shin-1さんの日記

○長い出雲路の旅から帰ってきました①

 昨日の朝早く家を出て、伊予市の中央公民館前で市役所の米湊さん、それに地域政策研究センターの松本さんと合流し、水戸黄門漫遊記ならぬ凸凹3人コンビで出雲路への長い旅に出ました。そもそものきっかけは島根県松江市で開かれる夕日サミットというイベントに私へオファーがかかって、基調講演やパネラーとして出席することが決まったので、それなら休みを取って久しぶりに3人で楽しい旅でもしようという相談がまとまったのです。彼ら2人とは合併前の双海町で私が教育長をしていた時代の大切だった部下なのです。私が退職後も何かと相談して自分の故郷の発展のためにお互い知恵と汗を出してきましたが、私的なことはどんどん進むようになっても、周りの環境が合併によって随分変わり、もどかしさを感じていますが、それも現実だと受け止めただひたすら実践あるのみと頑張っているのです。

 松江市への道は伊予インター~松山道~坂出~瀬戸大橋~米子道~米子~山陰道~松江中央インターのコースを辿りました。この日はやや霞がかかっているものの穏やかなまずまずの天気で、中国山地の道沿いは紅葉が始まっていてウルシの赤色や黄色が鮮やかに目を楽しませてくれました。

 途中蒜山高原のサービスエリアで昼食をとり、早めの出発で時間的な余裕があるため大山インターで降り、麓の道を通って大山の神社とお寺にお参りをしました。山門近くの無料駐車場に車を止め日本一と書いてある長い長い石畳の道を三人が自然を楽しむように散策しながら登りました。この地は私一人でも何度か、妻と孫を連れても一度来ている気に入った場所なので、さも知っているような口ぶりで二人に説明しました。

 時折木々の間から見える伯耆富士大山の山は既に錦の衣を着たように目にも鮮やかでしたが前述のとおりの秋霞で残念ながら目の覚めるような色合いを楽しむことはできませんでした。それでもいい目の正月をしました。



 先方との待ち合わせ時間は午後5時なので、早めに連絡を入れて松江に入ったことを知らせ、堀めぐりの観光船に乗りました。NHK朝のテレビドラマ「だんだん」の影響らしく、金曜日ながら午後3時ころにもかかわらず観光客がそれなりにいて松江城近くのの船着場は賑わっていました。他の10人ほどと乗合で遊覧船に乗り美観地区周辺の掘割を、船頭さんの流暢な説明や音楽を聴きながら進みましたが、船頭さんの指示に合わせ自動で降りる屋根に押しつぶされるれるように、背を丸くしないと通れない橋の下をくぐる度歓声が起こって、何とも風情のある観光でした。

 左手に松江の城山を見ながらの約40分の船旅を終えて、午後4時になったので宍道湖畔のホテルへチェックインしました。宍道湖にかかる大橋の根っ子のホテル7階自室の窓からの眺めは宍道湖を一望でき、嫁ヶ島や県立美術館が一望できるのです。何度見ても飽きないこの風景を小泉八雲を遠い昔にどんな思いで見つめたのか、想いを巡らすでけでもワクワクするのです。

 やがて夕方今回のシンポのプロデューサーである滝尻さんとダナックの舟木さんがホテルロビーに現れ、名刺交換もそこそこに、松江市駅前にある立派な展示場で同時開催されている夕日の写真展を見に行きました。全国や世界の夕日の写真がかなりたくさん並べられていて、中に言い訳程度私の町の夕日も展示されていました。このころから少し雨が降り始め「弁当を忘れても傘を忘れるな」という山陰特有の変わり身早い天候を味わうことができました。

 その夜はすでに終わった夕日サミットに参加していた鳥取市、瀬戸内市、宿毛市、珠洲市、広島市の観光課長さん、それに松江市の観光関係者、それに私を囲んだ懇親会がホテル白鳥で催されました。秋を演出した料理を堪能しながら箸を進めましたが、居ながらにして夕日をキーワードにしたいい交流ができました。

 夜は滝尻さん、同行の二人と居酒屋で合流し賑やかな語らいが午後11時まで続きました。酒も飲まない私が3軒までハシゴに付き合いました。途中米湊さんの友人とも落ちあい、出雲路の夜はふけてゆきました。

  「にわか降る 雨に背中を 濡らしつつ そぞろ歩きの 出雲路の秋」

  「久方の 遠出の旅を 三人で まるで漫遊 心浮き浮き」

  「大山は 伯耆富士なる 美山にて 錦の衣 さらにあでやか」

  「船に乗り 八雲屋敷を 見上げたる 空に秋雲 ぽっかり浮かぶ」

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