shin-1さんの日記

○人が集まることの意味

 強風波浪注意報が出て、昨晩から吹き始めた北西の季節風が今日は一段と冷たく吹きつけ、海沿いに面したわが町もいよいよ冬の深い眠りにつくように、港には出漁できない漁船が固く舫い綱で繋がれているようです。こんな日は道行く人の姿もまばらで、たまに出会う人も首をすぼめて歩いていて、その姿を見るとどこか侘しい田舎の風情を感じるのです。

 こんな寒い日に集会をすると、主催者が口火を切る開会の挨拶は「今日は寒いので人の集まりが少ないようです」と、まず集まらない理由を天気のせいにしてしまうのはよくある話です。そんな所に限って晴れた穏やかな日に行って挨拶を聞いても多分「今日は天気が良過ぎて人が集まりません」と、これまた天気のせいにしてしまうのです。集まらない利用うを天気のせいにしている話を聞く度に「おいおい、じゃあいつ集まるのか」と言ってやりたい気持ちになるのです。

 今日は伊予市商店街にある「いっぷく亭」という空き店舗を利用した立ち寄り所に招かれて行きました。前回のお話し会が10月24日でしたから、27日ぶりの同じ顔ぶれに対するお話です。普通であれば前述のようにこんな寒い日は人が集まらないのが普通ですが、何と何と蓋を開けてみると前回の倍程度の人が集まって、外の寒さをよそに熱気が感じられました。それは多分前の私の話が良かったのか、それとも主催者が努力して動員をかけたのか、参加した人が約束通り一人が一人連れてきたのか、はたまた今日はたまたま暇だったのか分かりませんが、まあ全てが上手くいって人が集まったと理解しつつワクワクするような気持で四方山話をさせてもらいました。私の場合はインスピレーション、つまりその場で感じたことを話すので、前回とダブっていることを話したかも知れませんが、まあ人間は忘れることが上手いので、前回のことなど覚えている人も少ないので、一気に感じるまま話をさせてもらいました。

 人が集まるのには①楽しみづくり、②しくみづくり、③値打ちづくりが必要です。この日は寒いので「いっぷく亭」の名前にふさわしく、温かい抹茶がふるまわれました。私の話にうなずいたりメモをとったりしながら返ってくるみなさんの笑顔も素敵でした。



 さて3回目の次回は12月9日に集まることが決定しました。鬼の顔も二度三度といわれるように、私の話ももう秋ならぬ冬が来るかも知れませんが、それでも次回は最終回なのでひとつ心に残る面白い話をしたいものだと考えていますが、そんな話が果たしてできるでしょうか。帰り際、あなたのブログにリンクさせて欲しいという参加者もいて、嬉しい人間のネットワークができつつあるようです。

 先日第一回目の集会が終わって、私は参加者に名刺を配りました。すると3通もお便りが届いたのです。忙しくて少し返事が遅れましたが、それでも私はお礼のハガキを出しました。はてさて今回は来るか来ないか分かりませんが、同じ市民として同じ市内に住んでいる人たちとこうして交流できることは、合併の大きなメリットなのです。「合併はつまらなかった」という声をよく聞き、役所などを批判しますが、それは何もせず、してもらうことだけを待っている人の話かも知れないと思いました。

 市民どうしが交流してこの町をどうすればよくして行けるか、知恵を出し合ってこそこの町の未来はあるのです。これからもいい町を作って行きましょう。お寒い中今日集まった皆さんに感謝します。またお会いしましょう。


  「寒くても いっぷく亭に 集まれば 心ほのぼの 笑顔あふれる」

  「化粧品 つけても綺麗 なるものか 笑うとタダで お顔ピチピチ」

  「お菓子食べ 抹茶いただき 一服す 心落ち着き 幸せ感じ」

  「倍の人 集い嬉しや 俺のため 思えば馬力 以前に増して」 


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shin-1さんの日記

○リズムが合わない妻と私

 長年夫婦をやっていると、どちらかの色に染まるものだといわれていますが、どういう訳か私と妻の暮らしのリズムはまるで合わないようで、そのことに最近気がつきました。特に私は早起きタイプなのに妻はいつまででも布団を温めるタイプなのです。今朝も私はいつものように午前四時に起床して、妻と同じ布団に寝ている布団をそっと抜け出して起床しました。強風注意報が出て今年一番の冷え込みになったものの、着替えをして書斎に入りましたが、ストーブを付けるほどの寒さではないようでした。パソコンに向かってブログを書いていたら、早朝散歩から帰った親父が窓の外から、「今日は不燃物回収の日なので」と窓の外から伝えに来てくれました。急いで外に出て親父と一緒に不燃物の整理をしてトラックに積み込み、役場裏まで持って行きました。不燃物置き場には区長さんと副区長さん3人が寒そうにしながら、次々運び込まれる不燃物に監視の目を光らせていました。このところ不燃物の搬出マナーの悪い人がいて困っているとのことでした。私が区長をしていた頃もまったく同じで、町内有線放送で周知しても中々守れなかったし、月に一度の回収日には監視と搬出後の清掃をに汗を流したものでした。誰が区長や役員になってもゴミの問題は厄介なものだとしみじみ思いました。

 家に帰り手を洗っていると、6時半になるのに妻はまだ布団の中です。先ほど声がしていたのにまだ布団を温めているのです。私の呼びかけでやわら起き上がりましたが、妻も仕事や家事で疲れているのでしょうが、既に私とは朝だけで2時間半もの差ができている計算になるのです。つまり私が毎日書いている2本のブログのうち朝のうちに書く1本は全て妻の寝ている時間に書いた計算になるのです。私は朝のブログ1本に約1時間をかけますが年間早朝365時間もの時間的成果は妻の夢の中なのです。

 私は外出先から帰るが遅く、時には11時近くになります。基本的に外食が嫌いなタイプなので食事は家に帰ってするようにしていますが、今でこそ4人の子どもも家を出て独立しているため、妻の苦労はそれほどでもなくなりましたが、それでも親父の夕食を隠居へ午後6時までに運び、それから一人で食事をし、私が帰ると私の食事の準備や後片付けが待っているのです。

 私は食事が終われば書斎に入って仕事を片付け、一緒に風呂に入った後、11時ころから1本のブログを約1時間かけて書きあげます。その間妻はテレビを見て床に就くのですが、ここでも妻は心地よい布団の中なのです。

 妻の血液型はO型、私はB型、子供4人は全員B型です。OとBとでは性格も違うのでしょうが、それでも性格やリズムの違いを克服して40年近くも一緒に暮らしていると、違いを認め合って生きていることに気づくのです。多分後20数年間生きる予定の私たち夫婦は、こうしてお互いそれぞれの生き方で生きて行くのでしょうが、この年齢になるとむしろその方がいいと思うようになりました。

 夫婦はもともと他人です。しかし何かの縁でひとつ屋根の下で暮らすようになると、それぞれの違いに気づき、その違いを同化することが夫婦だと思うようになって色々努力してみましたが、結果的には上手くゆきませんでした。最近性格の不一致という理由で離婚する人たちが沢山いるようですが、もし性格の不一致を原因にするなら私たちはとっくに離婚しているはずなのです。でも賢明な私たち夫婦は性格の不一致をむしろ当たり前のことと気づいて認めいあいながら生きた結果、人もうらやむほどではないにしてもそれなりに幸せに生きているのです。私たちは見合い結婚で二人とも持ち点ゼロから出発し、持ち点100を目指して加点しながら生きています。恋愛だったら持ち点100から減点しながら生きていたかも知れないと思うと、見合い結婚もまんざらではないようです。残り少ない人生を未だにリズムの合わない妻と仲良く生きてゆきたいと思っています。

  

  「早起きる? 言う妻布団に まだ寝てる リズム違うが 別れもせずに」

  「夫婦とは 互いに加点 するものぞ 減点すれば 届捺印」

  「お父さん 足腰揉んで すり寄るが 興奮もせず やはり歳だな」

  「寒くなり 互い体温 湯たんぽに 安眠楽し 今宵幸せ」  

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