shin-1さんの日記

○吊るし柿を作る

 昨日は西条市庄内公民館から講演の依頼があって桜三里の峠を越えて出かけて行きました。峠を越えて間もなく西条市の看板が見えました。そういえば東温市の次はもう西条市なのです。平成の大合併でこんな錯覚をよくしますが、私のお目当ての庄内公民館は旧東予市なのでカーナビに沿って進みました。この2~3日の冷え込みで石鎚山系は頂上に雪をいただき雄大な姿を見せていました。

 晩秋の旧丹原町は柿の産地だけあって、道沿いの畑は一面柿畑で、オレンジ色に色づいた柿の実が寒そうに震えて見えました。家を出る時妻が「丹原辺りをを通るのであれば、吊るし柿にするので渋柿を少し買ってきてね」と頼まれていたので、目敏く見るのですがそれらしき店は見当たらないのです。魚所のわが町で魚屋さんが少ないのと同じだと納得しながら、少し余裕の時間を見て出発したため回り道をしてみました。すると一軒のかなり大きな市場を見つけました。伊予市でいうと仙波青果のような店です。この店は何でも売っていて私のお目当ての柿も一箱売りで売っていました。少し小ぶりなためか一箱が500円という安値です。妻の顔を思い出しながら買い求め車のトランクに入れました。



 庄内公民館は庄内小学校に隣接していて何度か来たことがあるので直ぐに分かりました。館長さんが玄関までで迎えに出ていただきました。聞けば私の友人近藤誠さんと近い親類、つまり従弟だだそうで二度三度予の中の狭さを実感しました。近藤さんとはまちづくりを通じて知り合い、彼ら夫婦の仲人までやっているし、今はえひめ地域づくり研究会議の代表運営委員を一緒にやっているのです。これまでにも多分結婚式や葬儀で出会っているのでしょうが、この日は初対面の対面をしました。冬の寒さゆえ人の集まりは今一でしたが、参加した人たちは終始熱心に私の話に耳を傾けていただきました。

 講演が終わって一直線わが家に帰ると妻は夕食の準備をしていました。購入した柿を見せると「まあ安かったのね」と褒めてくれましたが、食事が終わったら皮をむいて吊るし柿を作ろうと誘われました。面倒臭いたちなのですが自分が買ってきた手前断るわけにもゆかず、テレビを見ながら皮をむき、ビニールの紐で縛って10個余りの連を8つばかり作りました。残念ながら10個くらいはヘタの上のT字型枝が取れていたので、菜箸を使って2連は面白い恰好のものを作りました。洗濯物干し場はもう真っ暗なので、風呂場の電気をつけ薄明かりの中で物干しざおに吊るして行きました。二人の連係プレーも良かったのか小一時間で全て終了です。このところの冷え込みや季節風で20日間もすれば美味しい干し柿ができるものと思われます。私は星が気が大好きなので、今年の冬も美味しい干し柿を賞味できると喜んでいます。それにしてもあんな渋柿が甘い干し柿になるなんて誰が考えたのでしょう。

  「秋夜長 妻と二人で 皮をむく 干し柿八連 干し場に吊るす」

  「渋柿が どうして甘い 干し柿に なるのか未だ 分からぬままに」

  「干し柿を 見れば必ず 思い出す 盗んで食べた 幼き頃を」

  「この柿が 五百円とは 安過ぎる 農家の手取り 幾らになるか」

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shin-1さんの日記

○私は若松の親戚です

 私が住んでいるのは平成の大合併で再編されたと言いながら、松山市内の一校区にも満たない伊予市という4万人足らずの街です。しかもその中の人口5千人足らずの双海町という所です。私はこれまで物心ついてからずっと「愛媛県伊予郡双海町の若松といいます」と自己紹介していました。ところが3年半前に合併したため自己紹介では「私は愛媛県伊予市双海町の・・・・」と言わなければならなくなりました。伊予郡という呼称はもう小林旭の「昔の名前で出ています」という歌の文句と同じようになってしまい、双海町という自治体は地図上から消えてしまったのです。でも合併の折旧町名を残したためかろうじて、双海町という名前は使えるのです。

 そんな小さな田舎町に住んでいますが、「若松さんは若松○○さんと親戚ですか?」と言われることが時々あります。その都度記憶を蘇らせて、あの人はと親類の糸を手繰りながら「私の父方の従兄でして」と説明をするのです。実は田舎というのは同じような姓に家が沢山あるのです。私の親父も12人兄弟の長男ですし、その親父の親父、つまり祖父の代を含めると数えきれないほど「若松」という姓の家が町内にあるのです。でも同じ若松という姓でもまったく関係のない家もあるのですから、余程日頃からルーツを知っておかないと、間違いも起こるようなのです。その例は、私の町内に「わかまつしんいち」というひらがなで書くと同姓同名の人間までいるのです。その人は若松新一と書いて「わかまつしんかず」と呼ぶのですが、若松新一は「わかまつしんいち」とも読めるため、手紙や宅配便の誤配がこれまでにも何度かありました。まあ若松新一さんは私の従兄なので笑ってすまされますが、時々とんでもないハプニングが起こるのです。

 田舎に行くと3つ~5つくらいな姓しかなく、「○○さん」と言って姓だけいっても言葉が通じないことがよくあるので、特に島に行くとそんな混乱がよくあるようです。

 私は全国や県内をくまなく歩いているので、それなりに名前が知れ渡っているため、親類の若松さんや他人の若松さんは時々前述のように「若松進一さんと親戚ですか?」聞かれるそうです。その都度「あの人は親戚の~」とか、「あの人とは親戚ではないんです」と説明するのですが、面倒くさい時は「親戚です」いってしまうことだってあるようです。特に「あの人が親戚だと言っていた」という話を聞くと、むげに「他人です」ともいえず適当にお茶を濁してしまわなければ相手に失礼なことだってあるのです。


 何年か前親父と話していると、「親戚から親戚と言ってもらえるような人になれ」と言われました。もし私が何か過ちを犯し新聞やテレビ沙汰になったら多分親類の人は「昔は親類でもあの人とは付き合っていないので」と、私との関係を否定するでしょう。ところが私が何かいいことをすればたとえ親類の縁が遠くても「私は登園にあたります」と言うに違いないのです。親父の諭しの言葉は後者の人間になるようにとの言葉と受取今日まで一生懸命生きてきましたが、はてさて親父の言うような人間になり得たかどうかは未だに疑問の残るところです。これからも「若松進一さんと親戚です」と胸を張って言ってもらえるような人間を目指したいと思っています。

  「親戚と 言われるような 人になれ 親父諭され 今日まで生きた」

  「若松の 姓を名乗って 六十年 双海冠 少し小声に」

  「市民だが 未だに旧町 名乗ってる そろそろ改名 昔の名前」

  「若松と 言っても姓が あり過ぎて しんいちさえも 同姓同名」

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