〇facebookを楽しむ
どんな使い方や意味があるのかも分らぬまま、facebookを始めて1年近くが経ちました。今では私が毎日書いている2本のブログのうち、アメーバブログ1本は書いて画面の公開ボタンを押せば、facebookに自動的に投稿できるように、娘婿がセットをしてくれているので、そのセットの不具合が時々起きてfacebookにアップできない限りは、ほぼ毎日私の記事はfacebookで見たり読んだりすることが出来るのです。
facebookのシステムは1年経った今でもよく分りませんが、この1年間で私の元へ、友だち申請され承認した友だちの数は620人を超えました。その人の数が多いのか少ないのかさえ理解できませんが、私の書いた記事やアップした写真は少なくと620人の元へ届いている計算になるのです。私がアップした記事や写真の下には、読んで「いいね」ボタンを押した人の名前や数がカウントされるようになっていて、その中には常連的にコメントをくれる親しいお友だちもできて、毎日楽しみながらコメント会話を繰り返しています。
「蜂に刺されて手が腫れました」と写真つきでアップすれば、人の不幸を笑うように「いいね」ボタンを押される、まるで漫才のネタになりそうな話題もしばしばですが、友だちの中にはまったく顔を見たこともないし、たった一度名刺交換しただけの人が沢山いるのも驚きです。昨日私がアップした前日の美しい夕日の写真に、沢山の人がコメントを入れてくれましたが、その中に滋賀県大津市在住の吉見精二さんという人から、写真つきのコメントが届きました。
吉見さんは私の木になるカバンのことを知っていて、その後カバンが健在かどうか問うていました。「今も健在で全国各地へ持ち歩いています」と返信すると、今度は私の自著本の裏表表紙を写真に撮って読むよう紹介してもらい、多いに驚きました。この本を自著した本人の私でさえ、最近はこの本のことすら忘れる有様なのにです。吉見さんは元地域観光プロデュースセンター代表ですが、多くのことを知らないだけに興味津々で、いつかどこかで出会いたいと思うようになりました。
アナログからデジタルへと時代は大きく変わりました。デジタル教育など受けていないアナログな私は、こんな便利なツールさえ使いこなせない時代遅れな人間ですが、恥をかくことを恥じる歳でもないので、失敗したり人に聞いたり、笑われたりしながら、知ったかぶりでデジタルに挑戦しています。コンセンサスどころか頭の中は毎日「混線さす」気分です。チャールズ・ダウィンが言っているように、「強い者・賢い者が生き残るのではなく、順応した者が生き残る」のであれば、時代に順応して生き残らなければなりません。生きる屍にならぬよう、しっかりと・・・。
「アナログな 人間ゆえに デジタルは 私の頭 混線さすだ」
「アナログも やってみるうち 少しだけ 理解ができて お茶を濁して」
「目に見えぬ 相手と交信 面白い 口では言えぬ ことまで書いて」
「自著本を 写真に写し 紹介す 只者でない facebookで」