shin-1さんの日記

○今日のもう一枚の一押し写真

 愛媛松山三津浜港と山口柳井港はフェリーで2時間半もかかります。いくらのんびり旅がいいといっても、往復5時間の船旅は少し退屈気味なのです。和室のような部屋もあって今朝のように、早朝の便を利用する時はゴロリと横になって仮眠をするのですが、相部屋のためそんなに深く眠るわけにもいかず、調べ物をしたり本を読んだりして過ごすのです。慣れた航路のため最近は両岸の景色を眺めることも殆どなく、部屋で過ごすのですが、フェリー客室の壁に貼ってある海図を見ながら帰りの船で、沖合に浮かぶ島の名前が目に止まりました。その島の名前は「柱島」です。戦争に携わった人はよく知られたこの島の名前を覚えているでしょうが、私たち昭和以降に生まれた、いわば戦後生まれの方には「柱島」と聞いただけでは、何のことも思い出せないはずなのです。

若松進一ブログ

 この島の沖合2キロの海上で戦争末期の昭和18年6月8日12時10分に、戦艦陸奥が謎の爆発を起こして沈没したのです。その一部は対岸の周防大島伊保田に造られた陸奥戦争記念館や、最近呉にオープンした大和ミュージアムに展示されていますが、大部分は海底深く今なお眠っているのです。戦艦陸奥は長門型2番艦として建造されましたが、大和や武蔵ができるまでは、世界で一番大きな戦艦だったそうです。

 ご多分にもれず安芸灘に浮かぶこの島も現在は228人程度と過疎化が進んでいるようです。山口県岩国市に所属するといいながら、隣はもう愛媛県伊予灘で点在する島はどれが山口県でどれが愛媛県下判読できないほっです。特に狭い航路は水道とか呼ばれる海の難所で、昨日のような大潮の時期には海がまるで川のように流れ渦を巻いているのです。

 次の周の週末私は再びこの場所を通って対岸の岩国市へ講演に出かけるのです。目と鼻の先だというのに、今は松山三津浜~岩国間にかつて走っていた高速船も利用者が少なく廃止となってしまい、広島経由で行くか柳井経由で行くか迷うところですが、山口県ということもあってやはり柳井から入ろうと思っています。

 地図や海図を見ながら一つ一つの島に思いを寄せたりするのも旅のだいご味なのでしょうが、知っているつもりと決め込んで部屋の中で過ごすことの多かった最近の防予汽船の旅を改めて考えさされた一日でした。そうこうするうち右手には私たちが無人島キャンプで何度も訪ねた由利島が、また左手には親友豊田君の生まれ育った二神島が見えました。テレビでは大相撲が放映され、横綱白鵬が大関日馬富士を破り、横綱朝青龍が琴欧州を破った姿が映っていました。

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