○不思議な形の壷
先日骨董を営む友人の家を訪ねました。四国遍路88か所の一つに数えられるお寺の門前にあるその店は、おおよそ骨董屋と呼ばれるような店構えをしていなくて、まさに古道具置き場といったほうがぴったりなのです。店主夫婦と出会ったのはもう20数年も前で、その頃は木の木製おもちゃを作ってはどこかのイベントに出展していましたが、下灘のみなと祭りに参加させてほしいと要請があり、「夏祭りのことであり売れるかどうか分かりませんが」と断って参加してもらいました。結果的にはまあまあ売れて、まあまあの収益をあげていたようでしたが、その後お互いがすっかりご無沙汰となったのです。
ところがある中学校のPTA講演会に招かれて行ったところ、参加者の中にその奥さんを発見しました。奥さんは私が来ることを知っていたらしく、何が何でもとさんかをしてくれたようで、講演の終了後校長室で懐かしい再会となったのです。奥さんの話に乗ってすぐ近くだから立ち寄って主人にも会って欲しいと懇願され、帰る途中にその店に立ち寄りました。家は学校のすぐ傍だし、札所の門前にあるためよく通る道筋なのですぐに分かりましたが、個性的な家を作られ、外も家の中も骨董コレクションがまあまあの数置かれていました。骨董には目のない私ですから、そこら辺の中から安そうなものをみつくろって2~3点あいさつ代わりに買い求めてその場を去りました。
それ以来、近くの生涯学習センターや青年の家に講演に行く度に立ち寄るのですが、彼ら夫婦は出張販売が多いのか、3回に一度くらいしか在宅がなく立ち寄ることもできず帰ったのです。そんなことを繰り返しているうち、この骨董屋は古道具置き場のようになって、座ってゆっくり目利きするような雰囲気ではなくなってしまったのです。骨董屋には売れそうなものだけを整然と並べて商売する店もあれば、古道具屋のように雑然と埃をかぶっている店もあります。田舎の骨董屋は後者が多いのですが、私はどちらかというと校舎の店が好きなのです。好きというよりは掘り出し物が多いし、値段的に手入れをしていないので安く買えるのです。
先日もその骨董屋を訪ねましたがあいにく留守でした。家の玄関に連絡先の携帯電話番号が書かれていたので電話をしてみると、外出先から帰る途中なので待っていて欲しいと言われ、私は20分間ほど近くの札所にお参りに行きました。やがて二人は帰っててきましたが、まあ家の中へ入ると凄い量の骨董で埋まっていました。夫婦がその商品を少しだけ片付け座布団に座って出されたお茶を飲みながら近況を話し合いました。聞けば京都や九州へも足を運んで骨董市に参加しているようで、その出展のための準備をしているとのことでした。私も来たついでにと珍しい欅造りの火鉢を買いました。
帰り際店の入口に置いてある壷が目に入りました。大谷焼の大きな壷です。長年欲しいと思っていたものなので値段を聞くとまあまあの最低価格を提示されたので、車が乗用車のため即売約済みにして帰ったのです。気になっていて、青年の船の班長会に使ったフィルムをライブラリーに返すついでにトラックで行き、割れないよう荷台にくくりつけ持ち帰りました。置き場を考えずにトラックから降ろし玄関先に置いておきましたが、そのうち親父が置き場を確保してくれたので、昨日転がしたり歩かせたりしながらその場所へ運び何とか一件落着です。
気に入ったいい壷が手に入り嬉しさいっぱいです。さてこの壷はだれがどんな目的で造り何処で何に使ったのでしょう。考えただけでも道具考はミステリーじみています。楽しいものです。
「気にいった 大谷焼の 壷購入 庭の隅っこ 置かれ存在」
「お父さん わが家骨董 店のよう 妻の言葉が 当たっているよう」
「また買った 言われる度に 嘘をつく 貰ったものと 弁解するも」
「壷を拭き 化粧施し 眺めると 古き道具が 来歴語る」