shin-1さんの日記

○国から出向した素敵な人と出会って

 色々な集会やイベントを計画実行した後は、反省会や慰労会というのがつきものです。私たちが若い頃は集会やイベントの企画段階から反省会や慰労会が組み込まれて、その費用の中で実施されていました。しかし最近は特に食糧費と称する飲み食いのお金に批判が集中するため、飲み食いのお金は会費だと誰にも文句を言われないので、会費制の反省会や慰労会がこじんまりと行われているのです。しかしそんな割勘の反省会や慰労会に金まで出して出席するのは嫌だと何だかんだと理由をつけ参加しない人もいて、その温度差を感じています。私の場合も7~8年前から酒を絶っているため、誘いにくいのでしょうか、誘う方が申し訳ないような小声で「酒も飲まないのに会費なんですが」と誘いをかけてくれるのです。私は元々お酒の場が大好きなので誘われれば余程のことがない限り参加するようにしているのです。


 

 一昨日、先日行われた地域づくり全国大会の事務方を務めた方々からお誘いを受けて松山の小料理屋へ出かけました。昔だったら妻の送迎が必要でしたが、酒を飲まなくなった今ではその心配もなく、車で堂々と出かけられるのです。この日はえひめ地域政策研究センターの面々に、県庁の担当課である市町振興課の人たちを加え楽しい食談会となりました。センターの方々とは年中こんな会をしていますが、県庁の人とは久々なので積もる話を随分しました。特に北村課長さんは国から出向して愛媛県庁に来ている人なので、視野も広くこの一年何かにつけてお話しする機会があるのですが、横に座って飲みながら話をすることなど滅多にないので、どうしたら愛媛県が元気になるか議論をさせてもらいました。

 国・県・市町村とそれぞれ格式の違いがあった昔はこんな横並びの酒席など考えられなかったのに、今は有難いことにこうして胸襟を開いてお話ができるのです。愛媛に来られて3年目だそうですがこれまで国から色々な方々が出向して来られましたが、この課長さんくらい馴染みのある、それでいて心のこもったお付き合いができる人も珍しく、先日も実行委員長を務めた私に心温まる労いの手紙をいただき、恐縮してしまいました。

 課長さんと私の付き合いは昨年8月10日(金)に、栗田所長さんと人間牧場を訪問され全国大会の委員長を要請されたころに遡ります。勿論委員長は実行委員会の互選なので事務局案的な提案でしたが、課長さんはその時の私の話を、私などとっくに忘れていたのによく覚えていてさすがの感じを持ちました。以後実行委員会の副委員長をしてもらったこともあって、実行委員会のその度に宇和島や大洲などへ進んで足を運ばれました。

 先日上京して共催した地域活性化センターへお礼にも行かれ石田理事長さんとも面談していただきお礼の言葉もないのです。

 国から来られる人は比較的若い人が多く、組織の中では難しい面もあるのでしょうが、この課長さんの偉ぶらない立ち居振る舞いの姿はとても好感が持てるのです。国から県への出向の目安は3年ぐらいだと思うと、もうそろそろと思いつつも、県政の抱える限界集落や合併の仕事をもう少しの間お骨折り願えないものかと、欲張った考えも持っています。いい課長さんに巡り合っていい一年でした。

  「お国より 出向課長 気さくにて 何でも話し 夢を共有」

  「そういえば 一年前の 夏だった 人間牧場 草分け訪ね」

  「リタイアの 俺など傍に 寄れぬのに 同席貰い 楽しく話す」

  「色々と 問題あるが 愛媛県 人情良いと 褒めて酒飲む」

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shin-1さんの日記

○受け取り手のいない荷物

 昨日外出先から帰って着替えをしていると、玄関のチャイムが鳴りました。「ちょっと待って下さい」と大きな声を出して急いで着替えました。玄関先に出てみると郵便局の職員さんでした。最近は郵便局も民営化したためか、見慣れない顔の人が多くて、その人もこれまで一度もあったことのない顔でした。その職員さんは玄関を開けるなり、「荷物が帰ってきていますので受け取ってください」というのです。「えっ」と思いつつその荷物を見ると確かに妻の字で書かれたわが家発送の荷物なのです。今治に住む息子へみかんを送ったことは妻から聞いていたし、その荷物が届いても息子から連絡がないとこぼしていたのを知っていたのですが、まさかその荷物が相手である息子の元へ届かずに迷走し、わが家へ帰ってくるとは何ともはや奇妙な話です。

 私は納得いかないので、郵便局の職員さんに文句を言いました。するとその人は「何度か届けに行ったようでしたがお留守のようで、受け取られませんでした。お家の方にも連絡して欲しいとメモを入れたのですが連絡も取れなくて」と弁解されました。「それだったら送り主の住所を書いているのですから私の家へでも連絡をくれたらよかったのに」と反論しましたが、堂々めぐりになるし、この人には責任もないだろうと思いあきらめました。

 一週間迷走した荷物は中身の腐敗が進んでいるのでしょう、箱の下から汁が出ていました。私は早速息子の所へ電話を入れましたが、仕事中でつながらず、夜になって息子から電話が入りました。私は「折角みかんを送ってやったのになぜ受け取らぬ」と叱りました。息子の言うのには「このところ仕事が遅くなり、家に帰ってから郵便局へも何度か電話をかけたものの、本日の営業は終わりましたので明日にしてください」との回答ばかりで、結局受け取りタイミングを失ってしまった」とのことでした。荷物の迷走は荷主、荷受人、宅配人、それぞれが努力したのでしょうが、受け取らなかった原因もそれぞれにあるようで、一階に責める訳にもいきません。しかし私も息子も気をつけなければならないことは重々分かりますが、生モノと分かっている郵便局の対応も考えてもらわなければなりません。


 私はクレーマーではありませんが、早速顔見知りの郵便局長に電話を入れました。残念ながら局長は留守で協調代理が出ましたが、平謝りされる電話の向こうに対して少し冷静になってお話をしたのです。私は毎年100個に近い荷物を主に郵便局の窓口から送っています。それは郵便局長との長い付き合いや、郵政懇話会などに招かれたり、郵政研修所で講義をしたりして深いご縁をいただいていることへの感謝の意味を込めてのご愛顧なのです。郵政が民営化され間もないのですが、これが民間の宅配業者だったらどうなっていただろうと、まだまだ甘い郵政の対応に少し眉をひそめました。

 かくして迷走した荷物は私の手によって開けられ、腐敗の進んだみかんとまだ食べられるみかんとに仕分けし処分しました。この荷物が息子に届いていたと仮定すると今頃は、息子の胃袋に納まっていただろうにと思うと、やるせない気持ちになりました。年末年始で忙しくなるこれから、私も息子も、郵便局もみんなでトラブルのない明るい正月を迎えたいものです。後二日で師走ですから・・・・。

  「一週間 迷走続けた 荷が帰る 箱の底から 涙こぼして」

  「信用を していたはずの 郵便が こんな姿で 帰る寂しさ」

  「文句言う 私はやはり クレーマー? 煙たがられて それで終わりか」

  「受け取らぬ 息子も悪い お叱りの 電話しつつも どこか心に」

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