○恩人の消息が気になりつつ
今治市大西町といえば岡島明夫さんを思い出します。私にとって岡島さんは恩人中の恩人なのです。ゆえに今治市へ行く途中時々顔を思い出して自宅を訪ねたりしていましたが、一昨日は大西町老人クラブの総会に招かれたので、少し早めに出て立ち寄ってみました。何度も訪ねている家なので一発で家は分かったのですが、訪ねてみると家は全て固く戸を閉ざしてカーテンが閉められ、人の気配は全くないのです。何年か前県公連で卒寿のお祝いを鈍川温泉でして以来会っていないので、90歳を超えて時々入院という風の噂をきいていたこともあって、そのことを頭でよぎらせながら出会うこともなくお暇しました。
岡島さんが県公連の会長をしていた折、私はまだ駆け出しの公民館主事でした。私が県公連の主事部会長となって県内で活躍するようになってからは、県公連の運営にお互い心血を注いだものです。特に静岡県公連との刎頸の契りは思い出に残る交流でした。その頃私が全国大会の司会を6年連続でできたのは岡島さんの推薦に他ならなかったのです。
当時の市町村の社会教育、とりわけ公民館は金なく物なく人もないと揶揄されるほど劣悪な教育環境でした。公民館主事が県外へ出張できるような余裕は殆どなかったのです。それでも全国の指導者の教えを請いたいという思いはいつも持っていて、司会術や活動成果を上げて全国大会の司会に推薦される機会などを伺っていました。好運にも岡島さんの推薦で公民館主事という肩書のない平の職員では全国で初めてその司会に大抜擢されて、司会の好運をつかんだのです。冬至双海町の教育長は中田豊さんで、岡島さんの申し出を快く引き受け冬至の仲野町長さんに掛け合って全国大会の武者修行に旅立つことができたのです。
その司会ぶりは今でも語り草となるような秘策を連発して話題となり、以後6年間も連続して全公連からお声がかかる好運で、あっという間に全国の公民館関係者と深い深いネットワークを作ることができ、今もその交流は続いているのです。もし岡島さんに出会っていなかったら、もし司会役に推薦していただいてひのき舞台に立っていなかったら、今の私はなかったと恩人たる岡島さんに敬意を表しているのです。
約束の時間にはまだ少し早いと思いつつ好奇心が頭を持ち上げ、国道196号線を通るたびに気になっていた古墳公園へ立ち寄りました。池の土手には綺麗に緑を刈りこんだFUJIYAMAという絵文字がありました。公園内は綺麗に整備され駐車場の上には妙見山古墳が展示されていました。
藤山資料館も池周辺の整備も、そして緑の芝生公園も綺麗に整備され驚きの連続でした。一度訪ねたいと思っていただけにこの日はラッキーでした。
耐震工事を行っている今治市役所大西支所はドリルの音も賑やかで駐車場も満杯で仕方なく道路わきに駐車して中へはいりました。年輪塾の仲間である大河内さんが孫を連れて面会に来てくれていました。大河内さんは朝フルの会を結成したり生活改善グループで様々な活動をしている活発で知的な方です。この日は手作りのお味噌までお土産にいただき恐縮してしまいました。
私の友人である佐賀山誠さんのお母さんも控室へ顔をのぞかせて面談し、賑やかで楽しい「ニコ・ピン・コロの人生」と題した1時間余りの講演会は無事終わりました。
「大恩を 忘れることなく 訪ねたが ひっそりカーテン 心痛めて」
「FUJIYAMAと 緑で書いた 絵文字見つ 公園足早 カメラスケッチ」
「孫連れて 会いに来てくれ 味噌までも 手土産持参 恐縮千万」
「講演は ニコピンコロの 人生を 楽しく生きよう 訴えました」