○雷が一番怖いパソコン
昨晩9時ごろ、春雷ともいえる雷が怖いくらいゴロゴロ鳴って、一瞬近くに落ちたのではないかと思うほど大きな「ドスーン」という音がしました。テレビや小説などではよく紹介される秋や春の季節の変わり目によく見られる現象で、雷とともに暗闇に閃光が走り、これも一瞬ですがまるでカメラのフラッシュでも焚いて、辺りが昼になったような明るさになりました。昔は雷におへそを取られると雷が鳴るとへそを隠したりしたものですが、科学万能な現代社会にあってもなお、私たち凡人には分らない部分が数多くあって、理論上分ってはいても人間の踏み込めない自然の持つ偉大な力に、今更ながら驚くのです。
群馬県に出かけた折、「雷は上州では常習」と聞きましたが、瀬戸内は気象の変化の比較的少ない温暖な地域だけに、時ならぬ雷の音が大嫌いという人が案外多いようです。私などは子どもの頃から大好きではないにしても大嫌いでもなく、女の子が目をつぶり耳を塞ぐ姿を見て、格好よく強がって見せたりしたものですが、目も耳も塞いだ女の子には強がった姿など見えるはずもなく、今頃になってその事に気付く愚か者なのです。
雷といえば、デジタル万能な電子機器にとっては致命傷で、わが家のように共同協調のアンテナからテレビの電波をいただいている難視聴地域では、親となるアンテナに雷が落ちれば、そのアンテナを伝わって子のテレビが故障することが時々あるのです。今は避雷針技術が進んでいて、落ちた雷は地中に逃げる仕組みになっていて、直接テレビが壊れる心配はありませんが、それでも何年かに一度は「雷が落ちてテレビの写りが悪いので修理してます」と有線放送があるようです。
私の町でもテレビやパソコンが雷の被害にあった家は結構あるようで、電源を抜いたり電話を切ったりして対応している人もいるようですが、今頃は直ぐにスイッチが入るよう常に通電されているタイプが多いので、いちいちその都度電源を元から切ることも面倒で故障になることが多いようです。でも雷が入ったテレビやパソコンは役に立たず、買い換えねばならず、どこにその不満をぶちまければいいのかも分らず、多額の出費に幻滅するよりは、転ばぬ先の杖の方がまだましのようです。
昨晩もパソコンを操作中の出来事だったので、どうしようか迷いましたが、面倒臭くてそのままの状態で難を免れました。孫に「雷が一番怖いのはと尋ねたら「ドラえもん」というかも知れませんが、私自身は雷はそんなに怖いとは思いませんが、やはりパソコンにとって雷は一番怖い相手なのです。
いつものように朝起きると書斎に入ってまずパソコンのスイッチを入れて立ち上げます。それから身支度を整えるとパソコンは起動から操作モードになって打ち始めるのです。何でもないこんな日課の繰り返しが今の自分の日々の暮しです。いつの間にかあれほど嫌いだったパソコンが暮しの一部になり、パソコンなしでは生きてゆけても仕事は出来なくなりました。
私の近所に役場を退職した先輩が何人かいます。Kさんは体を悪くして辞めました。Hさんも精神的ストレスからうつ病になり早期退職をしました。別のHさんは定年退職して家庭菜園で農作業をしています。また少し年配の
別のKさんやHさんは少し歳がいって悠々自適の暮らしをしています。Kさんも、Hさんも、別のHさんやKさんもまったくパソコンをやりません。多分彼らの時代は事務用品といえばガリ版かソロバンか電卓で充分だったのだろうと思われます。でもそんな時代の人でもパソコンを習ってインターネットをしている人は沢山います。
「若し、パソコンが私の暮しからなくなったら」と思うとゾッとします。そのくらいパソコンは私に情報というかけがえのない文明をもたらしました。先輩諸氏の生き方を否定するつもりは毛頭ありませんが、いい道具を勝ち得たと手前味噌に喜んでいます。
「雷が 嫌いなパソコン 前にして ゴロゴロ近く 右往左往す」
「先輩は 日頃何して いるのやら パソコンやらず 年齢重ね」
「ガリ版も ソロバンも死語 なりにけり ワープロさえも 知らない世代」
「春雷が ボロでねじつつ 去ってゆく 明日は桜の 蕾開くか」