○町長さんと二人三脚の日々
昨日は5期20年に渡って双海町長を務められた丸山勇三さんの葬儀に参列するべく、JAルミエールという葬祭ホールに出かけました。同じ町内ゆえ受付には知人友人が沢山いましたが、米湊さんや松本さんも応援に駆け付け、さりげなく受付で働いてサポートしている姿に、頭の下がる思いがしました。
葬儀には知名度を誇った人らしく各界の人たちが顔を連ね、サイドの両側にも沢山の献花が並んでいました。既に一線を退いている私は、葬儀に出席する場合いつも心に決めているのは、公職肩書や名刺のないリタイアはリタイアらしく末席に座ることです。しかし昨日はどういう訳か後ろの席が詰まっていて、一般席の中ほどしか空いてなく、仕方なく空いている席へ座りってしまいました。人間は葬儀の席へ行くと自分の今や過去を振り返り、また列席者の顔ぶれや個人との付き合い程度を考えて、自分の席を暗黙のうちに決める習性があるのだと聞きました。人は他の人より同列以上でありたいと願ったり、自分の値打を欲しがるものなのです。議員さんなどは選挙という一票の重みを知っているだけにその気持ちは顕著で、前の席を求める必然性を持っていて、無理からぬところもあるのです。
やがてご導師さんが入場し葬儀は始まりました。澄んだ声で女性の司会の方が故人丸山勇三さんの功績などをさりげなく澄んだ声で紹介し始めました。その言葉を聞きながら遺影を見つめていると、在りし日の町長さんの姿が思い出され自然に涙が出てきました。この町長さんとは5期のうち4期16年も一緒に仕事をしてきたのです。町名変更騒動のゴタゴタもあって、責任を取る形で産業課へ異動を命ぜられて3年余りが過ぎたある日(1986年10月23日の午前中)、私は町長室へ呼ばれました。その日は秋祭りの日だったので、私は休暇を取っていましたが、22日の夕方、「明日の朝町長室へ来るように」と町長秘書から町長の伝言が届いていました。町長室へ入ると、いきなり「あんたが町長だったら何をしたいか?」と聞かれました。私は即座に「人づくり・拠点づくり、町民総参加のオンリーワンづくり」と、藪から棒の質問に熱弁で一気に答えてしまったのです。「よし分った。そのことを思う存分やってください」。「明日10時から小会議室で幹部会を開いて異動の内示をします。11月1日から企画調整室で町づくりの仕事をして下さい」と内辞の内辞を口頭で伝えられました。
産業課で沿岸漁業構造改善事業の仕事に夢中になっていたし、下灘漁協荷さばき所に続いて上灘漁村センターの工事が始まろうとしていた矢先のこともあって多少ゴタゴタもしましたが、私は町長さんに提案した3つのことを1986年以来、教育長就任で退職した2003年3月までの17年間、町長さんと二人三脚の町づくりを進めてきたのです。そんな思い出に浸っていると、いきなり司会の女性が私の名前を語るので、とっさにわれに返りました。葬儀のナレーションに名もなき私の名前を入れていただくなどまるで青天の霹靂で、穴があったら入りたいような心境になりました。読経を聞きながら、市長さんの弔辞を聞きながら、町長さんの在りし日を偲び、最後のお別れにも花を手向けて合掌しました。
つらくて悲しい葬儀が終わって自宅に帰ってから、書斎の書棚からしまい込んでいた自分の過去の卓上カレンダーを引っ張り出してめくりましたが、町長さんの顔が浮かんでは消えて涙が止まりませんでした。少し暇になったら町長さんの思い出も記録にとどめたいと思いました。
「ナレーション いきなり私の 名前出て 青天霹靂 顔を赤らめ」
「納棺の 顔を拝みて 手を合わす 手向けし花に 囲まれ町長」
「懐かしき 顔々揃う 葬儀場 ひそひそ話す 思い出話」
「何故こんな 場所で死んだか 思いつつ 通り過ぎたる バックミラーに」
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元秘書さんへ
先日元町長さんの葬儀でちらりお姿を拝見いたしました。
私もあなたと同感で、遺影を見ていると涙が出てきました。
ブログに追悼文を書かせてもらいましたが、思い出は数限りなくあり、書ききれないくらいです。丸山さんは死にましたが、これからは私の心の中にずっとずっと生き続けることでしょう。恩返しはもっと強く、もっと進化して生きることだと思います。
私も人間牧場を作ってふるさとへのお返し活動をしています。一度遊びに来てください。
寒さ厳しき折、風邪など引かぬようご自愛ください。
人間牧場主 若松進一
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若松課長さんこんにちは。
ご無沙汰してます。
課長さんによく“秘書秘書話(ひそひそ話)をしよる”と言われていた元秘書です。
私も町長さんの葬儀に行きました。課長さんのお名前が出たアナウンス私も聞きました。葬儀中泣かないように頑張ったのですが気がつくと泣いてました。
課長さんのブログを読ませていただき私は4年しか勤めていませんが在りし日の町長さんのお姿と秘書として務めさせていただいた4年間を思い出し自然と涙が出ました。あの4年間は私にとって宝物です。戻れるならばまたあの頃に戻りたいと何度思ったことか。。今だ町長さんが亡くなったことを信じられないうちのひとりです。