shin-1さんの日記

○私のプロフィール騒動

 「若松さんですか。あなたに講演依頼をしたいのですがプロフィールを送ってください」という電話やメールがよく届きます。忙しい時はそれどころではないので、「私のホームページを開いて適当に見てください」というのですが、そうもいくまいと簡単なプロフィールを作ってメールに添付して送るのです。

 ところが、少し難しい相手だと「若松さん、最終学歴は?」と再びの問い合わせがあるのですが、その都度私は「最終学歴を問われるような所へは行かないことにしていますのでお断りします」と答えるのです。相手は私の思わぬ反論にタジタジで、「そう言う訳で言ったのではありません。なくても結構です」と、あっさり引き下がるのですが、学歴で私の値打ちを判断されるとは情けないと思いつつ、学歴の浅さに自分自身も心のわだかまりがあるのかも知れないと、少しだけ学歴への抵抗を続ける自分を恥じるのです。でも私にとって「何処を出たか」など問題ではありません。大事なのは学歴ではなく学習歴だと今も学習歴に胸を張るのです。多分それは学歴のない親ながら「勉強は学校へ行かなくても何処ででもできる」と諭してくれた親父の言葉が後押ししてくれているように思うのです。

若松進一ブログ

 さて、このプロフィールを送ると相手は決まったように、「若松さんあなたの役職を何にしておきましょうか」と再び尋ね返されます。「お好きなものを適当に」と返すのですが、権威を欲しがる人は「元教育長」とか「愛媛大学非常勤講師」、無難なものを選ぶ人は「夕日のミュージアム名誉館長」、面白いですねという人は「人間牧場主、青少年関係では「21世紀えひめニューフロンティアグループ代表」、最近までは「えひめ地域づくり研究会議代表運営委員」などが圧倒的に多いようです。でも本当に使って欲しい肩書は「人間牧場主」なのですが、この肩書はまだまだ知名度が低いようなので、PRのためにミニチュアの電光掲示板をぶら下げて売り込みをしているところです。


 はてさて、人間の値打とは一体何でしょう。肩書が人の値打なら、リタイアして肩書のなくなった私は学歴とてないから、もう値打ちのない人間なのです。多分世の中の人々も私のことをそう思っているに違いありません。それは私の肩書がなくなって私の周りから去って行った人々からも容易に想像できるのです。でも肩書で人の値打や重さを推し量るような人は、こちらから願い下げだと胸を張ってこれからも生きてゆこうと思いました。


  「学歴を 書けという人 腹が立つ 俺の値打を それで測るか」

  「学歴で 人の値打を 量る人 そんなことでは 通用しない」

  「肩書を さて何にする 聞かれるが どれでも好きに 使ってくれと」

  「読んでみて 色々やった 過去のこと 思い出しつつ プロフィール送る」  

 

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