shin-1さんの日記

○兼業農家の長男は本当に幸せなのか?

 先日熊本大学教授徳野貞雄先生の本に書かれていることが話題になりました。「兼業農家の長男は幸せ」というのです。先祖から受け継いだ家と財産があって、お米や野菜など食べるものにも事欠かない姿は確かに幸せそうに見えるのです。しかし現実はそうでもなく、日曜百姓という重労働が重くのしかかり、不自由な暮らしを強いられているようです。

 市役所に勤めるKさんは農家の長男として生まれました。昔のことゆえ均分相続とはいいながらお父さんがなくなったとき、農地のほとんどを兄弟が相続放棄して長男に譲ったのです。以来Kさんはミカン畑と田んぼの世話がついて回り、週休二日となった最近では年老いたお母さんと奥さんのやっている農業を手伝う形で、殆ど休みのない暮らしをしているのです。

 4月下旬から5月初旬までは田起こし、草刈り、水引き、田植えなど年休をためてこの時期に集中してお休みをいただきながら、先日無事一連の田植えを終えたようです。私と出会ったのは月曜日でした。どこか疲れているような気の抜けた感じがしましたが、聞けば田植えの重労働で体の節々が痛くて、「今日は仕事にならない」とこぼしていました。

 田植えの終わった日本の農村はカエルの鳴き声が聞こえて長閑に見えますが、こうした目に見えない部分の苦労を隠して保たれているのです。Kさんがいうのには、3反の田んぼを守るのに田植機や稲刈り機などの機械を購入したり、圃場整備でこの20年間相当のお金をつぎ込んできたそうです。お米が60キロ1万2千円として24俵、28万8千円の素収入から苗代、農薬代、肥料代、機械代などを差し引けば完全に赤字だそうです。相続放棄してくれた兄弟姉妹にお米も送らなければならないし、「まあ自分が作ったお米が食べれるくらいなものでしょう」と力なく笑っていました。

 農家の朝は早いです。今は5時過ぎに明るくなるので、お母さんは6時になると畑へ出るそうです。Kさん夫婦は勤めていることや子どもの世話もあって6時半が起床だそうで、Kさん夫婦とお母さんの時間差が嫁と姑の人間関係にも響いて、中に入った長男の舵の取り方も大変な気配りを強いられているとこぼしていました。

 田んぼは自分が嫌だったら止めればいいという単純なものではありません。集落内の隣近所が群れなければ成立しないのです。いいかえれば止めたくても止めれないのです。年老いた人が増えて耕作放棄地が目立つようになってきましたが、水の管理や害虫駆除、役割分担など、遺された人への荷重は年々増えているのです。

 土日に農作業をして月曜日には出勤するも骨休めといった人を田舎が故に沢山見てきました。その都度色々な厳しい言葉を浴びせられて農家の長男は肩身の狭い思いをしているのですが、Kさんの話を聞いてすっかり同情してしまいました。

 私の家は半農半漁といいながら漁家だったためそんなに重労働を伴うほどではありませんでしたが、それでも最盛期にはみかんをかなり作っていて、同じような心労があったことを記憶しているのです。

 「兼業農家の長男は幸せ」という言葉は、こと双海町のような田舎には当てはまらず、むしろ「兼業農家の長男は不幸」と言わざるを得ないのです。


  「兼業の 農家跡取り 幸せと 先生言うが そんなことない」

  「財産を 貰ったものの 不自由な 暮らし毎日 ついて回って」

  「日本の 農業暗い 一面を 持って守られ 故に悲しき」

  「カエル鳴き 長閑農村 見えるけど 溜まった水は 汗と涙か」 

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“shin-1さんの日記” への1件の返信

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    徳野先生の著書「農村の幸せ・都会の幸せ」を
    読むように、徳本さんに渡されましたが、まだ読み切っていません・・・・
    「セガレよ、 そろそろ帰ってこないか」
    言えない私達です(笑)

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