人間牧場

◯二宮金次郎像の台座作り

 私が人間牧場で主宰している年輪塾で二宮金次郎の学習を2年間しました。そんなことを知った長年親交のある愛媛大学名誉教授の讃岐先生から、高さ30cm程の小さな二宮金次郎の銅像をいただきました。以来この銅像をまるで同行二人のように持ち歩いて、尊徳の教えをお話しています。

 いつもエコバッグに中国の古書「大学」と一緒に入れているため、二宮金次郎像を粗末に扱うような気分になり、何とか使わない時は定位置に置きたいと思い、木製の台座を作ることを思いつきました。ヒノキの切れ端丸太を半分に切って、下半分を丸木舟展示に使っているため、残り上半分を使うことにしました。

 先日ネットで買った木材専用のグラインダーで丸太の表面を削り、何度も銅像を乗せて修正し、2時間ほどで仕上げました。我ながら上出来だと自己満足し、出来た台座とともに海の資料館海舟館に置きました。これからは今まで通り持ち歩きますが、日常はこの台座の上に安置し大事にしたいと思っています。

「大学の 懇意な教授 頂いた 金次郎像 同行二人」

「エコバック もっと大事に するべきと 台座制作 丸太使って」

「2時間を かけて作った 台座でき 満足しつつ 資料館置く」

「不器用を 自認の私 故なるか これから先は 尊徳話」

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人間牧場

〇私の借景本尊山

何処までも抜けるような明るい青空に白い雲が流れて行きます

 わが家の目の前にそびえる町のシンボル本尊山周辺は、急峻な地形のため里山なのに人工造林ができず自然林のままで、この山周辺を借景と勝手に思い込んでいる私としては、春夏秋冬それぞれに季節の移ろいを感じることがき、一年中毎日のように風流を楽しんでいます。

真っ赤なハゼモミジに変って今はクヌギの木の黄葉が山全体を覆います

 春になると木々の芽吹きと共に山桜が咲き、夏は深い緑に覆われます。また秋の頃ごろには真っ赤なハゼモミジや黄葉とでも言うべきクヌギの木々の紅葉が山全体を覆い、夕日に染まった景色はまさに絵になる光景です。

昨日の夕日は綺麗で、本尊山も真っ赤に染まりました

 昨日は昼間の少し強かった風も夕方収まり、綺麗な夕日が西の山の端に沈みました。運よく大洲方面へ所用で出かけた帰り道、沢山の人で賑わうJR下灘駅のプラットホームを見上げながら通過し、シーサイド公園に立寄って、この夕日夕焼けを写真に納まることができましたが、新型コロナの感染も落ち着いているため、シーサイド公園には沢山の人が見事な夕日を眺めていました。

 この歳になっても毎日忙しい日々を過ごしている私にとって、自分の住んでいるふるさとの景色を楽しむ余裕など余りありませんが、この町を少しでも良くしていく努力はこれからもしなければならないと、肝に銘じています。①楽しい、②新しい、③美しいは私のまちづくりのキーワードです。

「朝夕な 毎日見ている 本尊山 私の借景 今頃黄葉」

「楽しいと 新しさ加え 美しい 3つ私の キーワードです」

「JR 下灘駅や シーサイド 人が沢山 交流人口」

「あれこれと やりたいことが あり過ぎる まままだこれから 死ぬる訳には」

 

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人間牧場

〇通学合宿夕焼け村

 昨年は新型コロナの感染拡大で通学合宿夕焼け村は中止に追い込まれました。今年も計画はしたものその余波で、夏休み明け実施の当初計画は延期となっていましたが、コロナも第6派が心配されているものの感染者数が減少して集会開催条件が緩和され、やっとの思いで今週一週間の開催に漕ぎつけることができました。

夕日鑑賞会
一週間の食事献立表
美味しい食事

 他市町の通学合宿は早々と中止を決めていたので、恐らく県内では双海町だけの開催になったのではないかと思われます。例年だと小学校4年生から6年生までを対象とするのですが、今年度は参加者のディスタンスも考慮して6年生のみの募集実施となりました。これまで実施した20回の中で6年生だけでの実施も初めてで、6年生は修学旅行も少年自然の家も小規模校ばかりなので、町内3校連合が板に着いていて、仲間づくりの苦労もなくプログラムが進行しているようです。

 11月20日に開講したその日の夕方、私も夕日の講話をする予定が組まれていましたが、あいにくその日は私が代表を務める地域教育実践ネットワークえひめの第5回実行委員会が国立青少年交流の家であって出かけなければならず、23日の祭日に変更してもらい、県民文化祭の連句大会で講演をした後トンボ帰りしてその役目を果たしました。この日は小雨ぱらつくあいにくの天気でしたが、幸運にも風の強さも手伝って西の空の雲が途切れ、綺麗な輝く夕日夕焼けを見ることができてラッキーでした。

 この日の夕食はスパゲティ料理で、私もご相伴にあずかり皆さんと共に食事をすることができました。更生保護女性会や婦人会の皆さんが今年も食事作りを担当してくれ、子どもたちも一緒になって美味しい夕食でした。宿泊施設の潮風ふれあいの館はクリスマスのデスプレイが綺麗で、とてもいい雰囲気でした。

「今年も コロナに翻弄 されたけど 何とか開催 ホッと一息」

「6年生 ラストチャンスに 間に合った 幸運ゆえに みんな楽しく」

「小雨降る それでも夕日 顔を出す みんな感動 大きな拍手」

「それぞれの 人がそれぞれ 役割を こなしてくれて 有難きかな」

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人間牧場

〇県民総合文化祭連句大会に招かれました

 今年の2月15日、宇和島水産高校の大先輩であった玉井恭介さんのたっての願いが実現し、私設公民館煙会所にて吟行会が開かれました。その折、玉井さん「秋の頃には人間牧場にて吟行会を開きたい」、私「いつでもどうぞ」と約束をしていましたが、残念ながらその約束主の玉井さんは3月に急逝してしまいました。故人との約束なのでしっかり守るべく残暑の残る10月9日に人間牧場にて吟行会を開きました。

県民総合文化祭連句大会開会式

 そんなこんなのいきさつで知り合った久翠さんのご推挙もあって、県民総合文化祭連句大会の講演を引き受ける羽目となり昨日の午前、中愛媛県県民文化会館で開かれた大会に出かけました。集まった文芸に秀でた文化度の高い人に比べればはるかに劣る私ゆえ、「何を話そうか?」思いつつあっという間にその日を迎えてしまいましたが、生来のネアカゆえ思いつくまま90分ほど、用意したパワーポイントを見せながらお話をしました。

 会場には同じ夢工房仲間の平井さんや原田さんもいて、特に平井さんはこの日の司会を取り仕切っていてびっくりしました。また今は廃業していますが、かつて若い頃行きつけだった割烹「いよじ」のおかみさんも講演を聴きに来てくれていて、何とも面映ゆい感じがしました。昨日は大会の様子を愛媛CATVが取材に来ていて、恥ずかしながら講演後も何かと補助取材を受けました。

 この日大西会長さんから、石打句会報10月号の抜粋A4半折4ページの「吟行句会・双海町『人間牧場』という、人間牧場で開いた吟行句会の資料をいただきました。さすがに素晴らしい内容でした。

「過去2回 わが施設にて 吟行会 やったご縁で 大会招かれ」

「会場に 親友馴染みの 人ありて 面映ゆい感じで 話し始める」

「文芸に 秀でた人の 集まりは 格式高く 少し難題」

「いただいた 会報抜粋 記事を読む 過去の出来事 振り返りつつ」

 

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人間牧場

〇パソコンとタブレットの相性

 毎日休むことなく2本のFaceBook を書いている私にとって、パソコンやタブレットは今や生活の一部といっても過言ではなく、殆ど無言で対応しているものの、不足を言えば罰が当たるような相手なのですが、向き合って操作する私が早とちりや気短なため、時々私のいうことを聞かなくなることがあります。

バックアップ不能となったパソコンもそのご無事復旧

 一昨日はタブレットで撮った写真のバックアップ機能が、エンストを起こして言うことを聞かなくなってしまいました。私はパソコンやタブレット操作が苦手で、トラブルが起きると完全にお手上げなのです。こんな場合は同居をしている息子に助け船を求めるのですが、息子も仕事が忙しく土日も地域づくりに関わっているため忙しそうで、治してくれるタイミングがずれるとイライラを繰り返しています。

 それでも昨日修理をしてくれ、やっとバックアップ機能が復活しました。パソコンも中に蓄積した容量の重みで立ち上がるのに時間がかかるようになっていて、そろそろ限界に近づいるようです。日々変わる天気と一緒で、私の気分をあざ笑うように、自分の主張を貫こうとするデジタル機材は一番身近な相棒であると同時に、一番嫌な相手でもあるのです。

 毎朝4時過ぎに起き、パソコンに向かって思いついたことを文字に起こして文章を作り、それを人工知能とでも言うべきパソコンは記憶蓄積しているのですから、凡人の私の頭など到底及ばない凄い記憶力なのです。感心しながら敬愛し、時には言うことを聞かないことにいら立ちながら日々を過ごしています。

「タブレット 撮った写真が バックアップ できなくなって 息子の出番」

「わが息子 親よりましゆえ あれこれと 教えてもらい 修理修繕」

「パソコンと タブレットなし 生きられぬ 少しオ―バー 相棒褒める」

「記憶力 記憶の量は 凄過ぎる 人工知能 誰が発明?」

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人間牧場

〇夕焼け村始まる

 双海町に住む子どもたちは小学4年生になったら通学合宿「夕焼け村」に参加できることを楽しみにしていますが、新型コロナの影響で昨年は夕焼け村そのものが中止になりました。今年も夏休みの終わりに計画していたものの、新型コロナの感染が止まらず延期になっていました。ここに来てその勢いも収まり規制が緩められ開催が可能となったため、昨日から1週間の予定で小学6年生だけを対象に開催することになりました。

孫奏心の荷物

 わが家にも小学6年生の孫奏心がいますが、参加申し込みをしたため数日前から母親と2人で持って行く荷物の準備をしていました。宿泊施設ふれあいの館と学校を往復して、一週間家庭に帰らないため、学校の勉強道具に加え、着替えなどの生活用品となるとかなりの量になり、まるで夜逃げでもするような荷物の多さに、家族全員が大笑いしながら見送りました。私も初日に夕日の講話などの一翼を担う予定でしたが、昨日は大洲での実行委員会と重なったため、明日に変更してもらいました。

 昨日大洲での実行委員会を終えて帰宅途中、中尾先生と二人で様子を見に伺いましたが、みんな楽しそうに班別会議をやっていました。宿舎となるふれあいの館の和室はまるで野戦病院ではないかと思われるほど透明なビニールシートで区分され、あえて実施に踏み切った苦労の後が垣間見えました。県内他の通学合宿は軒並み2年連続中止となっているようで、多分実施するのは双海だけではないかと思われます。

 今日は久しぶりに朝から雨が降っています。荒れた天気になると予報では沿岸地域に強風波浪注意報が出ていますが、雨もまた良し風も経験です。様々な経験を積んで子どもたちはまた一つ大きく成長することでしょう。わが家の中2の孫希心は、先日弟が修学旅行に出かけたと同じように今回は少し長めの1週間も、「一人っ子」になると口では嬉しそなことを言っていますが、やはり日常と勝手が違って少し寂しそうです。これもまた家族の経験です。

「昨年に 続き今年も 中止かも 思っていたが 規制緩和で」

「よしやろう みんなが一致 団結し 夕焼け村が 始まりました」

「今年は 6年生だけ 対象に 1週間の 合宿訓練」

「いつもいる 家族が一人 いなくなる 寂しい限り これも目的」

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人間牧場

〇続々届く喪中のハガキ

 早いものでお正月まで40日を切りました。この時期は身近で今年亡くなった人の喪に服すため、失礼する旨の喪中はがきが毎日のように届いています。そのハガキを見ながら差出人の心中や亡くなった人に思いを馳せますが、「えっ?あの人が?」という人もいて、コロナの影響で葬儀にも参列できず不義理を囲っていることもあり、寂しい限りです。

喪中はがき

 「主人が亡くなりました」と奥さんから届いた喪中ハガキを見るにつけ、「そのうち私もこのような運命を辿る」であろうと、加齢の進むわが身を意識しながら複雑な気持ちになり、妻と二人でそにまつわる思い出話をしていますが、妻=私でお互いが知ってる人ばかりではないので、「ふ~ん」と聞き流される人も何人かいるようです。

 中には喪中ハガキに沿えて、「加齢により来年から年賀ハガキを出すは失礼します」と、交際を断つ人もいます。確かに年賀状は少し時代遅れだし、年賀ハガキを出す煩わしさを思えば、「止めようか」と思うこともありますが、年齢を重ねるゆえにたった一枚のハガキで旧交を温めれることを思えば、続けることの意味もあるようです。

 新型コロナの影響で社会の仕組みが変わり、葬儀も家族葬が主流となり、旧交を温めるラストチャンスさえなくなりました。多分私もそんな風に時代の片隅で忘れられる存在となる運命にあるようです。故に生きているうちが花とばかりに、大いに人生を楽しもうと思っています。

「毎日の ように続々 届きたる 喪中のハガキ 少し寂しい」

「ハガキ見て えっあの人が? 知らなんだ 家族葬ゆえ 葬儀も行けず」

「新聞の お悔やみ欄しか 分からない 私もひっそり 死ぬかも知れぬ」

「年賀状 来年からは 出さないと 交際を断つ 宣言ハガキ」

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人間牧場

〇月食のお月様

 昨日は満月でした。しかもその月が地球の影に隠れる月食が見られるとあって、わが家では朝から孫たちが騒いでいました。この時期は一年納めの大相撲九州場所の放送があるので、夕方テレビの前に座って居間で観戦していると、孫2人から「月食を見たいのでシーサイド公園へ連れて行って欲しい」とせがまれました。孫2人はこの数日風邪を引いているのでどうかと思いましたが、少し厚着して車に乗せ出かけました。

昨日の月食
恋人岬のモニュメントも綺麗でした

 小学6年生の孫奏心は、夏休みの自由研究でペットボトルロケットの製作過程をレポートし提出したところ優秀賞を受賞するなど、このところ宇宙に興味があるらしく、時々母親に頼み中2の兄希心とシーサイド公園の屋上へ出かけ、流れ星流星群をみたりしているようで、昨日も午後6時ころすっかり暗くなった東の空から既に月食の始まった月を、タブレットを使い写真に収めていましたが、写真は上手く撮れなかったようでした。

 屋上北側には恋人岬のモニュメントに七色の光が当てられていて、変化する七色モニュメントを楽しめるようになっていますが、何組かの若いカップルがひっきりなしに歩いていました。孫希心が温かいお茶を自販機で買ってくれ、3人で暫くの間月食月を眺めていましたが、寒くなったので早々に引き上げました。孫奏心は今朝早く起きてすっかり元通りの満月になった西の空に浮かぶお月様を写真に収めていました。孫たちのお陰で天体の不思議を実感した月食見学でした。

「大相撲 テレビ観戦 してるのに 孫に誘われ 月食見学」

「シ―サイド 講演屋上 東空 満月月食 3人で見る」

「屋上の 北側恋人 岬には 七色光線 当てられ素敵」

「孫たちの お陰で天体 不思議見る 写真あいにく」

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人間牧場

〇昨日はオンライン会議に参加しました

 私は18歳の時青年団に入団し、世に言う社会活動を始めました。そして青年団活動・公民館活動・村おこし活動・地域づくり活動と、その時代時代を生かされて生きてきました。指折り数えるとその年数や60年間ですから、長~くやってきたものだと自分ながら感心しています。

 私の基本は青年団活動で身につけた、①主張、②仲間、③ふるさと、④感動、⑤学び、⑥夢という6つの道具を手に入れそれらを磨くことなので、①人間・②時間・③空間という間を大切にしながら生きてきました。ところが昨年全世界に広がった新型コロナの影響で、この3つの間を覆すような大きな変化が生じ、元に戻りにくい状況となってしまいました。

 本来人間は対面しながらリアルに心を通わせるはずなのに、新型コロナの感染を防ぐためマスクをして顔半分を隠し、オンラインを使ってバーチャルな疑似手法で事をなそうとしています。60年間培ってきた人間的手法が根底から覆され、オンラインに慣れていない私などは完全に時代遅れの烙印が押され、社会の片隅に忘れられる存在となりそうです。

昨日参加したオンライン会議

 それでも私には人生100年と仮定してこれから生きるならば、まだ23年間も未来を生きなければならないのです。余命を楽しむどころか、苦痛の中でひっそりと生きねばならないのかと思うと少し憂鬱になりますが、とりあえず再起動して今できることをやろうと思っています。昨日慣れないオンライン会議に参加しました。中々でした。

「何か変? 新型コロナで 世の中の 仕組みが変わり 右往左往す」

「60年 社会活動 培った 人間優先 どこへ行ったか」

「私には 時代遅れの レッテルが 張られ役割 終えた感じが」

「まだ私 23年 未来ある 再起動して 生きねばならぬ」

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人間牧場

〇草引き作業は続きます(その5)

 昨日は午前中2人、午後3人の来客があり、頼まれていて締め切りの近づいた原稿を書いたり家の細々をしながら過ごしました。現在は暇さえあれば家庭菜園東側の石垣の草引きを行っています。150mにも及ぶ長い石垣に脚立をかけ、登ったり降りたりしながら作業を続けていますが、草を引いた雑石積みの石垣が増えるのを楽しみながら、まだ先が長いことの憂鬱感を合わせて感じたりしながらのんびりやっています。

 時折下の道を通る顔見知りの人が声をかけてくれ、その度に草引きを中断して会話を重ねていますが、先日庭木の剪定中下達が倒れ3m下の地面に落ちて打撲したことを知っている人は、「高いので落ちないように気をつけてね」と注意を促してくれます。一方楽観派は草取りが終って綺麗な雑石積みが見え始めた石垣を見て、「見事な石垣ですね。昔の人の苦労が偲ばれますね」と、石垣を積んだであろう先人の偉業を誉めてくれます。

 「寒くなりましたね」程度のあいさつなのに、「危ないから気をつけて」と「綺麗な石垣ですね」で、草を引いている私の行為を誉めてくれる人は少ないようですが、「注意」も「石垣の誉め言葉」も私にとっては大事な視点なので、しっかり肝に銘じて作業を続けています。今日は午前と午後自宅でできるズーム会議が予定されているので、天気も良さそうだし、1mでも2mでも作業を続けようと思っています。せっかちな性格ゆえにじれったさが同居しています。

「下の道 顔見知りの人 通る度 声掛けてくれ 会話しながら」

「『危ない」と 石垣積んだ 『人褒める』 草引く私 誉めてもくれず」

「少しずつ 綺麗な石垣 増えて行く 先はまだまだ せっかち性格」

「よくもまあ こんな馬鹿げた 思いつき 寸暇惜しんで 少しずつだが」

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