shin-1さんの日記

○前夜祭と全体会を振り返る

 この4日ほど朝早くから夜遅くまで家を留守にしていたものですから、新聞を見る間もありませんでした。昨日行きずりのような形で従兄に会ったら、「全国大会で大変だったようだな。新聞に載っていた」というのです。私が家を留守にしている間妻は新聞をちゃんとまとめて取っておいてくれるのです。今朝土曜日の新聞を見たら、愛媛新聞の三面に「地域力向上へ議論」「全国自治体・団体関係者」「南予軸に13市町で研修会」という見出しの記事が載っていました。その中で-前略-「14日は宇和島市中央2丁目の南予文化会館で全体会が開かれ、青森から沖縄まで37都道府県の約190の自治体や団体関係者ら320人が参加、元双海町教育長の若松進一さん、今治市在住のフリーライター土井中照さんらがコメンターを務めるトークセッションがあり、会場とやり取りしながら課題や地域づくりの在り方を考えた。若松さんは「これからの地域づくりは人やモノなどを含めた『地域力』を高めることが必要と訴えた」-後略-と書いてありました。

 今回の全国大会は愛媛県の南予振興策の一つとして取り上げられたため、加戸愛媛県知事さんも出席していただくなど、物心両面のご支援をいただきました。知事さんはあいさつの中で私のことにも触れられ、「私は若松さんのお誘いでたった5分の挨拶のために2時間かけてやって来ました。若松さんは何もない双海町でどこにでもある夕日を地域資源にして地域づくりを行った」と持ち上げていただき、穴があった入りたいような心境でした。挨拶の中で自分の立っている場所の足元を掘れば泉は必ず出る」ともいわれ、地域づくりの必要性を話されました。第一線から退いた私のような一介の老兵を持ち上げていただく知事さんのセンスにただただ脱帽するばかりです。これらの話は行く先々の分科会や遠くからやって来た参加者の間でもかなり話題になったようです。


 開会式の後は、大洲市長浜町豊茂の郷土芸能である豊年踊りがユーモラスに披露され、会場の雰囲気がとても和みましたました。フリーアナウンサーの宇都宮民さんと土井中照さんを相手に私が進行役を務めてトークセッションを行いましたが、台本や筋書きのないアドリブな話で心配していましたが、心配をよそにいい雰囲気の、それでいて予想以上の盛り上がりが壇上まで伝わってきました。

 開会式に先立って前日の夜リジェール宇和島で前夜祭が行われました。

 開会式に先立ってリジェール宇和島で行われた前夜祭は200人ほどの参加で大いに盛り上がりました。最初にわつぃが実行委員長の私があいさつし、石橋宇和島市長さんが乾杯の音頭をとってスタート、郷土料理も、鬼城太鼓、愛治ちんどんなどの催しも、お酒の量も、そして交流会も満足のいく成果を収めました。

(豪快な舟盛り活け造り)
(ド迫力の太鼓集団鬼城太鼓の演奏9
(ユーモラスな愛治ちんどん)
(次回開催県佐賀のPR風景)

 一年かけて準備をしてきた全国大会も終わりました。いい研修会だったと自画自賛し、自己満足しながら写真やメールやブログで振り返っていますが、これから報告書の作成や実行委員会の解散まで残務処理をこなして行きたいものです。


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shin-1さんの日記

○メールやブログが続々

 全国大会が終わりホッと一息ついたところですが、昨日夜遅く外出先の島根県益田市道川から帰ってパソコンを開けると、凄い数のメールが届いていて、ブログを書くどころではなく返信するのに四苦八苦しました。一つ一つのメールに返信をするのですが、残念ながら全ての人の顔を思い出すことができず、この3日間で300枚近くの名刺を配った人から貰った名刺を繰りながら、思い出そうと努力しているところです。

 今回の大会事務局から「若松さんは全国行脚するのだから名刺の裏に全国大会のPRを刷り込むので使って欲しい」と依頼があり、作ってもらいましたが、私の行動範囲は全国に及び作ってもらった1000枚の名刺はあっという間になくなりそうになりました。これはやばいと思って最後の300枚を大会当日用に残して置いたのですが、おかげ様で1000枚全て完売となりました。

 私の名刺がいかほどの効果を上げたかは定かではありませんが、「若松さんに会いたいのでやって来ました」と、涙の出るような言葉を言ってくれた人も沢山いて、それなりの効果があったものと自画自賛しているのですが、その方々からのメールを見るたびに人のつながりのありがたさを思うのです。

 そんな中に宮崎県南郷町の野川喜美子さんがいました。野川さんは福祉作業所ひなたぼっこの代表を務めていますが、もう昔のことなのではっきりと記憶していないものの南郷町に講演で招かれた折に出会い、南郷町の人たちが双海町へ視察に来た折出会ったような気がするのです。ですから彼女の顔は今回で都合3回目ということなのですが、私が不特定多数の人と会うために深く話し込んだことなど一度もないのです。でも今回の大勢の参加者の中で顔だけはお互いしっかりと覚えていたのですからまちづくりは大したものです。

 野川さんは自分の持つ「ひなたぼっこのブログ」(http://ameblo.jp/15yaotuki3/)に、今回の様子を写真を交えてかなり詳細に報告してくれています。私は今回の大会の実行委員長をしていて県内各地を飛び回り残念ながら自分の町の分科会は恋人岬での落伍ライブと研修会、それに夜なべ談義の途中までしかいませんでしたが、彼女が参加してくれたわが町の分科会の様子も手に取るようにまとめてくれているのです。

 彼女の顔を思い出しながら、人間は100回会っても覚えていないような人もいますが、たった3回の出会いながら覚えている人もいるのですから不思議な話です。

 野川さん以外にも講演先で出会った私との細い糸を頼りに愛媛までやって来てくれた人は沢山いました。全ての人を紹介することはできませんが、私にとってはこれまでの20年間の地域づくり活動で培った人脈とでも言うべき人たちこそ大切な財産だと思うのです。

 これから自分の行動の範囲も加齢とともに狭くなり、出会う人も少なくなって行くものと思われますが、人を大切にする地域づくりの理念だけは忘れないようにしたいものだと思いました。大会が終わったのが週末だったため、また大会後の週末を移動日にしていたため、行政がらみの人とは週の明けた今日頃からメールのやり取りが動くものと思われますが、それぞれの地域に帰られた皆さんのご活躍を祈りながら、ブログ画面をお借りしてお礼のご挨拶にさせていただきます。お世話になりました。また会いましょう。シーユーアゲイン。


  「世の中は 便利になった ものですね 居ながら見える 自分の写真」

  「汗だくの ようですメール 返信も 反響大きく 嬉し恥ずかし」

  「忘れ得ぬ 思い出持って 全国へ 散らばり帰る どうかご無事で」

  「もう二度と 逢えない人も いるのだと 思えば出会い どこかしんみり」


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