○寄る年波とその生き方
昨日は大学の授業も終わり、帰りにえひめ地域研究センターに立ち寄って19日に迫ったかまどイベントの打ち合わせをしたり、ギノー味噌の社長と打ち合わせをしたり、久しぶりに伊予市商店街の谷岡さんのお店に立ち寄ったりしながら午後はのんびりと過ごしました。
途中一人暮らしの松前に住む叔母の家にも近況伺いに立ち寄りました。一昨年叔父が亡くなってから一人暮らししている叔母は在宅中でしたが、チャイムを鳴らしても玄関の戸を開けるために時間がかかるのです。一人暮らしといっても4~5軒先に息子夫婦が住んでいるのですが、ボイラー関係の自営仕事で三浦工業内に職場を持っている息子夫婦は夫婦で毎朝出かけ帰りが遅いため、叔母の隠居家に顔を見せるのは一週間に一度くらいらしく、叔母にとってはそのことが不満や不安のようでした。叔母に「叔母さん、私たちだって同じ敷地に住みながら、親父と顔を合わせるのは朝夕くらいで、先日も親父から『お前元気か?』と言われる始末で、こことおんなじだよ」と言うと、少し安心したのか納得の様子でした。
叔父が元気な間は趣味が盆栽だったため、庭や屋根のベランダには無数の盆栽が並べられ、盆栽談義に花を咲かせたものですが、今はその殆どは消えてしまい、僅かに4~5鉢名残の盆栽が置かれていました。叔父は親父と兄弟だったこともあり骨董や木の置き物が趣味で、玄関から座敷にはこれまたわが家と同じような置き物が置かれているし、親父が譲ったものもあるのですが、これも中々手入れが行き届かないようでした。
ひとしきり話をしましたが、忍び寄る老いや死に対する不安は歳をとれば誰もが持つものです。それは時として不満の言葉となって表に出てくるようですが、時々こうして訪ねて話を聞いてあげるだけで随分と心が晴れるものなのです。かくいう私も90歳を超えた親父と隠居住まいながら同居していますが、いざ自分の親父との関係となると言うは易し行うは難しといったところです。
今朝は親父の隠居に行って叔母の近況を話してやりました。親父もおじの死後の叔母のことが気になっていたようで、少し安心して聞いてくれました。
歳をとるとついつい引っ込み思案になってしまいます。「歳をとったのだから」という負い目がそうするのでしょうか、ついつい控え目になり、時には鍵をかけてひきこもりになったりします。幸いわが親父はその辺が上手いあんばいで、備えはしっかりしながら多くの人と交流を続けているようです。親父のそんな姿を見ていると、やはり何でもいいから無心に打ち込むような趣味を持つべきだと思うのです。親父は暇さえあれば自宅敷地内の家庭菜園で午前通は自然とともに三昧な農作業に精を出します。昼食午睡の後の午後は日曜大工や趣味の骨董品などをいじくりながら時を過ごします。ですから親父が何もしないでボーとして過ごしている姿は見たことがなく、四六時中手足や体を動かして、多分頭も使ってるのではないかと思われます。
いよいよ高齢者の仲間入りをしつつある私も、親父の生き方を理想としながら老いを楽しく生き生き生きる計画を立てねばなりません。「あなたは歳をとっても大丈夫」と妻から太鼓判を押されていますが、私と親父の根本的な違いは、口は相変わらずの減らず口ですが手足を動かす回数が親父より劣っているのです。まず健康な体を造らねばと、最近布団体操なるものに凝っています。さてその成果は・・・・。
「久方に 叔母を訪ねて 語り合う 老いと死不安 少し安心」
「閉め切った 部屋で一人が 独り言 死んだ叔父との 返らぬ会話」
「また来てね 見送る姿 どことなく 寂しかりけり 師走夕暮れ」
「わが親父 歳の割には 生き生きと 俺の手本だ これから先も」