○気の会う仲間と一杯やりながら「初心」を語る
昨晩は松山市内のかつて行き着けだった四十雀という縄暖簾のかかった居酒屋で、3人だけというこじんまりとした雰囲気でお酒を飲みました。勿論私はお酒が飲めないので注ぎ役に徹し、大瓶6本を空けました。酒の強い方の部類に属する二人が飲むほどに段々酔ってくるのが分るはずなのに、ウーロン茶を飲みながらこちらも酔ったような雰囲気になるのですから酒席とは面白いものです。
私を含めたこの3人が中心になって夢工房という小さな勉強会を始めたのはもう二十年も前です。その後県庁や市町村役場、それに団体職員も加わって多い時は20本の指では数えられない程に増えましたが、最初は勉強会のつもりで始めたグループが、いつの間にか飲み会の延長のような雰囲気になっていて、何とかしなければなるまいという話になって、昨晩は作戦会議のような飲み会になったのです。
いつも大勢で利用する飲み屋も昨晩は殆ど空で、顔なじみの客とあって予約もなしに行ったにも関わらず、女将さんが空いた4畳半の部屋を用意してくれました。「適当に見繕って」と言っただけで私たちの胃袋と懐具合を察知して料理や酒を出してくれるのですから、20年の重みはさすがだと思いました。
話は飲むほどに酔うほどに深くなり、様々な意見が飛び交いました。元々この二人は県庁職員の中でも私が最も敬愛する人たちなので、読書や人脈で人間の生き方をしっかりと学んだ、自らを律した生き方は謙虚さと冒険心を兼ね備えているのです。昨晩はそんな生き方を心を開いて話し合いました。
「初心に帰る」という話は、奥の深い観阿弥世阿弥の話しにまでも及びました。「初心に帰る」という言葉はよく使いますが、初心とは全ての始まりを意味します。しかし人間には年齢や発達段階、発起に応じた様々な初心があるようです。成人式を迎えて決意を新たにするのも初心、役所へ入庁した時の決意も初心、また23歳の時に作った生活設計も初心なのです。
さしずめ私が50歳で決意した人間牧場構想も初心であり、60歳の定年リタイアの時に決意した生き方も初心かも知れません。昨日二人の話しを聞いて60歳から始めた今の生き方の初心を考えてみました。
私の生き方は概ね21年サイクルです。既に3つのサイクルを終えて最終章である4つ目のサイクルに突入します。4つ目のサイクルから新たに始めた事は毎日ブログを書くこと、人間牧場をフィールドに恩返しの人生を過ごすこと以外そんなにはありませんが、彼らが言うのにはブログと人間牧場だけでも羨ましい生き方だと褒めてくれました。
私の周りには60歳という人生の節目を向かえた人たちが、「自由人」というものに憧れてどんどんリタイアして来ています。あと2週間でその数はどんどん増えてゆくことでしょう。しかし憧れていた「自由人」もいざなってみると、案外不自由なものなのです。年金をいただく年齢にはまだ到達しませんから、給料を断たれるという不自由がまず襲いかかります。そして今までの職場人生が地域人生に変わりますから、地域のお世話をしなければなりません。これも嫌おうなしで不自由です。また妻や家族と給料という一本の太い線で結ばれていた人間関係が壊れ不自由になるし、規則正しい生活が不自由になって健康だって害します。まあ自由の裏に隠された不自由を想定認識し容認することを覚悟しておかないと「こんなはずではなかった」という失望の結果になるのです。
私は幸せな事に4サイクル目の始めに当ってしっかりとその事を考えて出発したから素敵な「自由人」になり、人もうらやむ素敵な生き方をすることが出来ています。多分そのバックボーンとなる健康さえ注意をしていればもっともっと素敵に生きれると希望が持てるのです。
心に望みを持って三年前に始まった新しい私の生き方は、まさに新たな「初心」であり、この「初心」に帰ってこれからも楽しく生きてゆきたいと思ういい昨夜の飲み会でした。
「初心とは 決意したこと 全てです 後は実践 やるっきゃないね」
「尺取の 虫に例えた わが人生 残った旅路 やはり尺取」
「言い事を 観阿弥世阿弥 教えてる 今も昔も 道は変わらず」
「自由人 みんな憧れ いますけど 不自由おまけ 沢山あるよ」