○タバコ(酒)をやめるくらいなら死んだ方がましだそうです
先日講義に行った大学で、昔から顔馴染みの大学の先生に出会いました。その先生は酒もタバコも大好きで、タバコはともかく酒は若いごろ二人で松山の飲み屋街を深夜まで呑み歩くなど、沢山の武勇伝が思い出されるのです。酒を飲みながらタバコを吸う姿を見て、知ったかぶりの健康知識で、「先生たばこのニコチンはアルコールに溶けて体内に入るので、酒を飲む時だけでもタバコを止めたら」と何度も進めましたが、われ関せずを貫いて今日に至っているのです。
大学の構内で見かけた先生の頭は少々薄くなって幾分老けたようにも見えましたが、相変わらず講義棟の隅に置いてある灰皿を前にして、さも美味しそうにタバコを吸っていました。「先生まだタバコを吸っているの?、もうそろそろ止めないと健康に悪いよ」と声をかけると、「タバコを止めるくらいなら死んだ方がましだ」と、少し強気の返事が返って来ました。とっさに私は「死んだ方がましなら死んだら」と、とんでもない反論の言葉を返してしまったのです。これには先生も返す言葉もなく、「そのうちな」でその場は分れ私は講義のため教室へ向かいました。
ある友人からある友人の話を聞きました。その友人は無類の酒好きで、「暇さえあれば酒を呑む」といった表現がぴったりの男です。前述の大学の先生同様私の呑み友だちでした。ところが数年前胃の不調を訴え入院してガンが見つかり、胃の全摘出手術を行いました。約一ヶ月の入院療養中何度か病院へ見舞いに出かけた折は、「もう酒はこりごりだ」と殊勝なことを言っていましたが、一年後の検査の折主治医が順調な回復だったので、「酒も百薬の長」などと、「少しくらい」の許可を得たそうです。最初はまさにたしなむほどでしたが、いつの間にか体が覚えていた酒の味を呼び覚まし、今では胃もないのに昔と変わらぬ量を呑んでいるようで、先日奥さんから私に、「酒はほどほどにするよう主人に言ってください」と頼まれました。「奥さんが言って治らないものは私が言っても治らない」と言いましたが、先日出会った折「奥さんが心配している。酒は病気もしたことだし止めたら」と言うと、「酒を止めるくらいなら死んだ方がまし」と反論し、むしろ酒を止めた私に向かって、「酒を止めて何が楽しいの?」とあざ笑われてしまいました。
大学の先生も役場の友人も偶然注意して返ってきた言葉が、「タバコ(酒)を止めるくらいなら死んだ方がいい」でした。確かに酒もタバコも止めづらいものです。「生きていて何が楽しいの?」と言われれば返す言葉は「長生きがしたいから」くらいでしょうが、「じゃあ長生きをして何なの?。もっと生きている時に楽しまなくっちゃ」という理論も成り立つ訳です。
私はタバコは飲まなかったので酒を止めるにはそれなりの勇気と覚悟が要りました。ましてや地域づくりの世界はコミュニケーションならぬノミュニケーションという言葉もあるほど酒がついて回ります。その度に呑みたい気持ちになるのも事実です。でも酒を止めて10年になりますが、止めて良かったとしみじみ思うのです。妻が私の石の強さを時々褒めてくれますが、大学の先生も、役場の友人も先日相次いで入院しましたが、退院しても相変わらずの体たらくです。私も人のことなど言えるいい人間ではありませんが、酒を止めて良かったとしみじみ思う今日この頃です。人間は命あってのものだねですから・・・・・・。
「酒(タバコ)止めろ 諭す私に 何とまあ 死んだ方まし じゃあ死ねよ」
「タバコ吸う 時間換算 して見ろよ 無駄の指摘も 煙に巻かれ」
「タバコなど 百害あって 一利なし 税金払う 言い訳しきり」
「酒止めた 止めたいうより 辞めたかな 七回止めた 友は止めただ」