、どうやら同姓同名の方でしたが、別人ながら同姓同名の松本洋子さんとご一緒に相前後して診察を受ける偶然にも大いに驚きました。

 26年前私が担当してシーサイド公園を造った折、漁協女性部の部長だった富岡喜久子さんや松本洋子さんたちとじゃこ天のお店を立ち上げ、以来長年に渡り一緒に活動をし続けて来ただけに、昨日の11時からの葬儀に参列しましたが、涙が出て仕方がありませんでした。富岡さんや県女性連の喜田会長さんも駆け付け、生前の故人を偲びながらお別れをしました。また一人気心の知れた大切な友人を亡くしました。享年69歳は人生100年時代ゆえ余りにも早い旅立ちです。自分の進行する病気をさておいて、「進ちゃん、足の手術後の回復はどう?」とか、「長生きしてね」とか気遣ってもらった、携帯電話での言葉のやり取りが懐かしく思い出されます。悲しいね。

「友人が 携帯電話で 一報を 届けてくれて 訃報悲しく」
「検診で こともあろうか 同姓で 同名の人 いぃしょに受診」
「亡くなった はずの人 lineにて メールが届き ビックリ仰天」
「悲しいね また一人親友 亡くなった 69歳 早過ぎですよ」 

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