shin-1さんの日記

○白滝の紅葉を訪ねる

 地域教育実践交流集会が終わり、午後1時ころ国立大洲青少年交流の家を解散お暇したので、連れの松本宏さんの車に便乗して帰りました。昨日行く時は長浜町今坊にある慈光寺という久保さんが住職のお寺さんに立ち寄りました。ここはハゼとイチョウの紅葉が見事なはずだから、少し早く出て寄り道しようということになったのです。昨年のこのころ、三崎町へ行く折訪れた時の印象が余りにも目に焼き付いていたためです。しかし今年は季節が少し遅れているようで、残念ながらイチョウもハゼもまだ紅葉には少し早かったようでした。それでもお寺の庭からは青島が一望でき秋の眺望を満喫することが出来たのです。また沿線には野菊やツワブキの可憐な花が今を盛りと咲いていて、目を楽しませてくれました。

 そんなこともあって、昨日行く時に帰りには瑠璃姫祭をしている白滝に立ち寄ろうと話していたのです。昨日は白滝の入口にある玉井石材にも立ち寄り、上島町に移住してこの度「島カフェ」や「会社を立ち上げる、年輪塾塾生である兼頭さんに何か祝いの品をと考え玉井石材で、フクロウの置物を3個買い求めました。フクロウをおふくろ「恩への感謝)、月給袋(経済的繁栄)、胃袋(健康)に見立てた物語を即興で考え付いたのです。都合よく玉井石材の社長もいて送ってくれることになったのです。

 白滝にさしかかったので石材店前の肱川堤に車を止め、玉井さんとあいさつを交わして川沿いの道をゆったりとした歩調で登って行きました。この日は3連休とあって、かなりの人が上り下りをしていました。中には顔見知りもいて暑くもなく寒くもない午後のひと時を松本さんと二人登りましたが、松本さんは100キロ超級なのでかなりきついようで、60歳を超えた私の方がペースが速いようにも見えました。松本さんは一昨日、高知県馬路村魚梁瀬の千本山へ登山したばかりなので、それが響いているのではないかと思われましたが、逆に私は自分の体調に自信が持てるほど快調な歩きっぷりでした。滝の頂上付近から見える白滝の家並みもどこか懐かしさが感じられました。

 最近の雨のせいでしょうか、滝の水は予想以上に流れていて、幾筋も滝の流れが見え、紅葉した紅葉と見事にマッチしていました。昔は臨時列車も止まるほど近郷に名の知れた名所でしたが、今は滝祭りや瑠璃姫祭りしか人手がないと地元の人もこぼしていますが、今日ばかりは地元の人が車の交通整理に出て駐車場に誘導するほどの人出だったようです。

 何日か前、信州木曽福島で日本一の紅葉の姿を見ているため、左程の驚きではありませんでしたが、それでも滝と紅葉のコラボレーションは実に見事で、いい目の正月をさせてもらいました。水車小屋では鉄製の水車が勢いよく回り水車小屋の中ではうどんやソバが作られていましたが、自然エネルギーを使った水車の音がどこか懐かしい田舎の郷愁を醸していました。

  「滝麓 何処か懐かし 水車小屋 暗き明かりで ソバうつ親子」

  「よく見れば 中国人の 声がする 国際的に なった白滝?」

  「風流を 楽しむ余裕 ないけれど せめて身近な 紅葉で一句」

  「元気かい すれ違いざま 声をかけ 通り過ぎたる はてさて誰か?」

 

 

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shin-1さんの日記

○地域教育実践交流集会

 昨日と今日の二日間、大洲青少年交流の家で地域教育実践交流集会が行われ参加しました。この交流会は讃岐先生の呼びかけで、村上伸二さん、塩崎千枝子さん、白方雅博さん、それに私がお世話人になって実行委員会を組織して半年をかけて準備を進めてきた集会です。これまでにも青少年をめぐる集会は沢山行われてきましたが、その殆どは行政がらみの集会で民間の有志が集まってこの手の集会を開くのは珍しいことなのです。

 170人を超える人が申し込み、昨日の午後は沢山の分科会が持たれました。参加した人たちはそれぞれ所属する団体のフェイスシートを提出し、分科会に臨みましたが、私の所属する21世紀えひめニューフロンティアグループからも、大野事務局長が参加し事例発表を行いました。準備の都合で分科会には参加できませんでしたが、事例発表に基づいて活発な議論が行われたようです。


 

 この日は私と桑原小学校の校長である堺雅子先生とお二人で卓話をすることになっていたのです。そのシナリオによると、ステージにしつらえた畳敷きにやぐらコタツをを置き、作務衣を着た二人が対談をするようなのです。既に白方さんが東南アジアのHIV関係者が作り国内で販売している作務衣を二人分用意してくれていて、私たち二人は似て似つかぬ服装で登場することになったのです。分科会が終わり参加者は全員大ホールに集まりました。私と境先生は殆ど打ち合わせもなくアドリブで話し始めました。主に①自己紹介、②これまでどんなことをしてきたか、③この頃感じること、④これから何をなすべきか、⑤まとめというストーリーで話し始めました。堺先生とは旧知の間柄なのでまあ息もぴったりで話し込みました。

 私は青年団活動8年で得た仲間、ふるさと、主張、感動する心という4つの道具の話、21世紀えひめニューフロンティアグループの20年に及ぶ活動を話しました、またこのごろ気になる家族の人間関係、失敗経験をさせない今の教育の在り方、子ども社会と大人ys会の関係についても話しました。

 私が目指す人間牧場での青少年教育は地域力を育てる教育であり、人間力を高める教育を目指していて、そのことを熱を込めて訴えました。堺先生の話はコメントを避けますが、楽しい二人の話は参加者に好印象を与えたようでした。

 その夜は楽しい交流会が延々と続けられ、名刺を交換しながら、またお酒を飲みながら団体や個人の紹介をしながら楽しい交流ができました。中には高知県や香川県など県外組の参加もあって、これまで顔は知っているものの殆ど知られていなかった活動の全容が随分明らかになり、ネットワークの広がりを予感させてくれました。

 今日は元文部省生涯教育局長で現(財)日本生涯学習総合研究所理事の伊藤俊夫先生の「子どもたちは社会のかすがい」と題した講演を聞きました。先生には私が若いころ、社会教育行政は①指導者養成、②指導助言、③条件整備の3つがあることを教わった先生です。久しぶりにお元気な姿やお声を聞いて安心しました。昨晩は飲みながら楽しい話を聞きました。

 昨日・今日の集会には久しぶりに知人友人、旧友などなど、沢山の懐かしい顔々が集まりました。思うに昨日集まった方々は本当に社会教育を愛している穂人たちではないでしょうか。私もお世話人の末席を汚しているので、何人かの人たちに参加しないかと声をかけました。しかし残念ながら手合いの良い理由をつけて参加を断られました。社会教育を仕事にしていた頃の情熱は何処へ行ったのかと思うように、社会教育を去ると目覗きもしないのです。多分あれは仕事だからやっていたのだろうと勘繰りたくもなるのです。

 まあそんな人たちは所詮本物の社会教育人ではないのだから、とやかくいう必要もないのです。問題は自分がどういう思いを持続できるかだけです。私はこれからもしっかりとそのことをわきまえて、社会教育で育ててもらった恩返しをしたいと心に誓いました。


  「来ないかい 誘ってみたが 理由つけ 断る人の 何と多いか」

  「懐かしき 顔々揃い 握手する 血潮未だに 衰えもせず」

  「一度だけ 会っただけだが 鮮明に 覚えています あの日あの時」

  「作務衣着て 壇上炬燵 座り込む 卓話楽しや 美女と野獣が」 

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