shin-1さんの日記

○出雲路での楽しい思い出②

 今日は昨晩の荒れた天気が全く嘘のような上天気に恵まれました。私はまだ東の空が白み始めた午前6時にホテルをそっと抜け出し、宍道湖の湖岸をのんびり散歩しました。時折忙しげに走る車のヘッドライトやテールランプの明かりが自分の体を照らしては通り過ぎて行きました。開けなずむ宍道湖の風情は格別でカモの群れ人の気配を気にせずが悠然と羽を休めていました。

 昨晩夜遅くまで交流会をしていたため少し気だるい所はありましたが、雲南市から松島さんと川住さんとの予約があるので、バイキング朝食を済ませて8時30分に待ち合わせ場所のロビーで二人と出会いました。松島さんとはもう1年以上も会っていなくて懐かしい限りです。3人で松江城に行きました。昨日の夜来の雨もすっかりあがり上天気です。前日堀めぐりをした場所から城内に入りましたが、菊花展の最中で立派な菊を見せていただきました。


 松江城は天下の名城で、松山城のような城山はありませんが堀も城も立派で荘厳な感じがしました。また城内にある今は歴史資料館になっている白亜の建物も立派で、城山から見渡す松江の市街も高層ビルなどなく山陰の中心都市として歴史の重みあありました。そこここを散策しながら3人で色々なことを話しました。川住さんは実業家で小泉八雲旧居近くの北堀に面した民家を借りて料亭と貸切宿泊所を経営しています。その縁の宿(えにしのやど)を見てほしいと誘われ出かけましたが窓越しに見える堀めぐりの移ろいもすごく落ち着いた雰囲気でした。縁の宿に行く途中松平家ゆかりの明々庵に立ち寄り抹茶を頂きました。庭から見る松江城も茶室も文人墨客が愛しただけあって素晴らしい詫び寂の世界を堪能させてもらいました。その後のんびりゆっくり伝建地区を散策しましたが、前に来た時とは違った出雲の文化にゆったりと浸ることができて、嬉しい限りです。

 11時にこの日の会場となる市町村共済会館白鳥へ到着し、市長さんはじめ色々な人と名刺交換し、打ち合わせを兼ねた昼食会に臨みました。私のような一介の田舎者がこんな場所へ来ていいのだろうかと思いましたが、ここまで来たからには性根を据えねばとスキルをアップして会に臨みました。

 会場は200人予定の椅子が全て埋まり、非ジョイスを出すほどの盛況ぶりでした。私の役目は開会式後の基調講演講師を約1時間、パネルディスカッションのパネラーとして約1時間半の中の、自分の発言時間と一人二役の重労働でした。

(市長さんの横の席に座って話しました)

 

 私の場合はアドリブで話すので、何を話したかはよく覚えていませんが、ステージへの反応は最高で、講演もパネラーもいい仕事が出来たのではないかと思っています。

 この日私は木になるカバンに私紹介のDVD、赤トンボの模型、ポスター、ハーモニカなど様々な小道具を用意して会に臨みました。また偶然の思いつきで新居浜の加藤さんから頂いた小さな電光掲示板まで活用して、参加者をくぎ付けにしました。このころには参加者の雰囲気も相当ゆるんで、爆笑の渦でした。また妻が車の中ででも食べたらと持たせてくれた美味しい双海町産のミカンを先着100人に配ったことも大好評で、貰わなかった人から少々不満の声が聞こえました。

(壇上でミニ電光掲示板を胸につけ熱弁をふるう私)

 日本一と自負する夕日の町伊予市からは残念ながらサミットの誘いがあったのに出席がなく、少し寂しい思いをしましたが、それでも3人で休みを取って一私人として参加でき、全国の夕日の美しい町へ伊予市双海町の夕日を情報発信できたことは何よりも大きな収穫でした。これからも私的な部分でしっかりと昔の実力を温存して夕日によるまちづくりをしっかりと推進してゆきたいと心を新たにしました。せっかくつかんだ夕日をテーマにしたづくりのソフト的遺産を守り伝え、遺し伝えてゆきたいものです。

(同時に開催された全国や世界の夕日写真展)
(夕日の見える時刻表示が至る所にありました)

  「日本一 今でも思う オンリーワン 夕日魅せられ 夕日を語る」

  「この頃に なってようやく 夕日とは 遅れているな 既に俺など」

  「ラフカディオ ハーン愛した 宍道湖の 夕日肴に 湖畔の宿で」

  「嫁ヶ島 見るほど魅力 こりゃ凄い 持てるものなら 荷物にゃならぬ」


 
 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○長い出雲路の旅から帰ってきました①

 昨日の朝早く家を出て、伊予市の中央公民館前で市役所の米湊さん、それに地域政策研究センターの松本さんと合流し、水戸黄門漫遊記ならぬ凸凹3人コンビで出雲路への長い旅に出ました。そもそものきっかけは島根県松江市で開かれる夕日サミットというイベントに私へオファーがかかって、基調講演やパネラーとして出席することが決まったので、それなら休みを取って久しぶりに3人で楽しい旅でもしようという相談がまとまったのです。彼ら2人とは合併前の双海町で私が教育長をしていた時代の大切だった部下なのです。私が退職後も何かと相談して自分の故郷の発展のためにお互い知恵と汗を出してきましたが、私的なことはどんどん進むようになっても、周りの環境が合併によって随分変わり、もどかしさを感じていますが、それも現実だと受け止めただひたすら実践あるのみと頑張っているのです。

 松江市への道は伊予インター~松山道~坂出~瀬戸大橋~米子道~米子~山陰道~松江中央インターのコースを辿りました。この日はやや霞がかかっているものの穏やかなまずまずの天気で、中国山地の道沿いは紅葉が始まっていてウルシの赤色や黄色が鮮やかに目を楽しませてくれました。

 途中蒜山高原のサービスエリアで昼食をとり、早めの出発で時間的な余裕があるため大山インターで降り、麓の道を通って大山の神社とお寺にお参りをしました。山門近くの無料駐車場に車を止め日本一と書いてある長い長い石畳の道を三人が自然を楽しむように散策しながら登りました。この地は私一人でも何度か、妻と孫を連れても一度来ている気に入った場所なので、さも知っているような口ぶりで二人に説明しました。

 時折木々の間から見える伯耆富士大山の山は既に錦の衣を着たように目にも鮮やかでしたが前述のとおりの秋霞で残念ながら目の覚めるような色合いを楽しむことはできませんでした。それでもいい目の正月をしました。



 先方との待ち合わせ時間は午後5時なので、早めに連絡を入れて松江に入ったことを知らせ、堀めぐりの観光船に乗りました。NHK朝のテレビドラマ「だんだん」の影響らしく、金曜日ながら午後3時ころにもかかわらず観光客がそれなりにいて松江城近くのの船着場は賑わっていました。他の10人ほどと乗合で遊覧船に乗り美観地区周辺の掘割を、船頭さんの流暢な説明や音楽を聴きながら進みましたが、船頭さんの指示に合わせ自動で降りる屋根に押しつぶされるれるように、背を丸くしないと通れない橋の下をくぐる度歓声が起こって、何とも風情のある観光でした。

 左手に松江の城山を見ながらの約40分の船旅を終えて、午後4時になったので宍道湖畔のホテルへチェックインしました。宍道湖にかかる大橋の根っ子のホテル7階自室の窓からの眺めは宍道湖を一望でき、嫁ヶ島や県立美術館が一望できるのです。何度見ても飽きないこの風景を小泉八雲を遠い昔にどんな思いで見つめたのか、想いを巡らすでけでもワクワクするのです。

 やがて夕方今回のシンポのプロデューサーである滝尻さんとダナックの舟木さんがホテルロビーに現れ、名刺交換もそこそこに、松江市駅前にある立派な展示場で同時開催されている夕日の写真展を見に行きました。全国や世界の夕日の写真がかなりたくさん並べられていて、中に言い訳程度私の町の夕日も展示されていました。このころから少し雨が降り始め「弁当を忘れても傘を忘れるな」という山陰特有の変わり身早い天候を味わうことができました。

 その夜はすでに終わった夕日サミットに参加していた鳥取市、瀬戸内市、宿毛市、珠洲市、広島市の観光課長さん、それに松江市の観光関係者、それに私を囲んだ懇親会がホテル白鳥で催されました。秋を演出した料理を堪能しながら箸を進めましたが、居ながらにして夕日をキーワードにしたいい交流ができました。

 夜は滝尻さん、同行の二人と居酒屋で合流し賑やかな語らいが午後11時まで続きました。酒も飲まない私が3軒までハシゴに付き合いました。途中米湊さんの友人とも落ちあい、出雲路の夜はふけてゆきました。

  「にわか降る 雨に背中を 濡らしつつ そぞろ歩きの 出雲路の秋」

  「久方の 遠出の旅を 三人で まるで漫遊 心浮き浮き」

  「大山は 伯耆富士なる 美山にて 錦の衣 さらにあでやか」

  「船に乗り 八雲屋敷を 見上げたる 空に秋雲 ぽっかり浮かぶ」

[ この記事をシェアする ]