○一枚の写真
年輪塾ネットに参加している西条加茂蕎麦倶楽部の高橋啓さんが、時々近況報告として送信してくれるメールを読みながら、楽しい生き方をしている人だとしみじみ思うのです。高橋さんとは何かの集会のついでにまだ一度しか出会ったことがないのですが、その折肩掛け流しの布製袋をいただいていて、とにかく遠く離れていても気になる人なのです。棚田を開墾して仲間と蕎麦を作り、その蕎麦を打ちながら豊かな自然の中で自然に暮らす姿は、私の理想とする生き方だけに、一度は蕎麦畑や高橋さんの暮らしぶりを見てみたいと思っているのです。
高橋さんが自然派だと思うのは、年輪塾ネットで流すメールにいつも身の回りの自然を写した写真が何枚かさりげなく添付されています。その写真は原風景であったり草花であったり、加茂蕎麦倶楽部の活動写真であったりするのですが、その写真を見る度にどこか昔の郷愁を覚えるのです。
写真は自分が被写体を撮ろうと思わなければ成立しないのです。つまり暮らしの中で「ああ草花が咲いている。美しい」とか、「ああ今日は石鎚山が見える。綺麗だ」、「そうだ、写真を撮ろう」と花や風景に心を動かすからなせることなのです。
先日年輪塾ネットに流された高橋さんの記事に添付されている写真の中に一枚珍しい写真を見つけました。ご存じ旧丹原町に住むちろりん農園主の西川さんが写っていたのです。私はパソコンの操作が苦手で、メールに添付して送られてくる写真を取り出して利用する方法は息子や清水さんに教えてもらっているものの、覚えることができず、いつも失敗ばかりして結局取り出せないことが多いのですが、この写真はどういう訳か一発でブログ転載ができたのですから驚きです。
ちろりん農園の西川さんとも最初何処で会ったか定かではないのですが、その後私の主宰するフロンティア塾に参加してくれたり、私を「ししょ~う」と呼んでくれたり、はたまた彼の出版した本と私の自著本に寄稿しあったり、とにかくつかず離れずのいい関係を保っているのです。
この写真には西川さんが自宅の横に設置しているゲストハウスでくつろぐ、西川さんの姿が写っていますが、その後ろに「第二縁開所」と書かれた看板が見えます。これはゲストハウスができた時に私と家内が案内されて訪問した時持参した看板なのです。看板の板も書家である叔父に頼んで書いてもらった文字も全て私のプレゼントなのです。私の家の横にある「私設公民館煙会所」が第一ならば、さしずめこのゲストハウスは第二だと思ったし、西川さんには「煙会所」より「縁開所」が似合うと思い命名したのです。
(色々と変遷がありましたが、煙会所は今も健在です)
西川さんとはもう随分出会っていませんが、私の紹介でい愛媛新聞社のシニアサイト「自悠くらぶ」に一ヵ月に二回「ちろりんだより」という記事を書いてもらっているし、手書きのちろりん便りを時々送ってもらっているので、出会わなくても近況は手にとるように分かるのです。
写真を見る限り若かった彼もいい歳になったようですが、高橋さんと同じく彼の生き方も自分らしくて、見習いたい所が沢山あるのです。
「添付した 写真の中に 懐かしき 看板発見 あの日あの頃」
「あと戻り できない歳に なったなあ 過ぎ越し日々を 懐かし思う」
「影響を 受ける人あり 幸せと 見習いたいが 自分にゃできぬ」
「わが家の ゲストハウスも 健在で 訪ね来る人 未だに多く」