○昨日の夕暮れは何処か寂しい気がしました
昨日は夕方、久しぶりに家の周辺を散歩しました。家の近くを上灘川が流れていますが、久しぶりに見る上灘川も冬の到来で寒々としていました。川面のあちこちではサギやアイガモなどの水鳥がゆっくりと羽を休めていましたが、深みのあるところには放流した鯉が住み着いて、前よりは随分大きく育っていました。
急な石段を登り氏神様である天一稲荷神社にお参りしました。私が区長していた折改築を終えた拝殿、社殿、本殿の屋根の銅板葺き屋根の色も見事に緑青が吹いて見違えるように自然にマッチしていました。
天一神社の裏道を通って鉄道線路に出ました。先ほど上りの列車が通過したことを確認していたので、線路沿いに少し歩きました。城の下に建設が進められている共栄網の加工場の写真を撮るためです。線路はグリ石が敷き詰められていて歩きにくく、それでも足早に歩いて加工場が一望できる場所まで到達することができました。直立護岸の下には民家があって、私の存在に気付いた飼い犬が盛んに吠えていました。
旧加工場を取り壊している間に写真に収めようと思いつつその思いも叶わなかったため、多少悔いが残っていますが、建築風景を見てその規模の大きさに驚きました。役場に勤めていた若いころ加工場は私の守備範囲だったこともあり、またその後加工場の改修に向けた検討委員会の委員長もしたこともあるので、私にとっては馴染みの施設だし、何かにつけてその動向を見守っているのですが、この加工場が右肩下がりのわが町水産業界の切り札になって欲しいと心から願っています。
やがて師走の太陽は西に傾きかけたので、足早に元来た道を引き返しました。予讃線海岸周りの二本のレールに西日の光が鈍く輝いていたのが印象的でした。ついでに上灘川に架かった長い鉄橋近くまで足を延ばして、鉄橋を入れた夕景写真を一枚撮りました。
合併して双海町という行政区域がなくなり伊予市になってから早いもので5年近くが経ちました。季節の移ろいは今も昔も変わらないのに、何故か見える風景は自分の心がそうするのでしょうか、一抹の寂しさを醸して見えました。合併前まで活気のあった役場庁舎も、灘町商店街も、また鉄橋の直ぐ下に住んでいた旧双海町時代の丸山町長さんも少し前事故で亡くなり、双海町という名のものが少しずつ消え失せようとしているのです。
後二日もすれば新しい年を迎えるというのに、叔父が急逝いしたという知らせを少し前聞いていたため、わが心はどこか寒々とした風が吹いているようでした。
私が愛した夕日に敬虔な祈りをささげて、ズボンのポケットで鳴る携帯電話の妻からの呼び出し音にふと我に帰り、師走の川沿いの道を夕日に押されてわが家へと急ぎました。